五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

週一で五高記念館に出る。

2015-03-04 05:01:37 | 五高の歴史
週一で五高記念館に出てきた。俺は何時も八時三〇分には定例で資料室に入るが、一時間も過ぎたころ、事務室の方から「東さんを指名して来た人がありますので館内案内よろしくお願いします」という連絡があった

小雨の五高記念館
出てみるとコンベンションの観光ボランテイアの立田山研修と言う事であったが、雨の場合は五高記念館研修の予定であったので、雨になったので避難方々五高記念館を訪問することになったそうで、立田山研修であれば数名から居るだろうが、本人も何名かは続けて来るだろうの予想であったようだが、「今までも何回もそんなことがありましたがここに来る人は全然いなかったですよ」といってタッチパネルに変わった展示室を案内してやった。

もちろんこのように展示室が改修されてからの訪問は初めてであったろううし、興味は尽きないようであった。終わったのは十二時過ぎていたので館内を十分に堪能出来たようであった。本人も俺の案内とタッチパネルによる説明に納得理解できたようであった。もし訪問した連中が一人でなく数が多かったなら俺も案内はしなっただろうし、彼女は今日俺が出ていることなど知らなく来ていた。俺自身も彼女の顔は覚えていたが、ただ観光案内ボランテイアにいたと言う事だけで、名前などは完全に忘れていた。

ここでも観光案内ボランテイアをどうして辞めたのかとの質問があり例の如く、それにはただ観光案内の競争になり交通費二千円の事情に、嫌気が差したのですと説明しておいた。俺は火曜日には毎週遊びに来ていますお暇の時はどうぞ館内見学に出て来てくださいと案内しておいた。

雨は終日降り続き午後は大粒の雨で雨のため帰ると言う事にして二時過ぎのバスで上の郷へ帰った。記念館には専用の雨傘は二本用意しているのでその中の一っポンをさして帰った