(写真は峠の茶屋)
先月の帰省の際、宮本武蔵の「霊厳洞」を車で
訪れた事をご紹介しました。
その霊厳洞へ行く途中で、夏目漱石の「草枕」で
有名な「峠の茶屋」に立ち寄りました。
夏目漱石が「草枕」で作家デビューすると、その
掲載誌はたちまち売り切れ、これにより人気作家
としての地位を不動のものとしました。
「草枕」については、今週のテレビ「草枕の舞台
熊本・・小天」でもやっていましたので、
併せてこの番組内容も ご紹介します。
(BS朝日:「にほん風景物語」)
明治29年、夏目漱石は、第五高等学校(現熊本
大学)の教師として熊本入りしました。
そして、翌年12月の暮れ、漱石は、正月を「小天
温泉」でゆっくり過ごそうと、熊本市から、市の
西側に位置する金峰山を越えて、「小天温泉」
まで旅をします。
(金峰山:BS朝日「草枕の舞台」)
漱石は、この旅の途中で、金峰山の麓にある
写真の「峠の茶屋」で一服します。
草枕 (新潮文庫) | |
夏目 漱石 | |
新潮社 |
この「峠の茶屋」は、夏目漱石の
”「おい」と声を掛けたが返事がない”、
で有名な小説「草枕」の舞台です。
下記の「草枕」の冒頭の舞台は、金峰山の
谷あいを抜ける「鎌研坂」(かまとぎざか)です。
「山路を上りながら、こう考えた。
智に働けば角(かど)がたつ。
情に棹(さお)させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
兎角(とかく)に人の世は住みにくい。」
(鎌研坂:BS朝日「草枕の舞台」)
熊本市内から金峰山を上って来ると、上記の
鎌研坂を抜けた所に、漱石も立ち寄ったこの
「峠の茶屋」があります。
「峠の茶屋」に入ると、上品な感じのボランティア
のおば様が、囲炉裏端で無料のお茶をサービス
しながら、「草枕」について、下記の様に丁寧に
説明してくれました。
その説明によると、「草枕」には、「峠の茶屋」
は一軒しか出てきませんが、当時、熊本から
「小天温泉」への道中には、ここ「鳥越(とり
ごえ)峠」と、この先の「野出(のいで)峠」
とに、二つの茶屋があったそうです。
当時の「峠の茶屋」は、老朽化のため取り壊され
ましたが、この「峠の茶屋」が最近、資料館
として復元されたのだそうです。
峠の茶屋の縁側には、高齢者のグループの方々が休息されていました。
新しい「峠の茶屋」には、付近で採れた農産
加工物などが販売されてます。
(峠の茶屋にあった宮崎駿のサイン)
このグループは、これから先、趣きのある”石畳
道”や、”野出峠”を経て、小天温泉までの
「草枕の道」のコースを歩くそうです。
(石畳道:BS朝日「草枕の舞台」)
(野出峠から有明海を望む:BS「草枕の舞台」)
漱石が歩いたこの「草枕の道」ハイキングコース
は、良く整備されており、散策ファンに最も人気
があるらしいです。
漱石は、鎌研坂を上り、野出峠を越えて、「小天
温泉」へと下りました。
「小天温泉」は、江戸時代から、熊本市に最も近い
温泉地として知られていたそうです。
峠の茶屋を出て、ボランティアのおば様に教え
られた「峠の茶屋」の脇にある「漱石時代の峠の
茶屋跡と井戸跡」を見物してから、熊本市内へ
戻りました。