14年前は 中国やタイ・オーストラリアと 孫悟空なみに空を
翔け回っていた連れ合いでした
海外出張から連れ合いが帰ってくる予定の日
上海だから夕方6時過ぎの便だなあと思い待っていました
必ず着いたらすぐに電話をかける人です
今日は遅れているのかな~?
遅いな~と思いながら 9時頃まで待っていました
会社に寄ってから帰ってくるのかしら?
真っ直ぐ帰って 「ただいま~~!」ってびっくりさせるつもり?
そんな事を思っていると電話がかかってきました
「なにも変った事はないか~?」
「なにもないわよ~ 今どこなの~?」
「上海や~」
「ええ~っ!! 今日帰るって言ってなかった?」
「○○君が体調を壊して、上げる下すと激しいので 明日に変更したんや~」
「好物の大きな桃を買ってきて待っていたのに・・・」
「すまん、すまん~」
明るく元気な響きの声でした
どこにいてもいいわ~
元気でいるのなら・・・
動物占いの結果を 息子師匠と昨日話していました
「お父さんとは結構うまく行っているし 相性は良いと思っているのに
いろんな占いでは駄目だと言われるのよ。」と 私が言うと
「僕もやってみたけど、結構自分の分析は当たっているよね!」
「私もペガサスで自由奔放で束縛を嫌うって、よく当たっていると思うのよ。
父さんもライオンで 人を率いていく統率力のある人って言うのも
全くその通りだと思うんだけど」
束縛を嫌う私と 統率したい人と うまくいっているって感じるのは
いつも離れ離れの生活パターンだからだねって結論になりました
そうかもしれません
37年の結婚生活で 連れ合いは企業戦士一筋で来ましたものね
3人の息子のことは いっさい何もしていません
参観も運動会も学校関係のことは一切ノータッチです
40歳頃までは 家からの通勤でした
彼のポリシーは人より5分早く職場に行き 人より5分遅く退社することでした
家を出るのは朝7時前
帰宅は夜10時半
判を押したような毎日でした
難病との付き合いもあるので 大きく10年ごとにはもう駄目かも!と思うような
体調に陥りながらも それを遂行していましたものね~
オドロキの精神力です
私は同伴者ですから いつでも引き続き走れる用意だけはしておこうと
仕事を続けていました
東京に単身赴任が5年間あり 母子家庭のような父親不在の時期もありました
連れ合いに難病と付き合うハンディーがある限り
私は支えに徹してあげたいと思ってきました
今は快調なコースを走っています
マラソンの野口さんの走りを見ながら 連れ合いに思いを馳せていたのです
36キロでギブアップしたイギリスの選手の姿に 連れ合いは近いのか
はたまた野口さんに輝くのか~?
私は彼の伴走者~
波瀾万丈のマラソンは今なお続いています
彼の寿命は114歳だと聞いてから 気分的にゆったりと落ち着いたのか
最近は普通の人の3倍以上の活躍をしているし 家族への采配や気配りも
きちんとこなしてくれていると感謝しています
奈良の家を離れて 2年半近く経ちました
快適に暮らせているのなら それが一番だと思っているようで
帰ってきてくれという要求は 一度も聞いていません
37年間の結婚生活で 半分以上は仕事や体調の関係で離れて生活していたから
自分の帰りだけを待たれることは 彼には辛く心苦しいのかもしれません
「俺は嫁はんを家に閉じ込めて 自分の事だけに尽くしてもらおうなんて
思ったことはない
将来の夢に向かって努力し 力を蓄えてきた資格を 大いに駆使してくれと願う
お前にはお前の世界があるからな~」
と 自由に羽ばたくことを常に願ってくれていました
そんな指導を受け こんな私が育ったのかもしれません
必要だと言われるところが私の居場所ですから お呼びのない間は別荘生活が快適だし
野草や花に囲まれて 悠々と自然に咲いていたいと 思うように最近なってきました
第2幕ですから 自然体が最高です
地位も名誉も家柄も 私は何も望みません
素朴であるがままに過ごしたいと 願うようになってきました
天翔るペガサス本来の姿に ますます憧れています
必要な時は 呼ばれたらすぐに翔けていく用意は ありますからね
ご心配なく~~
明石潟です
PS
置手紙のことづて欄が不具合中ですので、
コメントの設定を開始したいと思います。
皆様のお声を楽しみにお待ちしています(*^_^*)
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