きょう仕事から帰ると、
マンションのエントランスに高齢の女性が立っていました。
時々会ったことのある住人の方でした。
いつもは付き添いの方が一緒ですが、きょうはひとりでした。
「こんにちは」
「こんにちは。あの、お願いがあるんです。ドアを開けていただけますか」
「はい。今、わたしが開けますね」
「開け方が分からなくて・・・」
「部屋のカギは大丈夫ですか」
「はい。やったことはないけれど」
エレベーターに入り何階か聞きました。
「3階です」
エレベーターは3階で止まり、女性は降りましたが、
心配だったので、エレベーターのドアを開けたまま様子をみていると、
「あら、〇〇さんってお宅だわ」
そう言いながらエレベーターに戻ってきました。
「2階だったかもしれないわ」
でもエレベーターは、もう少し上のわたしの部屋の階へ。
その階で降りようとする女性を止めて、2階へ一緒に行きました。
今度はわたしもエレベーターを降りました。
「ああ、うちだわ」と女性が言うので、
わたしも女性のお宅の前まで行って、カギを開けるのを確認しました。
80代のその女性は杖を突きながら、
いつも50代の女性に支えられながら歩いています。
でも、きょうはひとりで出かけたのでしょうか。
個人的な付き合いのないマンションなので、
お名前も、家族構成も、何も知りません。
普段はそのほうが楽でいいのかもしれませんが、
何かあったとき、どうなるのかちょっと心配です。
自分が困っているときもそうですが、
きょうのように、困っている人に手伝いができないことも・・・。
2階に住んでいる△△さんだと知っていれば、
もう少し素早く手伝えたのではないかと思いました。
わたしもいずれ、腰が曲がり、杖を突き、
自分の部屋が何階だったかの記憶が、あいまいになる日が来るでしょう。
できるだけ長く自立した生活送りたいと望んではいるけれど、
それがいつまで可能なのかは分かりません。
自分の部屋が分からなくなったら、
そのとき、わたしはどうしたらよいのでしょうか。
私のマンションも高齢者が多くなり、施設の車が良く止まっています。昔は、マンションの提供公園で素振りをされていた方が、今では歩行器で腰を曲げて歩かれてます。孫に剣を教えていた気迫は感じられません。
70歳からの10年が分かれ目なのかなぁと感じます。
認知症は自分もわからないままに進みますもんね。
わたしは最近、自分の失敗にすごく腹が立つんです。声に出して怒っちゃう怒りを制御できません。
これって認知症の始まりかな・・・
と言いますよね。
他人を怒ってはいかないと言う気待ちが、自分責めになっているそうです。
本質的には、親との関係が根底にあるようです。
親に嫌われたくない。
怒られたくない。など
自分責めをしている間は、自制が効いているので認知症ではないらしいです。
そうですか。そういえば最近、職場の人たちのことか゜イヤでたまりません。
ホントはその人たちにはっきり文句を言って決着をつけたいと思っています。でも、それはできない
親子関係が良くなかったわたし、それも関係しているんですね・・・。