昭和の頃にはよく耳にした住宅双六だが、私の住まいの変遷を振り返ると、割と住宅双六に沿った感じになっていた。
住宅双六とは
都市で暮らすようになった若者が、人生の歩みと共にどのような住宅に住んでいくかを双六にたとえたもので、独身生活のアパートからスタートして、結婚して広めの賃貸マンション、貯金を頭金に分譲マンション、それを売って郊外に庭付一戸建を購入して上がり(ゴール)だ。
改めて調べてみると、1973年の正月に朝日新聞に掲載されたことで広く認知されたみたいで、幾つかの資料等に引用されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/d8/3d08e10d98a97e70e56282f1bc887bcb.jpg)
出所:住宅双六の国際比較(https://www.i-repository.net/contents/outemon/ir/604/604170310.pdf)
最近では生活形態を含め何かと多様化しているし、生涯ずっと賃貸でいいという考え方もあるので、これが基本ルートという訳ではない。
私の住まいの変遷
私が就職してから早期退職後までの住まいと、関連したイベントを図にまとめると下記の通りだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/3e/a3bb2c9477d22e42dd944756dda30287.jpg)
多少の違いはあっても、朝日新聞に掲載された住宅双六に近い感じにはなっている。子供が生まれて手狭になったアパートから分譲マンションに引っ越したが、会社員の宿命の一つの転勤となり、家族と共に社宅に移った。分譲マンションを買ったのはバブルのピークの頃で時価を見れば大損しているが、今でも賃貸していて早期退職後の収入源の一つとなっている。
社宅住まいの間に分譲マンションを買った際のローンの繰り上げ返済を一生懸命に進め、返済を完了していた。それで、50歳を過ぎて親会社を退職し、子会社に再就職して社宅を出なければならなかった際には、改めて中古一戸建てを買うことができた。退職金はあっという間に消えてしまったが、資産運用のためのメイン口座には手を付けず、貯金等をかき集めて何とかローンを組まずに買えた。
持ち家があり、ローンもなく、メイン口座に手を付けずに済んだことで、子供たちが独立した後はプチFIREを決心できた。まぁ、私の住宅双六はうまくゴールできたと言えるだろう。