![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/3a/21ad1aedaf549eac19ba149e14a5c183.jpg)
(写真は「なが餅」)
翌朝、昨日の続きのJR朝日駅をスタートします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_train.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/41/2f/be5fe2c9bc5a377b687c4679f1d5c247_s.jpg)
朝明橋を渡って、近鉄とJRのガードをくぐり、富田一里塚跡
の碑を過ぎて、住宅街の中を歩いて行きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/49/e0/ab3e7492b6e882ad96af6cfb24176c84_s.jpg)
寒風の中、住宅街なので、行けども行けども、
公衆トイレ、喫茶店、食堂などありません!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0211.gif)
参ったな~! 我慢できない・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0200.gif)
すると、東海道400周年記念の立派な公園がありました!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0199.gif)
期待して広い公園に入りますが、トイレはありません・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_shock_s.gif)
東海道の記念公園をつくるなら、公園の隅にトイレくらい
作るべきだよな、とブツブツ言いながら歩いていると、
道の右側の光明寺というお寺の門の奥に立派なトイレが!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0140.gif)
光明寺に光明が・・・?!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7a/a5/b9d171a8c9a83ac1d06ba16f395ee1e9_s.jpg)
有難い! 素直に仏様に感謝します!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0139.gif)
先日、京都でたくさんのお寺にお参りしたので、早速に、
ご利益があったみたいです・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0140.gif)
いったん1号線と合流して、海蔵橋へ回って海蔵川を渡り、
また旧東海道へ戻ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/52/ad/df74389bc7efb1cbf5de397a3ef96666_s.jpg)
暫く歩いて、三滝川に架かる三滝橋を渡ると、左手に土蔵
造りの次の写真の笹井屋本店がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/15/7f/33d6dfa3806dc2fc052a52e9471f70ee_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/ee/c578317f39d221781bb659c73b0593bb.jpg)
老舗「笹井屋」の四日市の名物「なが餅」を買います。
(7個入り630円)
冒頭の写真の様に、細長く薄いあんこを、軽く焼いた餅で、
香ばしい甘さです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6d/7f/ba5938259acaa284585cb39e07caba6a_s.jpg)
大宰府の梅ケ枝に似た味ですが、あっさりした甘さで、
いくらでも食べられます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0087.gif)
三滝橋を渡った辺りから、四日市宿が始まりますが、
空襲で、宿場町の面影は何も残っていません。
旧道沿いに、たまに古い商家があるくらいです。
この辺りが、四日市宿の中心だったそうです。
まもなく、四日市の繁華街に入り、繁華街の真ん中に
写真の諏訪神社がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5d/41/ac7b1f89860e2a779908de052449859f_s.jpg)
諏訪神社は、宿場町時代から続いている神社で、この辺りが、
四日市宿の終わりだったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/43/b0/33144389fbc622abe9272654faf6bba7_s.jpg)
旧東海道は、昨晩泊まったビジネスホテルの近くを通って、
近鉄・内部線と国道1号に沿う様に西へ進みます。
暫くの間は、ひたすら住宅地を歩きますが、近くに
公害病で有名な四日市の工場群が見え隠れします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_4.gif)
”工場萌え”の私は、工場見学の寄り道をしたい衝動に
かられますが、グッと我慢して歩き続けます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/c6/fa4dd542235294e10195022c4ec59141.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/d8/08e9cf6d319f8c89239106f0b659d362.jpg)
更に3キロ程歩くと、上の写真の日永(ひなが)の追分が
ありました。
道が左右に別れる交差点の中央分離帯に鳥居が立っています。
写真の右の道が東海道で、写真の左の道が、伊勢神宮に向かう
伊勢街道です。
弥次さん喜多さんは、この日永の追分から、東海道を
進まずに、伊勢街道を伊勢神宮へ向かい、伊勢神宮から
奈良街道を経由して京へ向かいました。
従って、これ以降は「東海道中膝栗毛」のエピソードの
ご紹介はありませんので、悪しからず!
また、伊勢街道で、忘れてはならないのは、江戸時代の
”お伊勢参りブーム”です。
日本人の全人口の2割が参加したというから驚きです!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_5.gif)
江戸から伊勢へ向かうお伊勢参りの大集団は、写真の
この日永の追分の左の道を伊勢神宮に向かった訳です!
12/23の「31:新居宿」で書いた「古着屋総兵衛 影始末:
熱風」(佐伯泰英著)でも、集団での伊勢参りをあおる黒幕
を求めて、主人公の総兵衛は、”日永から分かれて、伊勢
街道を進みます。”
伊勢神宮への参拝に、数百万人が、東海道を行き交って、
宿場の茶屋、旅籠が大賑わいだったということですが、
女・子供からお年寄りまで大勢が歩いたお伊勢参りの東海道
のその賑わいぶりは想像がつきません。
当時は、歩きが基本でしたが、疲れたら駕籠に乗ったそう
です。
そうか~!やはりね・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
お年寄りは全行程を歩くのは無理だったでしょうね。
そう考えると、駕籠に乗らずに、全行程を歩く私は偉い!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0140.gif)
近鉄・内部線の終点の内部駅を過ぎて、内部川を渡ると、
間もなく、うつべ町かど博物館があり、杖衝坂(つえつき
ざか)が始まります。
杖衝坂の地名の由来は、重傷を負った日本武尊(やまと
たけるのみこと)が、杖をつきながら必死で登った坂
だからだそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0090.gif)
なお、三重県の名前は、この時の重傷で、日本武尊の足が
三重に曲がってしまったことに由来するそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
ひ~ぇっ! それで三重県!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0144.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_5.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/a3/65d67d16302f91985737ef2a7ce8c5d3.jpg)
思ったより短い坂で、杖衝坂を登り切ると、やがて国道1号
に合流し、農家と田畑の中を、次の石薬師宿に向かいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3c/f5/37df63450ab19f2ccca3d7438efa3e08_s.jpg)
四日市宿から石薬師宿まで約11キロです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)