男性と女性というものは、性差別云々関係なく確実に性質の異なった生き物である。細かい部分などに良く気付くという能力も平均して女性のほうが優れている。これは、某大学の実験でも立証されている話である。
昔は、医師は男・看護婦は女性と決まりきった形があったが、昨今その傾向もやや緩和されつつある。何故今になって男女比にそのような動きが見られるようになったのか。一つは、世論の活発化。特にフェミニズム的平等主義が影響したのではないだろうか。看護婦という呼称を看護師に変えたといわれる南野氏(元法務省大臣)であるが、まったくの無意味さを感じざるを得ない。職業として男女別になっていることが、差別というのか。もしそうでないというのであれば、看護「師」と統一した理由は何なのだろうか。
看護師と呼称を統一しても、箱を開ければ、もちろん男性と女性の看護師がいる。以下
「男性の看護師さんを呼んでください。」
「女性の看護師を呼んでください。」
これらは、最近よく聞く言葉である。表面上で看護婦という呼称が何らかの偏見であるというなら、上記の呼び方もタブー視されるべきである。
もちろん私は、看護婦・看護士と呼ぶほうが大歓迎である。なぜならば、
※根本的に、違う性質・能力をもつ人間だからである。
わたしは、これを「男性力と女性力」と呼ぶ。
それぞれ、男性と女性の能力の違いを共有・理解し合いそれぞれが尊重しあう。そして、お互いの力を発揮しあうことこそが本当の平等というものではないだろうか。
◎男性は、細かい変化に気付きにくいが、細かい作業能力に長ける。
◎女性は、細かい変化に気付きやすいが、細かい作業能力に欠ける。
こう考えると、フェミニズム的平等主義が世論化する以前の
「医師は男性が・看護師は女性が」という図式は能力別に分かれていた自然なものだと理解できる。だが、この説明だけでは、過去に女性が軽視されてきた結果が、上記図式を生んだのだと主張する者もいるかもしれない。しかし、それこそが能力の違いの末に“生みでた結果”なのだ。
この考えは、決して女子を社会から家屋へ追いやる為の理論ではない。それを理解したうえで、女性が社会進出をするべきであるということである。
男性看護師が増えたといっても、精神科を除いては、未だ女性看護師が多数を占める。私は、是非その看護婦社会に男性が沢山飛び込んでいってほしいと願う。お互いの能力を尊重しあえば、看護であっても医師であってもそれぞれが補い合い、質の高い医療チームが出来上がる。そして、今の女性看護師は、男性という人間の性質を十分理解するように心がけ、自分自身がどのようであるのかを客観視してみることが非常に重要である。逆に男性は、自らの劣っている観察力などを補うよう努力し、冷静に自らの鋭い分析力を十分に発揮していくべきなのである。つまり、
※感情的になりやすいといわれる女性は、自ら振り返ること。
※観察力に欠ける男性は、如何に女性的看護師に近づけることができるか。
ここを突き詰めていってほしい。特に今の看護界は、この「男性力と女性力」の理解に欠けている。抜本的な改革を起こすことができるのも、それぞれの職場にあるそれぞれの「男性力と女性力」であるということを心の片隅において、日々の看護に取り組んで言ってほしい。
最近ますます面白くない記事になってきて重症ですが、一つずつクリック願いま~す。面倒くさいのはわかってます!!でもお願いします!!!
最後までご閲覧いただきありがとうございます。ここで宣伝。私の書いた本「精神科看護師、謀反」も一人5冊ずつ買うべし。
面白くなかったらごめんね。よろしく。
昔は、医師は男・看護婦は女性と決まりきった形があったが、昨今その傾向もやや緩和されつつある。何故今になって男女比にそのような動きが見られるようになったのか。一つは、世論の活発化。特にフェミニズム的平等主義が影響したのではないだろうか。看護婦という呼称を看護師に変えたといわれる南野氏(元法務省大臣)であるが、まったくの無意味さを感じざるを得ない。職業として男女別になっていることが、差別というのか。もしそうでないというのであれば、看護「師」と統一した理由は何なのだろうか。
看護師と呼称を統一しても、箱を開ければ、もちろん男性と女性の看護師がいる。以下
「男性の看護師さんを呼んでください。」
「女性の看護師を呼んでください。」
これらは、最近よく聞く言葉である。表面上で看護婦という呼称が何らかの偏見であるというなら、上記の呼び方もタブー視されるべきである。
もちろん私は、看護婦・看護士と呼ぶほうが大歓迎である。なぜならば、
※根本的に、違う性質・能力をもつ人間だからである。
わたしは、これを「男性力と女性力」と呼ぶ。
それぞれ、男性と女性の能力の違いを共有・理解し合いそれぞれが尊重しあう。そして、お互いの力を発揮しあうことこそが本当の平等というものではないだろうか。
◎男性は、細かい変化に気付きにくいが、細かい作業能力に長ける。
◎女性は、細かい変化に気付きやすいが、細かい作業能力に欠ける。
こう考えると、フェミニズム的平等主義が世論化する以前の
「医師は男性が・看護師は女性が」という図式は能力別に分かれていた自然なものだと理解できる。だが、この説明だけでは、過去に女性が軽視されてきた結果が、上記図式を生んだのだと主張する者もいるかもしれない。しかし、それこそが能力の違いの末に“生みでた結果”なのだ。
この考えは、決して女子を社会から家屋へ追いやる為の理論ではない。それを理解したうえで、女性が社会進出をするべきであるということである。
男性看護師が増えたといっても、精神科を除いては、未だ女性看護師が多数を占める。私は、是非その看護婦社会に男性が沢山飛び込んでいってほしいと願う。お互いの能力を尊重しあえば、看護であっても医師であってもそれぞれが補い合い、質の高い医療チームが出来上がる。そして、今の女性看護師は、男性という人間の性質を十分理解するように心がけ、自分自身がどのようであるのかを客観視してみることが非常に重要である。逆に男性は、自らの劣っている観察力などを補うよう努力し、冷静に自らの鋭い分析力を十分に発揮していくべきなのである。つまり、
※感情的になりやすいといわれる女性は、自ら振り返ること。
※観察力に欠ける男性は、如何に女性的看護師に近づけることができるか。
ここを突き詰めていってほしい。特に今の看護界は、この「男性力と女性力」の理解に欠けている。抜本的な改革を起こすことができるのも、それぞれの職場にあるそれぞれの「男性力と女性力」であるということを心の片隅において、日々の看護に取り組んで言ってほしい。
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面白くなかったらごめんね。よろしく。
今回の「男性力と女性力」で、もっさんの言わんとすることは何となく理解できるのですが、自分は看護(師)への呼称変更については、単純に看護婦と看護士の呼称統一というよりは「より専門職として法的に認められた結果の一つ」と認識しています。看護職を行っていく上で、あくまで法的に保障され、その上で職業として行っていますよね。実際に法的に名称として(師)を認められている職業はそう多くはありません。うまくは書けませんが、(師)と名のる事を法的に認められたのに現実性としては社会的地位・見解は変わらず、看護師自身の認識も追いつかずといったとこでしょう。
ある意味、医(師)・教(師)と並ぶ看護(師)。
自分の「医師と看護師は同じ土俵に立つそれぞれ違った専門職」という考え方の基の一つとなっています。
看護師の社会的地位(認識・処遇・給与など)がまだまだ低いこの世の中で、南野氏の呼称の変更を推進していったことも決して無駄なことではないと思います。ただ、実際の私たちの呼称変更に対しての認識及び社会の見解が低いだけだと・・・
今回の呼称問題は、性差別と職業地位の二点がキーになっていますね。まず、私達の職業である看護師(もう「師」になっちゃいましたからね・・・)の社会的地位は、以前はどうだったのか、を問うところから考えなくてはならないと思います。また、医師も歴史の上でどうだったのかを考える必要があると思います。教師についても同様です。この医師・教師というのは、どちらも「先生」と呼ばれる立場にあります。「先生」は、日本では決まりきった職業に使われることがほとんどですが、その言葉の通り、医師については今まで社会的地位が高すぎたのではないかと思います。法的に専門職として認められたといわれれば、とても気持ちの良いものですが、推進者が実際その意図を持って推進したのか、というところにも着目しなくてはなりません。また、「看護師」と呼称が変わったことにより、日本国民がどのように理解しているか。にも着目しなければならないと思います。そして、呼称変更に当たって、国民に具体的な説明があったのかというところも問題になります。その3点の具体性が無ければ、私達のただの自己満足になり兼ねません。もし、この辺りが曖昧であったとすれば、名称の変更に踏み切った意図はなんだったのか。ということになります。これは、方法論の「相違」でありますが、国が法的に専門職として認めたのであれば、呼称を主張する前に、医療従事者の中での位置づけをまず明確にするべきかと思います。そのあたりが具体的に見えず、名称だけを変更するのは、なんらかの政治的意図を感じざるを得ません。
私の危惧するところは、元社民党の田嶋陽子氏(漢字あってますかね?)のようなフェミニストが格好の材料とするのではないかという部分です。この方々が名称変更の際どのような意見を持っていたのか。jf8000さんのおっしゃられるような意見だけであれば、まずまず安心というところですが、おそらく、「男性が。女性が」という私が誤解していたような違う角度から切り込んでくると思います。もしそうであれば、今回の名称変更は、「誤解を生んだだけ」のものになってしまいます。
恥ずかしながら、新しい視点から冷静に問題を見つめなおすことができました。できましたら、私の意見もご参考ください。
医業経営コンサルタントのあつしです。
もっさんのおっしゃる男女の気付きやきめの細かさ、あるいは能力差というのはあるかも知れませんが、それも個人差ではないかと思います。
それはさておき、看護師という名称は2001年から統一されましたが、これはあくまで資格呼称なのです。地位を向上させましょうという動きの一環です。実は現在でも看護婦(女性)・看護士(男性)という一般呼称は継続されているのですよ。一昔前は看護婦・看護夫という呼称だったので、いずれにしても発音では紛らわしいですよね。
もともとNurseの語源が乳母ということもあり、歴史的にも女性が看護するという世界的な背景がありましたが、ここ数十年にきて、看護の重要性も認知されたこともあり男女共通の「看護師」呼称はむしろ歓迎すべきかな?と私は思います。実はそんなことよりも、看護師の給与体系(つまり報酬)の地位向上を図ることが必要なのではないかと思います。
検査技師と並び看護師の給与体系・昇給率は医師のそれと比較して非常に低く、男性が就業するハードルとなっています。近年、臨床工学技士や診療情報管理士など地位向上の為に新設された資格には「士」が使われています。看護師でもエキスパートナースの資格化の動きもありますが、「看護」に対する報酬を診療報酬ベースで勝ち取らないと全体としての報酬体系の向上はなかなか難しいと思います。
話がだいぶそれてしまいまして失礼致しました。今後も行政動向とリンクしたコメントをさせて頂ければと存じますので、よろしくお願い致します。乱文失礼致しました。
まさか、ブログをみてくださっているとはびっくりです。誰もみていないと思ったのですが、これからはいい加減なことは書けませんね(汗)。
下さったご意見にお返事させていただきます。
男性力と女性力についてですが、これは個人差としてのレベルでみるのではなく、性差としてみるべきだと思います。何でもある一部の男性よりある一部の女性のほうが劣っている(逆に勝っている)ことは沢山ありますが、総合的には男性が勝っている・またはその逆があったりします。つまり、そこには性差が存在するからであり、陸上競技をはじめ、その他のスポーツなどでも性別で分かれている事でおわかりになるかと思います。今の世の中では、「勝っている劣っている」というよりも、特性として捉えたほうが良いかもしれませんね。
続いて、呼称の件についてお話させていただきます。現在でも呼称を看護婦・看護士という呼称が継続されているというのはどの機関ですか?個人レベルで言いにくいから看護婦看護師と呼ぶのはよく耳にしますが、その件に関しては初耳です。
あと、おっしゃるような「看護という職種が重要視された」からという理由での「師」の導入は、なんら意味をなさないと思います。何故なら、あつしさんのおっしゃるように、給与体系と地位の向上を図ることが、今求められている事の本質だからです。
もう一つ、「ここは感覚が違うな」と思った部分があります。給与体系・昇給など、医師のそれに比べて看護職(男性について)に就業するハードルとなっているという部分です。ここは完全に私の感覚でしかないのですが、医師や看護師・ヘルパーと特別な場合を除いては、就業当初のIQ別での就業が何割かを占めると思います。つまり、平均を出すと、医師・看護師・ヘルパーと言う順に別れているのではないかというのが私の見解です。同じ土俵で働くというのはわかりますが、同じ給与体系(もしくはそれに近づける)というのは、別格視するべきだと思います。
当方の知識不足・説明不足がいくらか敦さんを惑わせたかもしれません。紛らわしい文章お許しください。
専門的知識のご教授これからもよろしくお願いいたします。
ちょっと誤解を与えてしまったかも知れませんね。
性差に関しては私も同感です。その性差を鑑みた上で、個人差も生じるとの意見のつもりでした。体位変換や入浴補助など、ADLが低い患者には男性の看護の方が向いていますし、精神科ならなおさらのことと思います。女性にはプライバシーへの配慮や気付きの細やかさなどの特徴があろうかと思います。ただこれまで、たくさんの看護師さんと接してきて個人差あるなぁと感じていたのでそう書き込んだ次第です。(すみません、素人で)
呼称の件ですが、こちらは長くなってしまいそうです。一般呼称というのは、医師を医者と呼んだりするものと同様、実際には残っているものです。病院報・機関紙なんかがその代表例です。「新人看護婦さん紹介」「看護士さんに聞く」なんかのコーナーでは親しみを得るために一般呼称を使用するケースも驚くほど多いのです。補足あれば改めてコメントさせて頂きます。
本題ですが、地位を向上するにはいくつかのステップがあります。ただ「地位を認めろ」というスタンスでは中々難しいことも事実です。「師」の呼称の導入が実を成していないことは実感しております。看護必要度の測定が注目されたり、看護配置が実数表記になったり、だいぶ看護が診療報酬に与える影響もましてきています。こうした動きが加速することによって、報酬、つまり給与体系も変化していくのではないかと思います。決してもっさんの意見を否定している訳ではなく、それを実現していくにはどのようなステップがありますね、という提言に近いものでした。
私は、病院で働く方々の給与体系が正しく評価されれば良いなと考える人間の一人です。例えば、500人の規模の病院の平均給与(月額、同じ55歳男性と仮定した場合)は、院長177万円、医科長130万円、医師105万円に対し、看護部長42万円、看護師33万円、準看護師33万円です。やっぱりおかしいと思いませんか?定年まで勤め上げても33万円。しかも公務員の体系も入っていますので、民間病院ではそれよりも低くなるのは自明です。
実はいくつかの病院を現在指導しておりまして、給与体系を平準化しようとしておりますが、医師側からものすごい反発にあっているものですから、つい看護部門の評価を上げましょう!となってしまった次第です。
平均給与まで持ち出して、更に誤解を与えてしまいそうですが、日本の医療を良くしたいと想う気持ちは一緒です!
これからもどうぞ宜しくお願い致します。
コメントありがとうございます。あつしさんのお話は、すごくわかります。もともと私の勉強不足が、誤解を生んだのだと思っていますから、気にしないでくださいね。今回の記事の主張もいくらかご理解いただけ他のであれば、満足ですし、私としましても、あつしさんの専門的な意見・情報を知ることができて光栄です。なにより、こうしてお互いの知識を交換し合えることほど新鮮なものはありません。これからもよろしくお願いいたしますね。