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五高記念館が博物館になった。週一回の出であるが、もう俺の出番は必要でない。然し記念館を今のような状態までに持ってきたのは俺だということも忘れ去られているこれも時代の流れで仕方がないことであろう。しかし先日学芸員さんが熊大六〇年史の作成に当たり記念館開設当初の資料を調査されて俺の起案ばかりであることに気づき「開設の時代はおおごとでしたね」とねぎらいの言葉があった。
熊本城の常駐で少々くたびれている。どうしてこうも個人の観光客が多いのか、たとえば農協さんや、老人会のツアー旅行であれば納得もいくが、まだ三十を少々過ぎたばかりの若い夫婦が高速道路を利用して旅行している。中にはまだよちよち歩きの幼児を連れた夫婦もある。もちろんそんな若い時代でこそ車で高速を走るのは特権であろうか、仕事は何をしているのだろうか、一組、二組であれば特別休暇を取り旅行しているのかもしれないが、駐車場に入れる車を眺めているとどの車も若者中心と小さな子どもが多いこと、フリーターだろうかと他人事ながら心配する
熊本城の常駐で少々くたびれている。どうしてこうも個人の観光客が多いのか、たとえば農協さんや、老人会のツアー旅行であれば納得もいくが、まだ三十を少々過ぎたばかりの若い夫婦が高速道路を利用して旅行している。中にはまだよちよち歩きの幼児を連れた夫婦もある。もちろんそんな若い時代でこそ車で高速を走るのは特権であろうか、仕事は何をしているのだろうか、一組、二組であれば特別休暇を取り旅行しているのかもしれないが、駐車場に入れる車を眺めているとどの車も若者中心と小さな子どもが多いこと、フリーターだろうかと他人事ながら心配する
我々の年代になると高速を走るのもおくくうで少々気が引ける。後期高齢者に達する年齢になったかもしれない。身体能力が劣ってきているからかもしれない。車は二十代から五十年以上も利用していることになるが、住居が市街地であるので田舎に行くのであれば車を利用するが、市街地の中心街に向かうことが多いので繁華街では先ず駐車場の心配が最初である。その上昔から常に車を置くのは無料であるとの考えが強くどうしても有料の駐車場にはと敬遠しがちである
熊本市にはバス、市電を利用できるお出かけ乗車券という制度がある。年齢が七〇歳以上の者に交付されている。これは本来の運賃の二割である。そのためだろう常に乗車している者の大半が爺と婆ばかりである。特に多いのは婆でどこに出かけているのかと思うことさえある。そんなこと言う俺も出かける時は現在はもっぱらお出かけ乗車券を利用している。駐車料金よりもっぱら安いからである。
熊本市にはバス、市電を利用できるお出かけ乗車券という制度がある。年齢が七〇歳以上の者に交付されている。これは本来の運賃の二割である。そのためだろう常に乗車している者の大半が爺と婆ばかりである。特に多いのは婆でどこに出かけているのかと思うことさえある。そんなこと言う俺も出かける時は現在はもっぱらお出かけ乗車券を利用している。駐車料金よりもっぱら安いからである。