星月夜に逢えたら

[hoshizukiyo ni aetara] 古都散策や仏像、文楽、DEAN FUJIOKAさんのことなどを・・・。 

「レ・ミゼラブル 終わりなき旅路」感想。

2019-01-07 | DEAN FUJIOKA

今朝の神戸の空と海。浄化された馬場純みたいに清々しい朝だった。

昨夜のドラマ「レ・ミゼラブル 終わりなき旅路」。
一般的な話はさておき、神戸に住んで震災を体験した者にとってこのドラマは感慨深さもひとしお。たまたま神戸をロケ地にドラマを撮ったのではなく、神戸が意味のある起点として描かれていたことがうれしかった。

戦後のドサクサという言葉がかつてあった。震災のドサクサ、、、というのだろうか。近隣の者どうしが助け合ったという温かい思い出もある一方で、精神的にかなりキツかった。経済的打撃も大きかった。大人も無理して我慢して生きていたのだから、言葉で言えない子供たちはなおさら辛かったはず。平成のはじめ頃に純や拓海と同じ年頃だった子供たちはその後どんな人生を歩んだのだろう。他の地域に住んでいたら違う人生になっていたのだろうか。
純はまさにその震災のドサクサに紛れて、親友から人生を託され、他人として生きることになった。携帯電話が普及したのは阪神淡路大震災がきっかけだったと聞く。まだそんな時代だったんだ。
生き残った者にとっては、自分が生かされた意味を問い続けるしかない。それが私たちにとっての平成という時代。

大人になった二人が最後に神戸に帰ってきたことにも感動した。最初に純ひとりが歩いているシーンでわおお!となった。ビーナス・ブリッジやん!その後に涼介も加わる。おたがいにそれぞれが自分の荷物をおろして、シンプルに人と人として向き合い立っていた。このシルエットがすごくいい!
ビーナス・ブリッジ。海を見下ろすこの風景は神戸のシンボリックなスポット。二人の背景として神戸港や市街地が俯瞰できる。ドラマ中でも最も美しいシーンだった。ここをただの風景写真にしないで、とても意味のある場所として描かれたことが本当にうれしい。





もう偽りの生き方をしないで、馬場純として生きる。お待たせしましたという純は本当に浄化された顔をしていた。自分が生かされていたことの意味。その答えを人生半ばで見つけてしまった純には、もう生きる必要はないとも取れる表情がうかがえる。それを察知したのか、涼介が純にかける言葉がすっごくよかった。
「あなたをゆるしはしない。あなたもわたしの父をゆるさなくていい」。ここで目覚めたようにハッと顔をあげて涼介の顔を見つめる純。驚いたような顔が絶妙。「それでいいんだ」の涼介の言葉にあらためて頭を下げる純。ゆるさなくていい、ってなんて救いのある言葉なんだろう。ゆるしはしないって、なんて温かい言葉なんだろう。濁りもまた生きる糧。この言葉は「生きろ!生きてくれ」と同義語。ゆるさなくていい、という言葉が赦しになっている。こんなシチュエーションは初めてだ。なんて深いシーンなんだろう。

今回ずっと受け身的な演技でケレン味を一切排し、笑顔を前面に出してとても穏やかに感情を表現していたディーンさんに驚いた。モンクリの真海を演じた人ととても同じ人とは思えない。だからこそのこのラストシーンのうろたえたような驚きと感謝の表情がいっそう心に残る。年齢を経た白髪混じりの顔もなんて素敵なんだろう!!!
そして、純とは対照的に、追う者の苦悩と感情の起伏を見せられるだけ見せてくれた涼介。井浦新さんの赦しのセリフはドラマ中で一番感動的だった。井浦さんの言葉を借りれば「ありがち」じゃないラスト。ゆるさないって言ってくれたあの顔をありがとう。

終着点を神戸にしてくれてありがとう!!

まずは神戸編の感想。一般的な感想はまたあらためて。

(追記しました)
大事なこと書き忘れてた!大雑把な関西弁じゃなく、ちゃんとした神戸弁をありがとう(純と拓海)。



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