人間賛歌・もっちゃん4649

子孝行の両親

昨日は平成3年に亡くなった父の祥月命日でした。

賑やかに神棚にお供え物を飾り、16年前を偲んでいました。

次男を養子にすると決めた年が平成3年の1月で、それはそれは喜んでくれて「こんなありがたいことはない~」と春休みを楽しみに待っていてくれたのでした。

当時私は3年担任で卒業式後も2次募集の入試をする生徒が出て春休みは九州に帰れないかなあ~?と内心思っていたのでした。

17日の卒業式の翌日に公立高校の合格発表があるのですが、その時点で38人学級全員の進路が見事に決定したのです。

後にも先にもこの年だけのことでした~

これで次男を実家の後継者にする手続きに帰れると、父を喜ばせて上げたくってその夜電話で話しました。
「春分の日に帰るから待っていてね~
「はい、ありがとう~♪気をつけて帰っておいで~」

その翌朝4時過ぎに大満足のうちに枯れ木が倒れるように静かに永眠となりました~

19日の朝6時過ぎに母から連絡が入り、父の様子が変わったからすぐに帰っておいで~と。

子孝行の両親だといつも感謝していたのですが、このときほど強く思ったことはありませんでした~

喪主の名前を次男の名前にして、後継者だと言うことを地域の方々にお披露目できたのです。

その花道を父が作ってくれたのだと丁度良い春休みにすべてがうまく運ぶようにお膳立てしてくれたと思えたのでした。

健康体の父でしたから眠るがごとくの82歳の大往生でした~

あれから16年が過ぎました。

次男の長女も無事入試を終えて、3年先の進学を目指し新たな旅立ちを始めると朗報が入りました。

実家の大事な後継者ですから、大いに力になってやりたいと生活に張りが出てきた思いでいっぱいなのです~(*^_^*)

母の介護は終焉に向けてですからどこか一抹の寂しさが漂います。

その後の私は目的を失ってもぬけの殻になるかもと懼れていましたが、初孫が成長してくれていますからね~

明るい希望の星をしっかりと見つけた思いです。
今日は合格祝を送りに行こうと思っているのです~

大阪のお客さんはマイカーでお見えになりました。
母もにこやかにお話できたし、夕方福岡の弟さんの家に向かって立たれましたので、お見送りも窓辺のカーテンを開けて手を振って元気に挨拶できていたのですよ~

静かな日が戻ってきて園芸を楽しめるとワクワクしている私です~(*^^)v

では、またあした~
おげんきで~(^.^)/~~~

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