このページでは映画「宮城野」ディレクターズカット版を応援しています。
8月に神戸市立博物館で見た「ボストン美術館浮世絵名品展」。
なんといっても保存状態が素晴しく、最近刷ったのかと思える
ような色彩が印象的だった。
●「ボストン美術館浮世絵名品展 錦絵の黄金時代~清長、歌麿、
写楽」は巡回展なので、10月9日以降は名古屋ボストン美術館で
開催。その後東京・千葉・仙台へ。
三大絵師の浮世絵版画がこれほどまとまった形で見られるのは、
貴重な機会。ワクワクしながら鳥居清長、喜多川歌麿と進み、
いよいよ東洲斎写楽へ。
すると、一番最初にお目にかかれたのが「あのひと」だった。
あ、宮城野~♪
黒雲母を使った大胆な黒のバックに、役者のバストショット。
それまで「奇麗なお顔やわぁ~」とウットリ見てこられた絵の流
れを裁ち切るようなキョーレツな描き方にドッキン!
浮世絵の知識などほとんどない私に、映画「宮城野」(ディレク
ターズカット版)の中の台詞がスッと降りてきた。
それは写楽とおぼしき男が版元に語る言葉。
「私が描いているのは、化粧の下の素顔の奥底にある役者の、いや
人間の真だ。」
ほおお。
台詞の意味が急にリアリティをおびてきた。
目の前のその絵は「宮城野」という役柄を描いているのではなく、
役を通して見える中山富三郎という人間の本質を絵の中ににじま
せている、ということらしい。
“ぐにゃ富”と呼ばれたその役者のことは私は知らないけれど、
江戸時代の役者が、時を超えて動き出しそうなイキイキした絵に
つい微笑んでしまう。ムフフ。
「宮城野」の戯曲も映画も、この絵を描いたのは写楽のニセ絵師、
つまりゴーストアーチストの矢太郎であるという設定にしている。
私の頭に、宮城野の版下を手にした矢太郎の台詞がよみがえる。
「おれの反吐の塊だ」
「けど、もうろくじじいにこのみずみずしい絵が描けますかって
ほどの傑作だ」
晩年の手塚治虫さんが、フリーハンドで真円がきれいに描けなく
なってきた時の心境を語っておられたのを思い出す。
実際の写楽という絵師は生没年不詳だそうだけど、絵師にとって
本当にみずみずしい線が描けるのはほんの限られた時期だけ、と
いうことになるのかも。
写楽のコーナーに展示された“大首”といわれる役者絵の数々は、
誰が見ても文句なしに楽しめると思う。
浮世絵展の会場では、市川亀治郎さんがイヤホンガイドを通して、
仕掛人としての“版元”について楽しく解説してくれる。
この解説が面白い!
映画では・・・とりわけ写楽殺しのミステリー要素を強調したディ
レクターズカット版のほうでは、大物版元とおぼしき人物の存在
がはっきり浮かび上がるような構成になっている。
矢代静一氏が古書店で見てインスパイアされ、戯曲になったという、
浮世絵「宮城野」。
映画を見た人は浮世絵展を。浮世絵展を見た人は映画を。
それが私のオススメです。
私の場合。
戯曲と映画の「宮城野」に触れる機会がなければ、この1枚の絵
の前でじっと足を止めることはなかったはず。
いつからハマってしもたんやろう(笑)。
ニセ絵師、矢太郎に? この絵に? 映画に?
●ブログ内の関連記事(矢代静一原作の作品)
ひとり語り 弥々 観劇メモ
淫乱斎英泉 観劇メモ
●ブログ内の関連記事(宮城野関係)
マイブログでたどる映画「宮城野」&プチ完結♪
8月に神戸市立博物館で見た「ボストン美術館浮世絵名品展」。
なんといっても保存状態が素晴しく、最近刷ったのかと思える
ような色彩が印象的だった。
●「ボストン美術館浮世絵名品展 錦絵の黄金時代~清長、歌麿、
写楽」は巡回展なので、10月9日以降は名古屋ボストン美術館で
開催。その後東京・千葉・仙台へ。
三大絵師の浮世絵版画がこれほどまとまった形で見られるのは、
貴重な機会。ワクワクしながら鳥居清長、喜多川歌麿と進み、
いよいよ東洲斎写楽へ。
すると、一番最初にお目にかかれたのが「あのひと」だった。
あ、宮城野~♪
黒雲母を使った大胆な黒のバックに、役者のバストショット。
それまで「奇麗なお顔やわぁ~」とウットリ見てこられた絵の流
れを裁ち切るようなキョーレツな描き方にドッキン!
浮世絵の知識などほとんどない私に、映画「宮城野」(ディレク
ターズカット版)の中の台詞がスッと降りてきた。
それは写楽とおぼしき男が版元に語る言葉。
「私が描いているのは、化粧の下の素顔の奥底にある役者の、いや
人間の真だ。」
ほおお。
台詞の意味が急にリアリティをおびてきた。
目の前のその絵は「宮城野」という役柄を描いているのではなく、
役を通して見える中山富三郎という人間の本質を絵の中ににじま
せている、ということらしい。
“ぐにゃ富”と呼ばれたその役者のことは私は知らないけれど、
江戸時代の役者が、時を超えて動き出しそうなイキイキした絵に
つい微笑んでしまう。ムフフ。
「宮城野」の戯曲も映画も、この絵を描いたのは写楽のニセ絵師、
つまりゴーストアーチストの矢太郎であるという設定にしている。
私の頭に、宮城野の版下を手にした矢太郎の台詞がよみがえる。
「おれの反吐の塊だ」
「けど、もうろくじじいにこのみずみずしい絵が描けますかって
ほどの傑作だ」
晩年の手塚治虫さんが、フリーハンドで真円がきれいに描けなく
なってきた時の心境を語っておられたのを思い出す。
実際の写楽という絵師は生没年不詳だそうだけど、絵師にとって
本当にみずみずしい線が描けるのはほんの限られた時期だけ、と
いうことになるのかも。
写楽のコーナーに展示された“大首”といわれる役者絵の数々は、
誰が見ても文句なしに楽しめると思う。
浮世絵展の会場では、市川亀治郎さんがイヤホンガイドを通して、
仕掛人としての“版元”について楽しく解説してくれる。
この解説が面白い!
映画では・・・とりわけ写楽殺しのミステリー要素を強調したディ
レクターズカット版のほうでは、大物版元とおぼしき人物の存在
がはっきり浮かび上がるような構成になっている。
矢代静一氏が古書店で見てインスパイアされ、戯曲になったという、
浮世絵「宮城野」。
映画を見た人は浮世絵展を。浮世絵展を見た人は映画を。
それが私のオススメです。
私の場合。
戯曲と映画の「宮城野」に触れる機会がなければ、この1枚の絵
の前でじっと足を止めることはなかったはず。
いつからハマってしもたんやろう(笑)。
ニセ絵師、矢太郎に? この絵に? 映画に?
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淫乱斎英泉 観劇メモ
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