五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

龍南物語22(いたづら)

2009-07-23 05:11:22 | 五高の歴史
現代の青年の悪戯など一寸考えられない事である。大正時代までは世の中の人もおっとりして青年、特に五高生の悪戯も大目に見ていた。この文章の中に南洋旅行とあるが、これは各地の高等学校の希望生徒を集めて行なわれたようで、五高生の参加者はなかった。確か記録だけはあるが具体的な事はわからない。「光陰矢の如し」ではないが、月日の経過は早く大正時代から既に百年、明治は遠くなりにけりと言っていた時代も遥か昔になり、平成も二十年を過ぎたし昭和も遠くなりにけりと言われる時代になってしまった。

い た づ ら
 青年と云うものは変なものである。例えばここに一つの禁令がある。それを犯してはいけないということは至極明瞭なことであっても、それを犯してみるということに非常な面白味を感ずる。それが青年と云うものだ。とは先年の夏高等学校生徒が南洋旅行に出発するにあたってなされた一般教育家の訓示一節である。禁園の果実を盗み喰いしてた太古から現代の青年の心理に含まれたる偽りのない真理である。大正の今日、教育家といわれる人は凡てこれ位の理解がなくては話しにならない。
 どこの高等学校にも茶目坊そっち退けの悪戯の児が居るが三四郎には特に多い。大学に来てもその癖は容易に止まらない。三越の獅子像に乗って街頭に人山を築かせたり、電車の吊り革につかまって尻あがりの器械体操応用を宙返りのスチンソンといって興がったり、銀座通りの真ん中でテンカンの真似をして巡査殿の出張を煩わしたり、甚だしきは酒の上とは申し乍ら、交番の巡査に黒い臀(しり)をむき出しに出して叩いた揚句拘留食ったのもつい近頃の話。
 熊本の町を朝早く行くと、一夜のうちに堂々たるお医者さまの石門に「古綿打ち直し所」の看板がきまり悪そうに掛けられてあったり、厳粛な教会の門に「御料理南山楼」と艶めかしい筆の跡の門札が居直っている。その他毎晩のように藤崎神社の定紋付の白張提灯の代わりに「うどん蕎麦」の紅提灯がぶら下がっているのを見る。
 時には町の真中に荷車の迷い児がある。それに結びつけられている紙片を読んで見ると「昨夜深更泥酔せる人間運搬のため無断拝借す。篤志家はXX町○○商店の前まで御返却を乞う」と
 一体誰の仕事だが知るのは由ない。龍田山の麓には天狗が住んでいるそうだ。多分天狗の仕事であろうとは考えべき憶測であろう。今でこそ、法学士じゃの文学士じゃのと鹿爪らしい顔していらっしゃる殿原たちも元をただせば飛んだ奇蹟を演ずる龍田山下の雀天狗にすぎなかった。東京庵や浜屋の主人に一夕ゆっくりと昔がたりを聞いてごらん。眉をひそめるような話が限りなく語り出される。
 座敷の真中に並べられた丼や酒徳利が空になって会計も済んだ。今夜は馬鹿にお静かと思う矢先、君悪い五六人の瞳が異様に光る。と忽ち一人が箸を執り上げて丼を叩き出した。
 ―――――チンチンチン、チンチンチン、
 すると残りの面々は得たりと席を蹴って立ちあがり、向こう鉢巻甲斐々々しく騒ぎたてるのである。
 「火事だ 火事だ」
――――――チンチンチン、
 「三つ鐘だ!!近いぞ 近いぞ」先ず膳、茶碗の類から庭に投出される。焼けては大変と、床の置物、額、生花、火鉢はては十畳の畳もすっかり庭に運び出されて、略奪の後のような座敷の中には、各人備え付けのポンプから鉾先そろえて臭い水を放出している。
  「消えた 消えた。やっと消えた
  「危なかったねえ」
 とへらず口を叩いたまま消防隊は汗ぬぐいながら帰って仕舞った。
 これが龍南特有の「火事」の濫觴である。ストームは早やこと古りた。今でも同じ生徒の生意気な奴の下宿や、不埒な飲食店は度々この獰猛な祝融の災いを受けて居る事であろう。
 砂取の鰻飯屋の若い衆は時々頭を掻いてこんな話をする。三四年前の夏、一連れの荒武者が飲みに来た。酒は宵から三更に続いて何時止むとも知れない。それで
  「皆さま、最早時間でございますから・・・・」と体のいい撃退を企てたのが一同の怒りを買った。
  「時間だったら止むを得ぬ、その代わり勘定は下宿まで取りに来い」
 嗚呼、砂取から熊本の町までの道路を、しかも夜は草木も眠る真夜中ではないか。けれどもお連れ承わらねばならないのか?
 「それは明日でも」
 「馬鹿ッ今夜払う!」
 詮方なく、なるべく屈強な若い衆が付け馬の役を承って、とぼとぼと皆後からついて行った砂取と熊本の中央位のところに味噌天神という神社がある。ひそひそと囁きあっていた連中は突然に。
 「おい馬、眠くなってきたからここで一寸ねるぞ、貴様も寝んか?」
 馬は重大な役目を持っている身、もし一緒に寝ている間に、皆馬賊のように寝込んでしまった帰えるに帰られず寝るに寝られぬ若い衆は、夏の余波短いとは言い乍、蚊に攻められながら終夜思案顔。
 一同が巡邏の警官に起されて頭を掻いてそこを出かけたのが東雲うすく白む頃、眠たそうな馬をひき連れて行くは何処?
 大江村から本荘、迎町と熊本市の周囲をぐるりと廻り、夜が明けたからと、白川の水に顔を洗い、石に腰うちかけて煙草の煙の輪をふかす、憎らしさ。馬曰く
 「一体、お下宿はどちらですか?」
 「何処だっていいぢゃないか!今に着くよ」と取り合わない。
 悲観した馬は仕方なしに連中の後について歩いて行く。下河原から熊本の町を横切り又も郊外横手に出て花岡山に向って進んで行く。若い衆も狐につまされたように。
 「ねえ、お宿はどちらでしょう、御冗談なすってはいけませんよ」
 「まあ来い 来い」
 険阻の聞こえ高い花岡山の地獄坂を上りつめた一行は遂に花岡山の頂上を極めた。呆気にとられた若い衆の疲れた有様を心地よさそうに眺め乍ら、
 「若い衆、それ昨夜の勘定!!」
 とかくし持つたるお銭を渡してやった。若い衆は極まり悪そうに受取ってすごすごと疲れた足を引きずって遠い路を帰って行った。折からの木陰を漏るゝ朝日の光野中に聞こえてくる声高い笑顔が癪にさわりました。ことゝいったら無かった。とは件の若い衆が今も頭をかいて物語るのである。

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