公演名 京都創生座 第3回公演「四神記 神降る都の物語」
劇場 弥栄会館(やさかかいかん)
観劇日 2009年3月21日(土)
能・狂言・歌舞伎・舞踊・邦楽による伝統芸能のコラボレーション公演。演目は京都創生座のオリジナル新作だそう。
個人的には、日頃徘徊しながら見聞きする京都の姿を重ねたり、思想と伝説に彩られた古都の成り立ちに想いを馳せたり。
私には自然破壊への警鐘よりも、ミステリアス京都にますます興味がわく内容だった。
<出演>
男:片山伸吾(観世流能楽師)
武者:豊嶋晃嗣(金剛流能楽師)
青龍 片岡愛之助(歌舞伎役者)
朱雀:尾上青楓(日本舞踊尾上流)
白虎 宇靍竜成(金剛流能楽師)
玄武:片山紫乃
イノシシ:茂山正邦(大蔵流狂言師)
シカ:茂山茂(大蔵流狂言師)
能楽囃子
笛:左鴻泰弘 小鼓:曽和尚靖
大鼓:谷口有辞 太鼓:前川光範
長唄:杵屋勝彦・杵屋浩基連中
邦楽囃子:中村寿慶連中
尺八:岡田道明
地歌
箏・三弦:野田友紀、北村みゆき
地謡:武田邦弘、古橋正邦、吉浪壽晃、宮本茂樹
後見:味方玄、豊嶋幸洋、大江信行
脚本:平山聡子 演出:前原和比古
<ものがたり>
かつては四神に守られ豊かな自然とともに繁栄を遂げた都。
しかし、開発の名の元に進められてきた環境破壊によって、その美しい姿は失われようとしていました。
開発を推し進める権力者の求めに応じ、家来となった純粋な一人の男が、自分たちにとって本当に大切なものは何なのかに気づき、過ちを正すために新たな戦い挑みます。
(京都創生座 公式サイトより)
青龍、朱雀、白虎。玄武。
かつての帝が中国の四神相応の思想にそって、造営したといわれる都。あるとき、帝が自然を壊して都の開発を進めようとするので、四神たちが怒り始めた。神が邪魔になった帝は、四神と闘う強者を募る。そこに現れた一人の男、帝の命に従うと言う。男と四神の対決だ!
気がつくと、愛之助さんの青龍が舞台中央奥に立っていた。
(もうちょっと劇的な出方を期待していたけれど、静かな登場だった~。)
ここで名乗り。「私は都の東を守護する青龍でござる」。
獅子のような髪をつけ、隈取ではないが、きりっとした化粧。
(凛々しくてカッコいい顔。四神の一つにふさわしく大きさも品格もある。)
衣装は黒と金色。裃には渦巻雲、大口袴には水(波模様)が描かれている。右手には小さな棒(?)を持ち、左手は3本の指(親指・人差し指・中指)を爪を立てるように動かし、登場するなり、勢いよく足先をあげている。
下手に男、上手に青龍。青龍は警戒しながら目の端で相手をとらえている。鋭く、よく動く眼。
男が言う。「お前がいると洪水が起きる」。
「私がいるのは人を守るため」と青龍。
短い立ち回りのようなものがあり、男の周りを舞う青龍。ときどき歌舞伎の力足のようなにじり寄るポーズが入る。そしてついに、男は大きな棒で青龍の胴を打つ。(一瞬、金属バットかと思うような恐ろしげな棒だった。)
うずくまる青龍。「悔しやな。もはやこれまで」。(そんな~っ、あきらめんといて~。もっと頑張って~!と、心で叫ぶ私。)
最後に青龍がこんな言葉を残す。「失するのはやすきこと。すぐにでも消えよう。だが、本当に人を救い給えるのは誰ぞ」 。
次に下手花道から登場するのは、赤い衣裳をまとった朱雀。
頭には鳥を思わせる飾り。扇をひらひら優雅に動かして、舞うような、ときどき飛び立つような動きを見せる。
さすが日本舞踊の尾上青楓さん、華のあるきれいな人だ。
(前にも能・狂言・演劇によるコラボな舞台「夜叉ケ池」で拝見。)
朱雀も同様に男によって倒され、同じ言葉を残す。
「失するのはやすきこと。すぐにでも消えよう。だが、本当に人を救い給えるのは誰ぞ」 。
続いて下手花道から現れたのは、年老いた鬼のような顔(お面)。横から見ると、白い虎の絵が頭についているので、白虎とわかった。(虎の絵が平面的でペラペラしているのがちょっと笑えた。スミマセン!)
白虎も倒れ、同じ言葉を残す。
(ここから先がかなりウロ覚えです~。)
次は玄武か? と思いきや、屋根の上に子供が立っている。「失われてゆくものたちを救えるのはいったい誰なのか?」子供の言葉を男がじっと聞いていた。(ここ、私には理解できなかった部分。子供はいったい誰?)
途中で休憩、ではなく、狂言タイム。
「私は東山に住む雌鹿」なんて名乗ったかと思うとグゥグゥ寝ているイノシシを起こし、漫才っぽい会話を始める。
なんだか現代っぽい単語や、リアルタイムな話題を取入れ、笑わせてくれる。鴨川べりに等間隔に並ぶカップルたちの話や、同じく鴨川沿いの樹木でよく見かけるトンビの話が、特にリアルで身近に感じられた。
水がなかったら人がどれだけ困るかという話をなにげに伝える狂言師の二人。物語をわかりやすく補足して、姿を消す。
花道から登場した男。衣裳には鱗模様がついている。男の体に異変が起きていた。
鳥の羽根、龍の尻尾、白虎の足が体に生え、人間の声を失い、物の怪となってしまっていた。今やそれらが動くたびに災いが起きるのだ。
都には川がなくなり、道も壊され、干上がった場所で人々が苦しんでいる。自分がしたことの過ちに気づき、嘆く男。そんな男を帝は殺そうと狙っているらしい。
再び、子供が屋根の上に立つ。「我は玄武である。人を救えるのは人。都から消えた神を呼び戻せ」と。
男は御所の上で鳴き叫ぶようになった。このままではいけないと、警告を伝えるために。
が、ついに男は殺されてしまう。
男を見守るように、再び最後に現れる青龍、朱雀、白虎。
男の心からの叫びが神に届いたということなんだ、と私は理解したけれど。
間違っているかもしれない・・・。
(ただのカーテンコールの意味合いだけじゃないと思いたい。どちらにして
も、最後にまた愛之助さんのお顔が見られたのがうれしかったけど~♪)
パンフレットにあった一文より。
「自然を壊すのは人間。でも、救えるのも人間。何よりもそれができるのは、
気づいたあなた自身だということ。」
これが脚本を書かれた平山聡子さんの一番伝えたかったテーマだそうです♪
もう一つ。これも同じく平山さんが書かれていたこと。
船岡山の近くにある「玄武神社」には行ったことがあるのに、ご神体が子供
の姿をしていたなんて全然気づかなかったことがザンネン!
それがわかっていれば、屋根の上の子供にピンときたはずなのに。
(上の写真はその玄武神社)
<3/26訂正追記>
パンフレットによれば、童形の玄武とは玄武神社ではなく、船岡妙見社の
玄武大神のようです。1207年発行の『霊符縁起集説』には「玄武神は今の
妙見菩薩にして童形なり」とある、とのこと。
京都創生座と今藤佐敏郎さんの舞台から(このブログ内の関連記事)
劇場 弥栄会館(やさかかいかん)
観劇日 2009年3月21日(土)
能・狂言・歌舞伎・舞踊・邦楽による伝統芸能のコラボレーション公演。演目は京都創生座のオリジナル新作だそう。
個人的には、日頃徘徊しながら見聞きする京都の姿を重ねたり、思想と伝説に彩られた古都の成り立ちに想いを馳せたり。
私には自然破壊への警鐘よりも、ミステリアス京都にますます興味がわく内容だった。
<出演>
男:片山伸吾(観世流能楽師)
武者:豊嶋晃嗣(金剛流能楽師)
青龍 片岡愛之助(歌舞伎役者)
朱雀:尾上青楓(日本舞踊尾上流)
白虎 宇靍竜成(金剛流能楽師)
玄武:片山紫乃
イノシシ:茂山正邦(大蔵流狂言師)
シカ:茂山茂(大蔵流狂言師)
能楽囃子
笛:左鴻泰弘 小鼓:曽和尚靖
大鼓:谷口有辞 太鼓:前川光範
長唄:杵屋勝彦・杵屋浩基連中
邦楽囃子:中村寿慶連中
尺八:岡田道明
地歌
箏・三弦:野田友紀、北村みゆき
地謡:武田邦弘、古橋正邦、吉浪壽晃、宮本茂樹
後見:味方玄、豊嶋幸洋、大江信行
脚本:平山聡子 演出:前原和比古
<ものがたり>
かつては四神に守られ豊かな自然とともに繁栄を遂げた都。
しかし、開発の名の元に進められてきた環境破壊によって、その美しい姿は失われようとしていました。
開発を推し進める権力者の求めに応じ、家来となった純粋な一人の男が、自分たちにとって本当に大切なものは何なのかに気づき、過ちを正すために新たな戦い挑みます。
(京都創生座 公式サイトより)
青龍、朱雀、白虎。玄武。
かつての帝が中国の四神相応の思想にそって、造営したといわれる都。あるとき、帝が自然を壊して都の開発を進めようとするので、四神たちが怒り始めた。神が邪魔になった帝は、四神と闘う強者を募る。そこに現れた一人の男、帝の命に従うと言う。男と四神の対決だ!
気がつくと、愛之助さんの青龍が舞台中央奥に立っていた。
(もうちょっと劇的な出方を期待していたけれど、静かな登場だった~。)
ここで名乗り。「私は都の東を守護する青龍でござる」。
獅子のような髪をつけ、隈取ではないが、きりっとした化粧。
(凛々しくてカッコいい顔。四神の一つにふさわしく大きさも品格もある。)
衣装は黒と金色。裃には渦巻雲、大口袴には水(波模様)が描かれている。右手には小さな棒(?)を持ち、左手は3本の指(親指・人差し指・中指)を爪を立てるように動かし、登場するなり、勢いよく足先をあげている。
下手に男、上手に青龍。青龍は警戒しながら目の端で相手をとらえている。鋭く、よく動く眼。
男が言う。「お前がいると洪水が起きる」。
「私がいるのは人を守るため」と青龍。
短い立ち回りのようなものがあり、男の周りを舞う青龍。ときどき歌舞伎の力足のようなにじり寄るポーズが入る。そしてついに、男は大きな棒で青龍の胴を打つ。(一瞬、金属バットかと思うような恐ろしげな棒だった。)
うずくまる青龍。「悔しやな。もはやこれまで」。(そんな~っ、あきらめんといて~。もっと頑張って~!と、心で叫ぶ私。)
最後に青龍がこんな言葉を残す。「失するのはやすきこと。すぐにでも消えよう。だが、本当に人を救い給えるのは誰ぞ」 。
次に下手花道から登場するのは、赤い衣裳をまとった朱雀。
頭には鳥を思わせる飾り。扇をひらひら優雅に動かして、舞うような、ときどき飛び立つような動きを見せる。
さすが日本舞踊の尾上青楓さん、華のあるきれいな人だ。
(前にも能・狂言・演劇によるコラボな舞台「夜叉ケ池」で拝見。)
朱雀も同様に男によって倒され、同じ言葉を残す。
「失するのはやすきこと。すぐにでも消えよう。だが、本当に人を救い給えるのは誰ぞ」 。
続いて下手花道から現れたのは、年老いた鬼のような顔(お面)。横から見ると、白い虎の絵が頭についているので、白虎とわかった。(虎の絵が平面的でペラペラしているのがちょっと笑えた。スミマセン!)
白虎も倒れ、同じ言葉を残す。
(ここから先がかなりウロ覚えです~。)
次は玄武か? と思いきや、屋根の上に子供が立っている。「失われてゆくものたちを救えるのはいったい誰なのか?」子供の言葉を男がじっと聞いていた。(ここ、私には理解できなかった部分。子供はいったい誰?)
途中で休憩、ではなく、狂言タイム。
「私は東山に住む雌鹿」なんて名乗ったかと思うとグゥグゥ寝ているイノシシを起こし、漫才っぽい会話を始める。
なんだか現代っぽい単語や、リアルタイムな話題を取入れ、笑わせてくれる。鴨川べりに等間隔に並ぶカップルたちの話や、同じく鴨川沿いの樹木でよく見かけるトンビの話が、特にリアルで身近に感じられた。
水がなかったら人がどれだけ困るかという話をなにげに伝える狂言師の二人。物語をわかりやすく補足して、姿を消す。
花道から登場した男。衣裳には鱗模様がついている。男の体に異変が起きていた。
鳥の羽根、龍の尻尾、白虎の足が体に生え、人間の声を失い、物の怪となってしまっていた。今やそれらが動くたびに災いが起きるのだ。
都には川がなくなり、道も壊され、干上がった場所で人々が苦しんでいる。自分がしたことの過ちに気づき、嘆く男。そんな男を帝は殺そうと狙っているらしい。
再び、子供が屋根の上に立つ。「我は玄武である。人を救えるのは人。都から消えた神を呼び戻せ」と。
男は御所の上で鳴き叫ぶようになった。このままではいけないと、警告を伝えるために。
が、ついに男は殺されてしまう。
男を見守るように、再び最後に現れる青龍、朱雀、白虎。
男の心からの叫びが神に届いたということなんだ、と私は理解したけれど。
間違っているかもしれない・・・。
(ただのカーテンコールの意味合いだけじゃないと思いたい。どちらにして
も、最後にまた愛之助さんのお顔が見られたのがうれしかったけど~♪)
パンフレットにあった一文より。
「自然を壊すのは人間。でも、救えるのも人間。何よりもそれができるのは、
気づいたあなた自身だということ。」
これが脚本を書かれた平山聡子さんの一番伝えたかったテーマだそうです♪
もう一つ。これも同じく平山さんが書かれていたこと。
船岡山の近くにある「玄武神社」には行ったことがあるのに、ご神体が子供
の姿をしていたなんて全然気づかなかったことがザンネン!
それがわかっていれば、屋根の上の子供にピンときたはずなのに。
(上の写真はその玄武神社)
<3/26訂正追記>
パンフレットによれば、童形の玄武とは玄武神社ではなく、船岡妙見社の
玄武大神のようです。1207年発行の『霊符縁起集説』には「玄武神は今の
妙見菩薩にして童形なり」とある、とのこと。
京都創生座と今藤佐敏郎さんの舞台から(このブログ内の関連記事)
メッセージ性が強いものはドン引きになることが多いですが、これは枠組がしっかりしていました。長唄と地謡の掛け合いが最高でした。みなさま美声やしぃ。題材、衣装も満点。
ただ、朱雀は死して久しく、玄武は孤立し、白虎はリニューアル。変わらないのは青龍のみという都の現状を省みれば、人間が神々に復讐される結末の方が、観客にストンと落ちるように思いました。いちばんあかんのは権力者。手先が切り捨てられてよかったねでは、劇作家も同じ走狗やないかいという気がしました。
良い舞台を見られて羨ましいです。
やさかかいかんという読み方もやっとわかりました。
私は、尾上青楓さんが大好きなんです。二度ほど舞踊を見ましたが、お金があったらこんな先生に日本舞踊を習いたいものだわ、と思ってしまうような素敵な若先生でした。座布団に座って扇子を持ってしゃべっていると、そのまま落語を始めてもおかしくないくらい、しゃべりもお上手でした。夜叉が池にも出られたんですね。私も機会があったら舞踊以外の舞台でも拝見したいです。
能は数えるほどしか観ていない私には正直難しかったです(苦笑)
陰陽五行に基づき四神を置いた平安京には以前から興味があるのですけどね。
途中の狂言でシカとイノシシが、あの「男」に起こったことを話してくれたから、そういうことか、と気づいたような次第…。
結局、男が気づいた時には、自然を破壊する者でしかなかった。
その男の身体に異常をきたしたのは神の戒めだったのでしょうね。
地謡が下手で、長唄が上手で。最初は不思議な気が
しましたが、これがよかったんですよね~。
文楽の床の位置からは、女性奏者の箏・三弦の音色が
聴こえてくるのもよかったです。
鼓が上手と下手にあるのは初めて経験しました。
> ただ、朱雀は死して久しく、玄武は孤立し、
> 白虎はリニューアル。変わらないのは青龍のみ
舞台上では最後に神が復活したかのように、四神が東西南北に
配置されて再登場でしたから、希望のある終わり方に見えましたが、
事実上の都は仰せの通りなんですよね。
なかでも朱雀はもはや不死鳥になるのはかなわぬこと。
為政者は時空を俯瞰で見渡せる人でなければいけませんね。
京都を徘徊していると、四神も、菅原道真の怨念も、それから
幕末の志士の魂も・・・とにかくあらゆるものが今も存在している
ような気がして、リアルに感じてしまう私です~(笑)。
「やえいかいかん!」と叫んでタクシーに乗っても
絶対に連れていってもらえません(笑)。気をつけましょう。
場所は舞妓Haaaan!の祇園甲部歌舞練場のお隣でした。
ちなみに、平安京でいうと・・・
東の鴨川(青龍)、南の巨椋池(朱雀)、
西の山陰道または木嶋大路(白虎)、北の船岡山(玄武)が
四神相応の思想にそって造営されたとされているそうです。
(パッフレットよりウケウリ♪)
今回も別のことにつられて来ちゃったクチですから(笑)。
でも、まさかこういう舞台を見て、自然破壊のことを
考えるとは思いもよりませんでした。
> その男の身体に異常をきたしたのは神の戒め
私はそのように理解しました。
やったことを忘れさせないために。
難しいことはともかく、三響会と同じく、いろんな
伝統芸能の素晴しさに触れられて楽しかったです♪
平山聡子先生から、拙宅にコメントをちょうだいしました。作劇のご苦労も書いていただいてますので、ご覧ください。
ハズカシー。しょっぼーん。
直々になんて凄いじゃないですか。面白すぎます!
のちほどそちらにうかがいまーす。
とてもいい舞台でしたね。会場もぴったりでしたしぃ。もっと、ラフな感じかと思っていたら、重厚で、含蓄のあるものに仕上がっていましたね。音もとても良かったし、珍しい形式の舞台で満足しました。でも、相変わらず詳しい舞台のエントリですな。陋屋のい~加減なエントリとは大違い。
能も狂言も面白いですよ。今度よさげなのがあったら、お誘いしましょうかね。
最近は観劇まで京都づいている私です。
この作品は能がメインのようですが、意外にもとっつきやすくて
楽しめました。子供が登場してから「?」が点灯し、ちょっと
混乱したのですが、どら猫さんの本エントリのほうを読ませて
頂き、イロイロ正しい台詞を思い出しました~(汗)。
ありがとうございます。
でも、本当の能は難しそうだし、最初に見るのは歌舞伎と共通の
演目から始めようかなと思っているのですが・・・。