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『江~姫たちの戦国~』における茶々(淀)

小説『江』では家康が秀忠に将軍の座を譲ったとき、淀は激怒し、「われらに甘さがあったのやもしれぬ。やはり、武力でもって天下人の座を奪い返すほどの気構えでおらねばならなかったのじゃ」「お江……そなたに手立てはなかったものか……」と嘆いた。

しかし、淀が豊臣の妻として生きていたように、江も徳川の妻として生きていたわけで、江が関ヶ原や大坂夏の陣を防げなかったように、淀も朝鮮出兵や秀次への処分をふせぐことはできていない。
市ですら、信長が浅井に送りこんだスパイのような立場だったが、よく言われる「小豆の袋」すらも市は送っていない。嫁いだ先の家のために戦うのが戦国の姫であった。
戦国時代の女がいくら「戦は嫌」と言っても戦は起きたのだし、淀に至っては戦をしてでも天下を奪還しようとして自滅した。

小説『江』で淀は自害の際、「母上、申し訳ありませぬ、私は浅井の血脈を遺すことができませんでした、されどあとは必ずや、江が……」と心の中で市に詫びた。
では、淀は浅井の血脈を残すにはどうすればよかったのか。

何もしなければよかったのである。
家康が征夷大将軍になろうが、豊臣の石高が減ろうが、秀忠が第2代将軍になろうが、何も気にせず、秀頼や千姫と生活していればよかったのである。
そうすればいずれ秀頼と千姫の間に子供が生まれ、織田と豊臣と徳川という三傑の家の血が混ざりあい、豊臣家は江戸時代264年を外様大名として存続、あるいは紀伊徳川家との縁組もできて、現代まで豊臣と浅井の血は存続したはずである。

もともと豊臣の天下というのは、羽柴秀吉が織田家から暫定的に預かっていた政権を横取りした結果である。本能寺の変のあとの清洲会議で、秀吉は後継者として信長の孫・三法師を担ぎあげた。家康が秀頼の後見役を名乗りながら政権を奪ったのはその繰り返しである。
秀吉の失態は秀次と秀勝を死に追いやったことで、もし両名が生きていれば秀頼の後見人となって、淀にとっては家康より信頼できたはずだ。
浅井三姉妹は織田家の血も受け継いでいる。
もし淀と秀頼が徳川政権を承認して生き続けていれば、織田家の血を受け継いだ豊臣家が江戸の幕政に参加することも可能だったはずだ。

皮肉なことに明智光秀の明智家と織田信長の織田家、そして徳川家は今も存続している。
淀は結果として豊臣の存続でなく滅亡を選んだわけだが、それは結局、茶々が秀吉を親の仇として憎んでいたことに起因するのだろう。『江』第2話で秀吉との出会いの際に茶々が秀吉を「父・浅井長政の仇」と見なしたことから淀と秀吉の悲劇は始まっていた。

江が徳川の妻として浅井の血を残してくれることがわかった時点で、淀は(というよち茶々は)大坂城で豊臣家と心中することで浅井長政の仇を討ってしまったことになる。

なお、浅井の血脈は江の息女・豊臣完子の子孫・貞明皇后(大正天皇の皇后)を通じて今の皇室に受け継がれている。
江と徳川秀忠の血は家光から家継までで途絶え、江の子孫は前夫・秀勝との間に生まれた完によって受け継がれたというのも皮肉ではある。

完の父・秀勝は秀吉の姉の子なので、秀吉の直系ではないが、秀吉を生んだ木下家の血を受け継いでいる。江の子孫も信長の直系でないが信長の妹の血を受け継いでいる。今の皇室は織田と豊臣の血を継承しているわけだ。
近代になって徳川家と皇室の間で縁組があったかどうかわからないが、もしあれば三傑の血が混ざっている可能性がある。

家康と秀忠が秀頼と淀に挨拶したとき、淀が秀忠に「あの子(江)は気が強いように見えて傷つきやすいので、よろしく頼む」と言っていた。姉というより母親のような言い方になっていた。
千姫婚礼での3姉妹再会は、寸前までは豊臣、京極、徳川の立場での再会を前にした緊張があったが、3人が会ってみると、身重で走る江に淀が「走ってはならぬ」と注意するなど、互いに気を使う昔どおりの浅井3姉妹に戻っていた。

もし、関ヶ原のあと、秀頼と高台院と豊臣家臣が組んで淀を追放、監禁し、徳川の要求を受け入れていれば、夏の陣で豊臣が滅ぶこともなかった。『おんな太閤記』で豊臣が劣勢となったとき、淀は「みな北政所のせいじゃ。家康と組んで政所は豊臣を潰すおつもりか」と怒っていたが、結果として豊臣を滅ぼしたのは淀である。
豊臣と徳川はもともと織田の家臣同士である。秀頼は徳川の要求に応じる姿勢をたびたび見せたが淀が妨害し、豊臣を滅ぼすこととなった。豊臣家が淀を早いうちから「他者」として排除していれば豊臣も外様大名として明治維新まで存続できただろう。

一方の春日局も問題だ。江に向かって「徳川が豊臣を滅ぼしてくれることを信じている」と言っていた。しかし淀も江も秀吉を親の仇として憎んでいて、その後、豊臣の時代に嫌々ながら適応していった身である。江は秀吉の最期まで秀吉を恨む台詞を本人に言っていた。やたらおしゃべりな江がそれをお福に言わなかったのはまことに不可解だが、秀吉没後、江にとっての豊臣が姉・淀と甥・秀吉とむすめ・千のいる家になったこともあるだろう。それを考えずに平気で豊臣への恨み事を言うお福はさすがに江より年下の「子供」だが、上野樹里より17歳年上の富田靖子が演じているので、いっそう嫌味な女に見えた。

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2011年9月

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江~姫たちの戦国~ 淀
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