明治も二十年代に卒業した学生が熊本弁を研究したというより、熊本弁が判からなかったのだろう判らなかったと思われる言葉を集めてノートに書取ってある。この五高生の出身地はどこだったのだろか?
以下にその熊本弁を記す。
熊本弁の歌
おてもやん あんた此の頃嫁入りしたではないかいなーーー
嫁入りしたこたしたばってん ごてーどんがーーーーー
ぐじゃぺだーけん、まーだ 杯やせんじゃった。
村役とび役 肝いりどん あんひとたーちゃ
おらすじゃーけん 後はどうなっときゃなろたい
堀端町さんんきゃめぐろー 春日ぼーぶらどんなー
尻引っ張って、花盛り あかちゃかべっちゃかちゃかちゃかちゃー
一つ山越え、も一つ山越えて、わたしゃあんたに惚れとるばい、――
惚れとるばッてん言はれんばい、村の若い衆が張番しとらすけん。
追々彼岸も近まれば、くまんどん(熊本)の夜ぢよみよんみやありに、
ゆるゆる話ばきやあ為うたい。男振には惚れんばな、
煙草入の銀金具が夫が因縁たい あかちやかべッちゃかちやかちやかちや。
ありません・・・・・・・ありまっせん
はい・・・・・・・・・・ひゃ
沢山・・・・・・・・・・ぐっさり
困る・・・・・・・・・・おこなえん
ころぶ・・・・・・・・・つっこける
南瓜・・・・・・・・・・ぼーぶら
何々を・・・・・・・・・何ば
僕・・・・・・・・・・・おどん 君・・・・・・・・・・・ぬし
それを見ておこう・・・・そるばえってみてこ
これらは当時の五高生が寮等で使っていた熊本弁の一部と思われる。明治20年代の五高生のおてもやんをはやらせた宗像十郎時代の寮風景かと思われる。明治も二十年代に卒業した学生が熊本弁を研究したというより、熊本弁が判からなかったのだろう判らなかったと思われる言葉を集めてノートに書取ってある。この五高生の出身地はどこだったのだろか?明治28年に高等学校令が施行されたのでこの時代はまだ第五高等中学校の時代である。
土曜日には午前の2時間「春日人おても案内」に行ったのであるがついでにこの案内の様子も書いておくことにした。眼の修理以来、新幹線乗降口だけで案内していたが、久しぶりに白川口(昔の熊本駅の正面玄関)で案内した。まず開業以来一ヶ年を経過して構内への案内標識が設置されていることに驚iいた。食堂、コインロッカーの場所、トイレの場所等々で、当初は案内標識がなかったのでおても案内人がそこまで連れて行っていた。構内の柱には市内の観光案内の地図を色々掲げてあるが、眺める人は非常に多く、「どこをお探しですか」と訪ねてみると、地図の場所を指し示し熊本城へは行くことにしているがとか、また水前寺公園はここですねとか、図面の位置を指して言う人が多い、あの地図というより略図である。そのため簡単に歩いて行ける感じのように思う。「路面電車を利用してください、乗っている時間は約20分から30分近くかかります」と教え説明してやる。新幹線乗降口(西口)に比べて団体、観光バス会社の出迎えは皆無で熊本で宿泊して今日は熊本を観光しようと言う個人が多い感じであった。ここの案内地図についておても案内の世話人の方が熊本城、または水前寺へ何分位かかるかもう少しはっきりするように修正をお願いしてみると言う意見であった
おてもやん案内場所付近
連絡路階段
白川口入口の案内標識
白川口乗降口
白川口乗降口風景
土曜日のおても案内の写真を編集したのでそれを一緒に計上した
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