ここ2・3日何をする力も湧かない重たい日が続いています。
教え子のMちゃんが亡くなったという連絡を水曜日に受けて、
それ以来無気力に陥っているのです。
すぐにお悔やみの言葉をお母様にお伝えしようと思いながら、お慰めする言葉も失せて
何にも前に進んでいません。
Mちゃんは奈良の2番目の孫と同じ年の、男の子の母親になっていました。
出産後から体調の不調を訴え、実家の近くにマンションを見つけて
母親に息子の世話を助けてもらいながら 闘病生活を続けていたのです。
一向に良くならずだんだんと衰弱していって「体重も28キロなのよ~」と
今年の1月に母親から聞いていました。
転地療養をさせたいから今年の夏に引越しをして 大分県に連れて帰る計画を
立てているのよ~ということでした。
Mちゃんとは卒業後20年経ちますが 一度も会えていませんでした。
会う約束まで出来ていたのに、その3日前に交通事故に遭い、言葉を失って知能は2歳の
赤ちゃんになってしまい、母親はMちゃんを助けるための努力を手を尽くして行いました。
だから母親は私のことを Mちゃんを見守る同士だと信頼してくれています。
オーストラリアで結婚式を挙げた写真も見せていただいています。
光り輝く花嫁の笑顔はモデルのような美しさと華やかさで 最高に幸せに満ち満ちていました~
翌年長男を出産したという朗報も、幸せを象徴する話として快く心に響いていたのです。
幸せを絵に描いたようなMちゃん一家だったのです。
その後2年くらいして難病の膠原病という病気に冒されているという話をきき、
特に悪質な病気なんだと母親は落ち込んでいました。
孫の世話は娘に代わって保育園の送り迎えからすべてを引き受けて助けていました。
10年間、母子ともに苦しみ支えあった闘病生活だったのです。
お慰めする言葉も見つからず、暗い思いの中を彷徨っている感じの私ですが、
どこかで気持ちを吐き出さないと溜まって澱んでしまいますから、日記の場を借りたのです。
36歳の若さで逝ったMちゃんの「人生は苦しみとの闘いの連続だったよ~先生!」という
悲痛な思いを聞いてあげることも出来ず、ごめんなさいね~と詫びています。
中学校1年の担任として出会え、Mちゃんの素晴しいご家族とも交流できて
たくさんの楽しい思い出をいただいています~
Mちゃんに会いに奈良に帰ったら伺いますから、待っていてね~
さぞ、無念な思いだったことでしょう~
いろいろお話を聞いてMちゃんの気持ちをわかって慰めてあげたいと思っています。
Mちゃんのご冥福を心からお祈りしています~
お母様を慰めて差し上げたい気持ちでいっぱいです~
Mちゃんの思い出話をお母様とゆっくり語り合って、あなたのことを偲びますからね~
安らかに大切な人を見守ってあげてくださいね~
気持ちがかなり軽くなりました。
今日はMちゃんが旅立って1週間過ぎました~
Mちゃんの冥福を祈る日と決めて、明日から元気な私に戻りますね!
安心して成仏してください~
PS
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