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名古屋市長がNHKに要請“大河で名古屋辯、三河辯を使ってほしい”



「大奥 第一章」では、三河武士だったはずの徳川家康が名古屋辯(尾張辯)でしゃべっていた。 このドラマで家康を演じた藤田まことは東京出身で京都育ちだったらしい。

「大奥 第一章」で藤田まこと扮する家康は三河の隣国・尾張の名古屋辯で話していた。一方、劇中の秀忠と春日局と江の台詞は時代劇で普通の江戸大奥ことばで、東海~近畿の訛りらしきものはほとんどなかった。
tweet(2014年9月25日)

「大奥 第一章」と「水戸黄門」第43部第11話を見る限り、時代劇の脚本家は「三河の人」の台詞を名古屋辯にするようだ。「三河は愛知県だから名古屋辯でいいだろう」という単純な考えか?

信長と名古屋辯

大河ドラマ「太閤記」で秀吉を演じた緒形拳、「おんな太閤記」で北政所(ねね、おね、高台院)を演じた佐久間良子、「徳川家康」で家康を演じた滝田栄、「信長」で信長を演じた緒形直人、いずれも関東出身。大河で豊臣秀吉と徳川秀忠を演じた西田敏行は福島県出身。
2:55 - 2014年9月26日:Twitterで表示された日時

大河ドラマの家康と信長は主人公になると役者が日頃のイメージからかけ離れていた(「徳川家康」:滝田栄、「信長」:緒形直人)。むしろ「おんな太閤記」でフランキー堺が演じた家康、「徳川家康」で役所広司が演じた信長の方が「いかにも」という感じだった。

時代劇の信長と秀吉は尾張辯(名古屋辯)を話すのが自然なはずだという意見がある。すると中井貴一が「八代将軍吉宗」で尾張宗春を演じた時、台詞が名古屋辯でなかったらおかしいし、「天地明察」で水戸光圀を演じた時の台詞が茨城辯でないのもおかしいのか?

「京都地検の女」と「科捜研の女」で、登場人物の台詞に関西辯がないとおかしいのか。「巨人の星」で金田正一は愛知出身なのに関西辯で話していた。本人がそうだったのだろうか。テレビで話しているのを見ても東京語だったが。

「巨人の星」では阪神の田淵、掛布の台詞が関西辯だったが、両者は関東人。なぜ関西辯かわからないが、梶原一騎が「阪神の選手なら関西辯」と思ったのか?水島新司の「野球狂の詩」と「ドカベン」では江夏の台詞が関西辯で、田淵と掛布は関東のことばで話していた。


西田敏行が大河で演じた役を振り返ると、西郷隆盛役の時は台詞が鹿児島辯で、西郷頼母役では東北辯。一方、東海地方出身の豊臣秀吉(尾張国愛知郡中村郷)と徳川秀忠(遠江国浜松、静岡県)、近畿の紀伊・徳川吉宗を演じた時の台詞は時代劇の江戸の武家ことば。紀州はともかく中京の方言はやはり軽視されてるのか。

松方弘樹は東京府東京市(現23区)出身で、信長(1987年TBS「太閤記」)と家康(2009年「天地人」)を演じた。松方弘樹は「愛と野望の独眼竜 伊達政宗」(1995年TBS)では秀吉も演じたらしいが、自分はこれを見ていない。

「殿さま風来坊隠れ旅」で三田村邦彦が紀伊藩主・徳川治貞を、西岡徳馬が尾張藩主・徳川宗睦を演じたが、両者とも台詞は完全な江戸の武士のことば(あくまで時代劇で慣用のことば)で、西岡徳馬の台詞はべらんめえ調。和歌山辯や名古屋辯のかけらもなかった。

徳川家康の経歴を調べると、幼少期に人質にされたりして、三河と尾張(愛知)と駿府(静岡)の間を移動していたようである。すると家康が三河武士でありながら尾張の名古屋辯を使っていたとしてもおかしくないか?
11:22 - 2014年10月5日:Twitterで表示された日時

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三河(twilog)

参照
平成23年BLOG
AmebaBlog>歴史>〔『1リットルの涙』原作の三河辯
2011-02-03 15:49:32
 
平成26年BLOG
2014-09-06 09:59:00

2014-10-06 10:47:00

令和2年BLOG
2020年03月09日
2020-03-09 12:18:06
 
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