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時代劇の水戸黄門は何歳か(徳川光圀の年齢)…1

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2012/9/7(金) 午後 2:13
時代劇の水戸黄門は何歳か(徳川光圀の年齢)…1

TBS系列、ナショナル劇場の「水戸黄門」は、2代目水戸藩主・水戸光圀こと徳川光圀(1628~1700)を主人公とする時代劇だった。番組は1969年から2011年まで42年間放送されたが、劇中で描いていたのは光圀が1690年(元禄3年)に隠居してから1700年(元禄13年)に没するまでの10年間であり、劇中の光圀の年齢は数え年63歳から73歳までの間である。

「水戸黄門」では光圀晩年の10年以内を描いているため、「水戸黄門」終了の際にあった「水戸老公が42年の旅を終えた」というような表現は誤りである。
また、「史実」では光圀は1661年(数え年34歳)から1690年(同63歳)までの約30年間、水戸藩主を務め、隠居して10年後に没したので、藩主時代と隠居時代を合わせると40年弱、34歳から73歳までになる。その間、光圀は水戸と江戸の往復と同時に、鎌倉や日光、銚子、勿来(なこそ)、熱海などに足を延ばしたらしい。だから藩主時代と隠居時代を合わせれば、光圀は40年旅したことになる。
しかしドラマの「水戸黄門」で光圀の藩主時代が描かれたのは回想シーンを除くと石坂黄門第1シリーズ、第29部の第1話のみのようであった。作品のほとんどは光圀が老齢に達した後の10年間だけを描き、それで放送が足掛け40年も描いた。その時間軸上の意味でもこの番組には無理があり、限界に来ていたと言えよう。
ここで時代劇「水戸黄門」における光圀の年齢を検証してみる。

第1部(放送期間:1969年8月4日~1970年3月9日)
既に光圀(演:東野英治郎)は隠居しており、第2話「人生に涙あり」で光圀が藤井紋太夫(演:佐藤慶)を手討ちにしているので、おそらく元禄7年11月23日。和暦の元禄7年の大半は西暦1694年に相当するが元禄7年11月23日は陽暦で年明け後の1695年1月8日。この時期の光圀は元禄7年の数え年で67
www.cal-net.co.jp/mito/mito_01.html

東野英治郎は1907年生まれで、1969年には62歳になっていた。光圀の役を降りた年には75歳になっていた。東野英治郎は1994年に87歳の誕生日を前に他界した。

第2部(放送期間:1970年9月28日~1971年5月10日)
第33話「お犬さま罷り通る(江戸)」(第2部の最終回)で生類憐みの令の弊害が目立ち、光圀が弥七(演:中谷一郎)に命じて犬の皮(画面で見ると1匹分)を調達、柳沢吉保を通して将軍・綱吉に献上し、抗議の意を示した。
実際に光圀がそういうことをしたかどうかは意見が分かれるようだが、鈴木一夫「水戸黄門の世界」87ページによると元禄6年の12月に光圀が犬20匹分の犬を将軍に贈ったという噂が以前からあり、その噂のもとは元禄6年12月、綱條が從三位参議に昇進して将軍に「時服廿」を献上したことらしい。
元禄6年説を採用すると綱吉に犬の皮を送った光圀は数え年66
なお、元禄6年は大体西暦1693年に相当するが、元禄6年12月の場合、陰暦と陽暦の年明けの時期の差により、陽暦では1694年初めになっていた可能性がある。
www.cal-net.co.jp/mito/mito_02.html

第3
部(放送期間:1971年11月29日~1972年6月5日)
弥七が風車を投げつけた相手が、その風車を使って霞のお新(演:宮園純子)の父・仁平を殺害。お新は弥七の妻になる前で、弥七を父の仇と誤解する。弥七と八兵衛が仁平の墓に墓参。この墓から仁平は元禄3年(1690年)9月8日56歳没とわかる。当時光圀は63で、時代は光圀が隠居した年に戻っている。
しかしこのシリーズでは小笠原佐渡守が老中になって、水戸まで光圀に挨拶に来ており、小笠原の老中就任は元禄10年(1697年)で、光圀数え年70の時の出来事なので、この時点で時間軸の前後関係が破綻している。
www.cal-net.co.jp/mito/mito_03.html
 
第4部(放送期間:1973年1月22日~9月17日)
越後騒動(1679~1681)から14年後。すると1693年から1695年なので、光圀66歳から68までの時期。水戸から江戸に来た光圀が八兵衛に「どうじゃ、江戸も2年見ない間ににぎやかになったじゃろ」と言っていた。光圀自身が2年ぶりに江戸に来たのか、それとも八兵衛が2年ぶりに江戸に来たのかよくわからないが、もし光圀にとって江戸が2年ぶりだったとすると、1692年以降であるから計算が合う。
なお、2010年10月11日放送の第42部第1話「お前は助さん俺は格さん」では光圀は1691年に江戸を訪れたことになっている。
第1話で光圀が松尾芭蕉の「おくのほそ道」の本を所持していた。芭蕉の「おくのほそ道」の旅は光圀隠居の前年、1689年であった。
www.tbs.co.jp/mito/mito4
www.cal-net.co.jp/mito/mito_04.html

第14
(放送期間:1983年10月31日~1984年7月9日)
西村黄門第1シリーズ。第27話「殿様を泣かせた娘(勝山)」では勝山(福井県)の藩主が変わって2年後という設定。小笠原貞信が1691年から1701年まで藩主だったので、該当するのは1692年または1693年。光圀隠居の2年後か3年後なので、光圀は65歳か66

西村晃は1923年生まれで、水戸黄門役になったのは還暦の時。降板は69歳の時で、1997年に74歳で没している。

第28部(放送期間:2000年3月6日~11月20日)
佐野黄門最終シリーズ。初代弥七は中谷一郎の高齢のためか前の第27部を最後に降板しており、光圀(演:佐野浅夫)のお供は助三郎(演:あおい輝彦)・格之進(演:伊吹吾郎)・お銀(演:由美かおる)・飛猿(演:野村将希)・八兵衛(演:高橋元太郎)のみである。
第17話「暴れん坊は紀州の若様(京都)」で後(のち)の徳川吉宗が登場し、茂山逸平が演じた。劇中では吉宗の名前が「新之助頼方(よりかた)」で、吉宗は1696年の元服時に「源六」から「頼方」に改名したらしいので、第17話の時代設定は1696年よりも後(あと)になるはず。
光貞が紀伊藩主だったのは1698年までなので、時代は1696年から1698年までの2年間に絞られる。光圀の年齢は69歳から71歳まで。
ただし第38部の例にみられるように劇中で吉宗(新之助、源六、頼方)の名乗る名前がそのまま「元服前か後か」の目安になるとは限らない。

「水戸黄門」では悪い金貸しが付き物で、借金の証文がよく出てくる。第28部の第20話「浪花娘のうな丼勝負(大坂)」も同様で、証文の左端の文末をよく見れば元禄何年か特定できたかも知れないのだが、映るのは一瞬であるし、こういうシーンを全部チェックすることはなかなかできない。「水戸黄門」はどのシリーズでも借金をしている側は善人で、借金棒引きが善行という価値観が貫かれていた。(佐野浅夫は『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』で借金を返さずに踏み倒している男を演じていた)。

第28部第23話「最強の敵現る!危うし白鷺城(姫路)」で姫路の若君が誘拐される話がある(もちろん助・格・飛猿・お銀の働きで救出された)。藩主は光圀(演:佐野浅夫)の甥・本多忠国(演:中島久之)で、若君は忠国の息子であるが、忠国の後を継いだのは三男の忠孝で、忠孝は1698年生まれ。光圀没年で忠孝はまだ3歳。だから劇中の若君は忠孝でなくその長兄か次兄(忠国にとって長男または次男)と思われる。
第28部第24話「恋した人は謎の隠密(赤穂)」は元禄赤穂事件の少し前の赤穂が舞台で、赤穂が塩の作り方を秘密にする余り、他国からの来訪者を片っ端からとらえてよくに調べず処刑するなど、赤穂が滅茶苦茶をやっていた。赤穂の塩の作り方を探るため吉良から使者=密偵(演:舟木一夫)が来ていた。大石内蔵助(演:横内正)は善人だが部下の悪事に気付かなかったという設定。
松の廊下の事件の何年前かはわからなかった。
なお、里見黄門になってからは、第42部第15話「内蔵助殿、助太刀致す」(2011年1月31日放送)でも赤穂が舞台となっており、 市川右近が大石を演じた。
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