1月17日5時46分を迎えました。
阪神大震災と震災関連でなくなられた人々のことを思い、黙祷をささげます。
あれから19年。今年もこの日を祈りの日にしよう。
震災のことを書くとき、いつもちょっとうしろめたさがある。
他人に話すような深刻なことは何も経験していない。
だから、そのせいで胸の奥底にずっとしまっていた思いがある。
それは母に対して申し訳ないという気持ち。
あの日、同じ神戸なのに実家がものすごく遠かった。
家族や親族と、とりいそぎ無事だったことを電話で確認し合ったものの、
両親の様子を見に行くことができないのがつらかった。
病気の父を抱え、母はどんなにか不安だっただろうと思う。
あの時は、車で10分のところに住んでいる姉の家族にまかせっきりだった。
直接の原因ではないにせよ、震災を機にあきらかに弱っていった母のこと
を思い出すにつけ、あの時すぐにかけつけられたらよかったのにと思う。
神戸の西と東。
まず、道が寸断されており、住居地区が孤島状態だったため脱出できなかっ
たこと。やっと出られるようになってからも、高速道路がなくなったため、
山側の迂回路に交通集中が起きてしまったこと。
さらに、たまたまその年に共同住宅の役員をしていたため、そちらでの対応
に追われ、気になりながらも実家に向かうことができなかったこと。
近くて遠いとはこのこと。
家族の事情は一様に同じではないし、震災にまつわる痛みもさまざまだと思う。
私にはこのときの歯がゆさと後悔が今も残ったまま。
横転した高速道路。復旧までに5年はかかると当初は言われていたのに、
なんと1年10カ月で復旧、開通してしまった。
あれにはホントに驚いた! まあ日本の経済を動かす道路だからね~。
それに比べると、人間の心の傷が復旧、開通するのに時間のかかること。
震災後、たしかに新しい建物がどんどんでき、見た目はきれいになったけれ
ど、企業が移転したり、見慣れた風景がなくなったりして少しサビシイ。
変わらないものもある。
それは坂を上って、山のほうから見下ろした神戸の風景。
リリーさんと深津さんが某住宅会社のCMで登っている山がまさにそう。
(高層ビルが増えたけれど)この地形と眺望は街のアイデンティティと
いえるもの。この風景を見ているだけで力がわいてくる。
阪神大震災と震災関連でなくなられた人々のことを思い、黙祷をささげます。
あれから19年。今年もこの日を祈りの日にしよう。
震災のことを書くとき、いつもちょっとうしろめたさがある。
他人に話すような深刻なことは何も経験していない。
だから、そのせいで胸の奥底にずっとしまっていた思いがある。
それは母に対して申し訳ないという気持ち。
あの日、同じ神戸なのに実家がものすごく遠かった。
家族や親族と、とりいそぎ無事だったことを電話で確認し合ったものの、
両親の様子を見に行くことができないのがつらかった。
病気の父を抱え、母はどんなにか不安だっただろうと思う。
あの時は、車で10分のところに住んでいる姉の家族にまかせっきりだった。
直接の原因ではないにせよ、震災を機にあきらかに弱っていった母のこと
を思い出すにつけ、あの時すぐにかけつけられたらよかったのにと思う。
神戸の西と東。
まず、道が寸断されており、住居地区が孤島状態だったため脱出できなかっ
たこと。やっと出られるようになってからも、高速道路がなくなったため、
山側の迂回路に交通集中が起きてしまったこと。
さらに、たまたまその年に共同住宅の役員をしていたため、そちらでの対応
に追われ、気になりながらも実家に向かうことができなかったこと。
近くて遠いとはこのこと。
家族の事情は一様に同じではないし、震災にまつわる痛みもさまざまだと思う。
私にはこのときの歯がゆさと後悔が今も残ったまま。
横転した高速道路。復旧までに5年はかかると当初は言われていたのに、
なんと1年10カ月で復旧、開通してしまった。
あれにはホントに驚いた! まあ日本の経済を動かす道路だからね~。
それに比べると、人間の心の傷が復旧、開通するのに時間のかかること。
震災後、たしかに新しい建物がどんどんでき、見た目はきれいになったけれ
ど、企業が移転したり、見慣れた風景がなくなったりして少しサビシイ。
変わらないものもある。
それは坂を上って、山のほうから見下ろした神戸の風景。
リリーさんと深津さんが某住宅会社のCMで登っている山がまさにそう。
(高層ビルが増えたけれど)この地形と眺望は街のアイデンティティと
いえるもの。この風景を見ているだけで力がわいてくる。