秋晴れのように澄み切った一点の曇りもない明るい元気な声でした。
クサアジサイを日記にアップしてくれてありがとう(*^_^*)というお礼の電話でした。
お礼を言わないといけないのは私のほうで、とても懐かしく具体的に身近に感じられて嬉しかったと伝えました。
母がトイレに行きたい素振りでしたので、いったん電話を切ってもらいました。
時間を見計らってまたすぐ電話をかけてくれて、孫のことや前栽の様子などを教えてもらいました。
仕事に対する考え方や、自分の健康なども何の不安もなく導き守られているのだと感謝の内容ばかりでした。
すべてが今日につながる道だったと難病で死を潜り抜けた強さを語ります。
生きているのではなくって生かされているのだと気づいたと言いました。
大学2年の夏に再生不良性貧血に罹り、あと3月の命だと余命宣告をされた彼が65歳を元気に人の2倍も3倍もの重責を果たしながら爽やかに自信に満ち溢れて生かされています。
うちの会社は定年のない働きたいだけ働いてもらうことに決めた~♪
体が動かなくなったら、頭を動かしたら良い(*^^)vと話しているそうです。
大切なことは”有り難いという感性をもつこと”と断言していました。
己の心の欲するままに動くことが道が開け導かれていると確信できているんだとも~!
命の終わりと向き合った者はものすごい悟りの境地を開くのだなあと感じながら、相槌を打っていました。
「難病に罹ったことも喜びに換えられるって、すごいわねえ\(~o~)/」
「心のひらめくままに行動すればいいと導かれるままに進んでいるんや~
拾った命やから何もおそれることはないんやぞ。
お前も何も心配せんでも今が最高だと喜び感謝してたらええんや~(*^_^*)」
明快な答えが返ってきました。
20年くらい前、彼の命は儲けの命だと感じていたことがありました。
東京の単身赴任を終えてぼろぼろに疲れきって顔面麻痺を患い、メヌエル氏病にかかり、高速道路の上で運転が出来なくなり、待避線で息子夫婦に助け出されたころのことでした。
10年に一度は命の終わりを覚悟する事態に見舞われ、私は通勤途中の車の中だけが泣き場所だと決めていました。
そんな夕方の車中で、八代亜紀さんの「命の灯火がもうすぐ消えると知らされた~♪」と言う歌が流れてきた時の気持ちはおそらくいつまでも忘れられないことでしょう。
その頃、朝を迎えるたびに「儲けの命をいただけた~♪」と心の中に喜びを感じていたのでした。
昨日の電話の彼の言葉はまさしくあの時の有り難い状況の中で感じた気持ちと同じだったのです。
当たり前の日を迎えたのではなく、奇跡の中で生かされている命だったのでした。
今朝もまた生かされている命の有り難さの意味を深く学ばなければと思っているのです。
今朝の癒しの花は今年の春の贈り物の中から選びました(@^^)/~~~
桜花
スミレ白花
良い一日を力いっぱい楽しいものに仕上げたいですね~(@^^)/~~~
おげんきでね~^^
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