本音と建て前を使い分けて、上手に社会を歩いて行くのが大人でしょうか。
いつも本音しか言えないわたしはそれができませんでした。
そのせいでいろいろな人とぶつかったり、気まずくなったり、
でも、今は少なくなったように思います。
ただ、それは人間関係が狭くなってきているせいかもしれません。
前の仕事は3年間続けました。
初めは戸惑った人間関係にもどうにか慣れて、
夏の汗だくの作業を少し我慢すれば、
定年の70歳までは働けると思っていました。
わたしと同じ時間帯で働いている男性はひとりで、
その人は旅行好き、東アジアや南の島へ出かけていました。
その人が出かけた場所には、わたしも行ったことがあり、
旅行の話は時々していました。
でも、会話がキャッチボールにならない、
いつもその人が一方的に話す内容はとても退屈。
ほんの2、3分の空いた時間に少し話すのはいいけれど、
職場以外の場所で旅行や他の話をする気にはなれませんでした。
ハッキリ言って、その人はつまらないのです。
そのまま無視すればよかったのかもしれませんが、
旅行へ行くと言われれば、気をつけてね、とか、
帰って来たと言われれば、どうだった?、とか、
ついつい言ってしまっていました。
わたし以外の人は旅行の話を聞いてくれないみたいで、
その人にとって旅行話ができるのは楽しかったのかもしれません。
わたしが思うほど深刻なものではなくて、
仕事帰りにばったり会ったことにして、
旅行の話をしたかっただけかもしれません。
でも、3ヶ月以上続いた偶然で、
わたしは追い詰められる切迫した感情になりました。
自分で自分をさらに追い詰めていたのかもしれません。
正社員で働いていた時は、組織の中で人並みに我慢をしてきました。
だから、60歳を過ぎて働き始めたとき、
本音と建て前の使い分けはよそう、
イヤなことがあったらすぐに仕事は辞めようと決めていました。
作業場所のビルや就業時間の変更など、
会社はいくつか提案してくれましたが、もう決めていました。
66歳の高齢女性には男性関係は無縁だと考えていましたが、
もしかしたら、高齢者施設でも男女の問題が起こっているかもしれません。
これから男女問題が自分には無関係だと思わずに、
残りの人生を過ごすことにします。
アジュカもビオラも花の盛りが終わりました。
切っていろいろな場所に飾っています。