精神看護ときいて、敏感に反応するのは、精神科に勤務している看護師では無いだろうか。
私が、学生の頃、精神看護学と聞くと得意げに自分の範疇だと思い込んだ記憶がある。今となれば、とんだ勘違いだと恥ずかしい思い出でもある。
ここで、精神科看護と精神看護の区別をはっきりさせておきたい。図で示す事が出来れば一番伝えやすいのだが、そういう技術も無いので、簡単に説明しておく。
※精神看護学は、精神科だけでなく、他科、つまり、その他の科全てに適応される学問である
ということ。
精神看護学は、看護学生に教えるカリキュラムそのものにも問題がある。教員や講師が“精神看護学とは何か”を理解されていれば、いくらか救われる部分もあるのだが、問題はそこでは無い。
※教科書そのものが、精神看護学を間違って伝えている。もしくは、その本質を伝えられていない
のである。
こころの健康であるとか、精神保健福祉法であるとか、精神保健医療医療の変遷であるとか、これらを学ぶ事はなんら間違ってはいないのであるが、それ(これらを含む精神看護学)と、看護学そのものを結びつけて論ぜられていないところに、看護学校で教えられている精神看護学にもったいなさを感じる。
先にも述べたように、精神看護学を組み立てるロジックは、看護全般に適応される、というよりも、看護者が“適応させなければならない”と表現したほうがよいかもしれない。なぜならば、それが、看護界の現状であるからである。
精神看護学の間違った継承は、卒後の看護師にも影響している。現に、現役で他科で働く看護師たちが精神看護学を何らかの形で学ぼうとする動きがほとんど見られないことは、現状を見ればおわかりであろうし、色々な学会に出向き学ぶことを惜しまない看護師がいるのに、その中でも精神看護学を学ぼうと何かの行動を起こす看護師は希少であることも、看護師全般のを見渡せばすぐにわかる。更には、精神科の看護師も精神看護学をなおざりにしており、私は、精神看護学の行き場が無いような感触を覚える。
『精神看護=精神科』であると一部誤解されているように、精神科看護の舞台である精神科は、確かに、精神の苦痛が見えやすい“究極の科”かもしれない。だが、同時に、精神の微小な変化を観察し、手助けをする必要のある“究極の科”であることも忘れないで欲しい。
そういう意味では、精神科看護と精神看護の繋がりは否定してはならず、むしろ、どの科よりも重要なのかもしれない。
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最近ますます面白くない記事になってきて重症ですが、一つずつクリック願いま~す。面倒くさいのはわかってます!!でもお願いします!!!
私が、学生の頃、精神看護学と聞くと得意げに自分の範疇だと思い込んだ記憶がある。今となれば、とんだ勘違いだと恥ずかしい思い出でもある。
ここで、精神科看護と精神看護の区別をはっきりさせておきたい。図で示す事が出来れば一番伝えやすいのだが、そういう技術も無いので、簡単に説明しておく。
※精神看護学は、精神科だけでなく、他科、つまり、その他の科全てに適応される学問である
ということ。
精神看護学は、看護学生に教えるカリキュラムそのものにも問題がある。教員や講師が“精神看護学とは何か”を理解されていれば、いくらか救われる部分もあるのだが、問題はそこでは無い。
※教科書そのものが、精神看護学を間違って伝えている。もしくは、その本質を伝えられていない
のである。
こころの健康であるとか、精神保健福祉法であるとか、精神保健医療医療の変遷であるとか、これらを学ぶ事はなんら間違ってはいないのであるが、それ(これらを含む精神看護学)と、看護学そのものを結びつけて論ぜられていないところに、看護学校で教えられている精神看護学にもったいなさを感じる。
先にも述べたように、精神看護学を組み立てるロジックは、看護全般に適応される、というよりも、看護者が“適応させなければならない”と表現したほうがよいかもしれない。なぜならば、それが、看護界の現状であるからである。
精神看護学の間違った継承は、卒後の看護師にも影響している。現に、現役で他科で働く看護師たちが精神看護学を何らかの形で学ぼうとする動きがほとんど見られないことは、現状を見ればおわかりであろうし、色々な学会に出向き学ぶことを惜しまない看護師がいるのに、その中でも精神看護学を学ぼうと何かの行動を起こす看護師は希少であることも、看護師全般のを見渡せばすぐにわかる。更には、精神科の看護師も精神看護学をなおざりにしており、私は、精神看護学の行き場が無いような感触を覚える。
『精神看護=精神科』であると一部誤解されているように、精神科看護の舞台である精神科は、確かに、精神の苦痛が見えやすい“究極の科”かもしれない。だが、同時に、精神の微小な変化を観察し、手助けをする必要のある“究極の科”であることも忘れないで欲しい。
そういう意味では、精神科看護と精神看護の繋がりは否定してはならず、むしろ、どの科よりも重要なのかもしれない。
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最近ますます面白くない記事になってきて重症ですが、一つずつクリック願いま~す。面倒くさいのはわかってます!!でもお願いします!!!
精神看護を学ぶために1年生最初の基礎実習を、精神科であるうちの病院で受けて欲しいとお願いされ、数年受け入れました。
が、混乱するのは学生です。
精神科で精神看護を学ぶことをきちんと理解してきているわけではないので、学生は精神科看護を学ぶ姿勢になってしまっているのです。
実習指導者一同、その違いから指導しなければならない現状に、再三学校側できちんと指導してから来て欲しいことを訴えましたが、結局、精神看護と精神科看護の違いを教務がきちんと分かっていないようでした。
その後、他校の受け入れ数も増えたことから、基礎実習の受け入れはお断りしたのですが。
私自身、実習指導に携わるようになって、初めて精神科看護と精神看護の違いを実感しました(苦笑)
でも、いまだにきちんとは捉えていないのでしょうが。
精神科に勤務する私たちこそが、きちんと学ぶべきことなんでしょうね。
やはり不安でいっぱいです。
一週間程度の短期入院とはいえ、見知らぬ環境で生活するのですから・・・。
身体的な治療並びに看護だけではなく、私の不安に対してどのように援助がなされるのかについて興味を抱きつつ入院をしてきたいと思います(半分冗談で、半分本気!)。
そういった意味では広義の“精神看護”を私自身がクライエントとして体験してくることになりますね!!
ちょっとブログの記事内容とは異なってしまっていると思いますが、ご容赦ください。
例えば、精神科とそれ以外の科(精神科疾患を患っていないとして)を分けさせていただくとして、
それ以外の科で、精神看護を極めた看護者が、精神科でそれを発揮できるのか?という疑問が出てきました。
精神看護をしっかり教育された印象はありませんが、経験の中で精神看護がもっとも看護師らしい(看護の専門性)部分ではないかと思います。
精神科的にいうと向精神薬と抗精神薬のような関係性? ちょっと違いますが…
いつもROMさせてもらっています。
もちろん、本も買いました。
お若いのに現実を見る目がしっかりされていて、
とても尊敬します。
今回のお話は広義の精神看護と狭義の精神看護ということでしょうか?
広義の意味であれば、どこでも必要なものだと思います。その上で、困難なことがあれば、リエゾンにコンサルテーションしてもらう必要がある。
狭義の意味では、精神科での看護ということでしょうか。
私は精神科で働いていますが、まだまだ難しいです。
また勉強させてもらいます。
視点もありますよ。
でも…自然科学的に…局所を見るというより…人間科学的に全般を見ていく必要性はありますよね。精神だけを専門的に深めすぎて…全体を見れない…ということは…やはり、人間全体をとらえるときに…アンバランスが生じる。専門…専門…ていっても…不完全な形になってしまいます。(実は私にもその傾向があるのですがね^^)
その工夫として…私は…人間をシステム論的にとらえるようにしています。解剖整理も大切であるが…人間全体をとらえるのに…かなり、有利となります。
話がそれたかな^^
看護の専門性は「生きていきにくさを取り除くこと」にあります。身体も精神も同じです。
時には…「疾患」という特異的な枠組みを使用しないで…「生きていきにくさ」いわゆる…障害に視点を向けたほうがいいこともあります。
これは^^私の考えですが…学術的にしすぎると…しんどくなるのでこの辺で^^
私も同じように思っております。やはり、深めるべきは、精神看護。もともと精神科看護は自分達の専門分野(そこに従事しているという意味で)ですから、それに加えて精神看護を精神科看護師としてではなく、“看護師として”学んでいく必要があるのだと思っています。
体調のほうはいかがですか?心配ですが、入院してクライエントとして・・・と考えているくらいでしたら、何とか大丈夫(?)ですかね?
体調管理を自己責任かのようにして、口癖のようにいう人もいますが、不可抗力もあるのですから、全て背負うことなく気楽にいったらよいと思いますよ。また入院しての感想を教えてくださいね。
混乱させた原因は、少しこちらにあるのかもしれません。恩師からはすぐさま指摘が入ったのですが
・精神看護と精神看護学
つまり、“学”がつくとつかないとではおのずと意味が違ってくると。まさにいわれるとおりで、文中で突然話を乗り換えてしまっている感がありました。
そういうと余計に混乱されるかもしれませんが、カマーチョさんの混乱をまず収めましょうか・・・
と、思いましたが、“不眠の男><)”さんが説明してくれていますので、それで理解してくださいます?少々、小理屈を並べられているので、小難しいですが(笑)。また、ラジオ収録で顔をあわせたときにでもコーヒーを飲みながら、ゆっくり説明しましょう。
おっしゃる事に加えて、精神看護は、精神科のみならず他科も同じように必要であり、ただ、言葉が“精神”という部分で被っているだけで、精神科のそれと混同しやすいのかもしれません。
また、精神科看護とは、定義はさておき、薬物などの関係性だけではなく、基本的には精神科疾患に罹患した患者を対象としたものですね。