30数年前の丙午の翌年はベビーブームとなり生徒数が急激に増え、プレハブ教室を増設して対処する時期がありました。
当然生徒指導の眼も行き届かず、大きな非行の波が吹き荒れ、警察権導入の教育現場に私の勤務校もなりました。
校内暴力や器物破損などいたるところが継ぎ接ぎだらけの傷ましい学校に変貌していくのです。
落ち着きや安らぎなどを感じる場所もなく、情操教育の大切さを痛感した私は本格的な切花の栽培を心がけるようになりました。
40歳になる長男の中学時代が荒れのピークでした。
若い女教師の担任を1学期で退職させる学級に彼もいました。
丁度連れ合いが東京に単身赴任中でしたし、仕事場と家庭に安らぎのない生活を必死で過ごし荒波を掻き分けて泳いでいました。
いったん学校が荒れ始めると沈静化するまでに数年を要します。
部活の先輩後輩と言うつながりもあるし、使い走りをさせられたり見えないところで非行を受け継いでいくのです。
地域の宝は子どもや~と行政もマンモス校の解消として新設校を計画して分離統括し、第3中学校ができました。
その新しく出来た学校の1回目の卒業生が同窓会を計画しているのです。
長い前置きでしたが、教師も荒れや揺れから子どもを守ることに真剣に話し合って努力したし、非行の極みを先輩に見て入学してきた学年でしたから、真理の探究に燃えた生徒たちでした。
強い絆で結ばれて今なお懐かしさがこみ上げる関係がご褒美として人間の心の触れ合いを持続できているのです。
女金八に私はなる!と気負っていましたからね~
大きな嵐も過ぎてしまえば、嵐のすごさまでがありがたかったと喜べます。
真剣にぶつかったものだけに与えられる喜びです。
「私は学校ではあなたの保護者だ!」と小柄な150センチもない私が立ちはだかって守ろうとしたのです。
それが心強かったと気迫を正しく受け止めて信じて付いてきてくれました。
今は母親の介護中だから奈良には帰れないのよ~といえば、ネット同窓会としてHPを立ち上げるから教え子と掲示板で再会を果たしてくださいとURLと私のパスワードを添えての招待状でした。
良い時代になったものです~
大きな非行の波を学年と教師集団とが一丸となって一枚岩で乗り越えてきたから、誰一人落ちこぼれさせてはいけないと言う姿勢を彼らは今も示すことができるのです~
これが教育だったのですよね~
ちょっと読みづらい話になったかもしれませんが、伝えたかったことです
また、明日ね~
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