安心してもらえる日 (2007-04-18 の自分史より)
2000年の7月に4姉妹で実家のお墓を
合祀の祀り方で新しく建立しました。
次男を養子にして後継者と決めているので、
中心になって私が仕切ったのです。
お墓の除草に とても苦労していたから、 全面をコンクリートで覆って
きれいにしあげ、満足な出来上がりだったのです。
先祖の永久の住処をきれいに快適にできたし、次は生きている人間の住まいを
最新のバリアフリーで快適なものに~♪と 夢の実現に移ったのでした。
すべて順調だと信じていたのです。
長女で跡取りと言う使命を感じながら 奈良で第1幕を終了し、
これからは育ててもらった恩返しを果たす時だと勤しんできました。
実家のことを気にする嫁はひどい嫁だと言う風評に、
連れ合いは介護に専念してこいと解放してくれたのです。
別荘の落成式が2002年の8月2日に行われ、連れ合いと次男が竹田にきました。
「遠いところを良くお越し~」と母は調子よく会話をしていたのですが、
「あなたは竹田は初めてですか?」と連れ合いに訊ねているのでした。
今までの親しみあふれる会話は何だったのかと
連れ合いはびっくりしてしまいました。
あの賢い母親の見事なまでの物忘れの現実を見て 人間の抜け殻になっていく様を
見続けなくてはならない身内の辛さを思い知ったと後で聞きました。
そして、お盆前だったのでお墓参りをしたときに、
これが原因だとそのとき 脳裏に閃いたそうです。
賢い彼は素振りにも出しません。
草が生えないようにきれいにお墓を纏めることができたと私は喜んでいたのですが、
いつか閑を見てハンマーを持ってきて コンクリートを剥いでしまおうと決めたそうです。
今回11月に引越しする時に一緒についていくといって 譲らない連れ合いに、
「大丈夫よ!なんでそう強くこだわるの?」と聞き質したときに、
初めて胸のうちを打ち明けてくれたのでした。
「お前がそこで生活するようになると、母親と同じ因縁を受けるようになるからな~
お前がしたことで一つだけ気になることがあるんや~
お墓のコンクリは 息が出来ない、 頭を抑えないでくれ~という
先祖さんの声だと思うから、真っ先にとってほしい。
俺が一緒に行きたいと思うのはそのためなんだ。」と。
どこまでも私のことを守ってやりたいと思い続けている彼に、安心してもらおうと
着くや否や 依頼の電話を石材店にかけたのでした。
運の良いことに年明けの予定だと聞かされていたが、今日と明日の二日間
行けるようになりましたと連絡が入りました。
母の体調はすこぶる快適でまともになってきています。
願いを聞き届けてもらえたので、先祖さんたちが安心してくれた姿だと
連れ合いと私は信じているのです。
奇跡の命をいただいている連れ合いの生き様を
目の当りにして生活してきた40年は、
疑う余地もなく彼を信じられるのです。
そこからすべて発展してきたのでした。
モーニングコールの涼やかな声を聞きながら、清澄の声の持ち主だな!
魂が澄んでいるんだ~と強く感じていました。
2004年12月中旬のことでした。
やっと安心してもらえる日がやってきたのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今朝の癒しをお届けしますね
明妃です(めいひ)
山茶花6号です
山茶花5号です
最新の画像もっと見る
最近の「自然讃歌」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事