連れ合いには前の年の年末に、「もうそろそろ学校を辞めてもいいかしらね~」と了承を取り付けていました。
退職金を新築費用に当てることも了承済みです。
現金を持っていてもうやむやの中で消えていくだろうし、実家の家は藁葺きにトタン屋根を掛けた150年ほどの大きな8間取りの家でした。
段差が多くってトイレや風呂場などの足場が悪く、せめて数年でも明るい快適な家に住まわせてあげたいと願ったのです。
連れ合いも平成8年に奈良の家の建て替えをする時に実家も込みで新築する計画を語ってくれていましたので、バリアフリーの建築には快諾していました。
私の別荘という名目で母は了解です。
「自分ひとりだからこのまま古い家でいいよ、勿体無いから~」と言い張る母を、
「妹たちが故郷にお墓参りに来ても、古い家は雨漏りで腐るから、帰る家がなくなるよ~
健康体に恵まれて35年頑張ったご褒美に退職金をたくさん頂いたからね、お母さんにきれいな家をプレゼントするわね~」というと、
「ヒロちゃんの別荘だね~、私は留守番してあげるからね♪」と納得できました。
解体をするだけでもかなりの費用を要します。
退職金の範囲ですべて込みで予算内でと固くお願いしての新築でした。
それでも坂道の整備やカーテン一式や家電一式代は大きくはみ出しますものね~
まあ、うまく収まったのですが、解体の途中で納屋の階段の下から箱時計がほこりをかぶった形で埋もれていたのが見つかりました。
百年前の父が生まれた時の箱時計でした。
広間の中央の壁に時を刻み続けていた箱時計はとても懐かしく、40年前に見たきり忘れていたお宝だと感じ、奈良に持ち帰り分解掃除をして調整してもらいました。
落成式のときに奈良から持ってきて、リビングに掛ける場所もないままにフロアにおいてたのでした。
その頃毎月奈良から往復して10日余りを実家で過ごしていました。
丁度秋の今頃、介護に来た時に時計が無くなっているのに気付きました。
母に聞いても、「さぁ~?」とさっぱり・・・
別府に父の知人が居て、母が独居になってからも田舎の空気を吸いたいからと訪れていた男性の存在を知りました。
私も何度か帰省の時に出会って挨拶程度の会話はしたことがありましたが、急に理由もなくその人を思い出し、電話をかけてみました。
「お母さんに許しをもらって別府に持って帰った」ということでした。
「父の思い出につながるものだし、私たちもその柱時計の音で時を知り生活してきたので、お金では買えない大切なものなんです~」と話しました。
「お母さんがいいよといってもらったものですから~」となおも渋った返答でした。
私も感情的になって、「認知症で正しい判断の出来ない人からもらったことが、あなたは正しいと思うのか~!」と叱りつけました。
私より5歳くらい年下ですからね~
その後何日かして時計を玄関先に置きながら、「金輪際お付き合いはこれでおしまいです~!」という言葉を投げ捨てて返しにきました。
よほど腹に据えかねたのでしょうが、私は平然と間違っていないと元の場所に帰ってこれた時計を喜んで過ごしてきたのです。
ところがところが~
昨日のお昼前にピンポ~ンというチャイムに出て見ると、その男性が立っているのです。
「あら~ぁ、お久しぶりです!○○さん・・」と言ってまじまじと顔を見ていました。
「最後のお別れの言葉が余りにも悪かったもので、気になってお詫びにきました~」と手土産を私の足元にさっと置いて慌てて帰ろうとなさるのです。
別府から60キロの道をわざわざお詫びに見えたのですから、上に上がってもらうように促すのですが、そのまま帰っていかれました。
5年かかってまちがいに気付くこともあるんだなあと二度と見たくもない顔だと思っていたけど、心のしこりがやはり私にもあったようで、す~っと解けていく思いがしました。
悪い人ではなかったのでした~
勇気の要る行動ですよね~
間違いに気付いたらそこで改める勇気を持つ人だったのです。
父の遺影にそれを伝えました。
やっと一件落着できました
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