祖母の従兄弟が住んでいる大きな農家が2キロ離れた穴井迫にあります。
農繁期には私も子守の手伝いに、小学校4年の頃からいつも行っていた遠い親類です。
母は田植えや稲刈りなどのなれない仕事を手伝っていました。
お礼にお米や芋などの食糧を手に入れていたのです。
戦後は日本中どこも食糧難でしたものね~
この親類がいたおかげで大阪から焼け出されて3人が疎開してきた時に、
生き延びられたと今では深く感謝しているのです。
歩くと2キロほどですが、母が行かなくなってずいぶん久しいと思います。
最近はドライブコースで穴井迫の入り口の八幡様までは懐かしがるのでよく行っていますが、
この家に立ち寄ったことはなかったのでした。
昨日は弓祭りと言うお祭りがあると広報で知って、お神楽を久しく見ていないと言うので、
「連れて行ってあげるね~♪」と母に約束していたのでした。
狭い田舎道には駐車場がないだろうからと前の晩に電話をかけて頼んでおいたのです。
鳥居のところを右に曲がって行くと車が通れるだろう~と簡単に思っていたけど、
子供のころの広い印象の道は2メートル幅もなく狭いものでした。
左は用水路なので脱輪したら怖いし、おそるおそる何回も降りて
車輪の位置を確かめて進んでいきました。
前に進むしかない!
バックなんてとんでもないこと
冷や汗タラタラものでした
やっとの思いで着きましたが、国道からまっすぐ家の横に新道が出来ていたのでした。
今年は村の当番をしているのでみんな留守だからと聞いていましたが、
姉さんが待っていてくれました。
ニコニコの笑顔美人だと子供心に好感を持っていた姉さんも、今は76歳になったと
目を細めて再会を懐かしがって下さいました。
年賀状だけのお付き合いになっていて、もう50年ぶりくらいの訪問でした。
「温かい笑顔と声は昔のままだわ♪」ってうれしく思いました。
車椅子に母を乗せて3人で八幡様に出かけたのですが、行ってみると石段を上るしか道がないのです。
車椅子は立ち往生するしかないの~?
せっかくここまできたのにね・・・
お囃子の音が聞けただけでもよし!としましょうか~?
バリアフリーの必要性を感じました。
石段は6段ほどなので、「歩いて上る!」と母が言います。
よほど見たいのですよね~!
姉さんと私も真剣さに胸を打たれて、境内に上ろうと決めて車椅子から母を降ろし、
車椅子を先に運び上げて、後から母を支えてやっとこさ上に着きました。
私1人ではどうしようもないことでした。
半時間ほどで木陰は寒いので帰りたくなったようです。
また、姉さんに助けてもらいお世話を掛けてしまいましたが、無事母は満足して帰ってこれたのでした。
お神楽が懐かしい~って言う気持ちも、私と姉さんの旧交を温めなおす絶好の機会だったような気がします。
こんなことがなければわざわざ出会うこともない遠縁ですからね~
14歳の年の差は、私と4番目の妹の開きと同じなのだと、夕方まであれこれ思っていました。
姉さんが居てくれたから、念願どおりの親孝行ができたのです。
もっと近づいてあのころのご恩返しをしなければ~としみじみ感じました。
今日あるのも、昭和20年3月の大空襲から父が復員してくるまでの2年間を支えてくれた
この祖母の従兄弟の家のおかげだと遠い昔日に思いを馳せていたのです。
母の気持ちをできるだけ素直に受け止めたいという思いは、大切なものを忘れているよという導きだったのかもしれません。
お世話をおかけしたけど親類の温もりも大きく感じ取り戻せたし、近々お礼に出向かなければと思っています。
温故知新という言葉を実感できた一日だったとまとめたいのです
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