学習メモ。
間違いあれば、
私の聞き間違いか、知識不足です。
また、" "内は感想です。
今回は第3回、
「大正の三大洋食ブーム」、
(モダンガールの時代)。
キーワード的なメモを抜粋して書きます。
・三大洋食とは食カレー、コロッケ、トンカツのこと。
・モダンガール(洋装、断髪)はモガ、モダンボーイはモボと呼ばれた。
・サラリーマン、腰に弁当をぶら下げて出勤する姿から、
腰弁などと揶揄された。
しかし、安定して給料をもらえるサラリーマンは当時のあこがれの職業だった。
・当時は、女に三界無しという時代だった。
"ナポレオン民法の影響かもと思いつつも、
調べる知力、根性はありません。"
・女学校の学生も、
卒業を待たずに結婚して行くのが、女の花道であったのが、大正時代。
・これらの結婚相手はサラリーマンであり、
中流層であった。
明治の時代の雑誌は限られた知識層向けであったが、
大正になると中流層向けが出てきた。
一般向けの料理本が出てきたのは1903年以降であった。
・トンカツ
カツレツが原型。
カツレツとは肉を薄く叩いて、
小麦粉の衣をつけて、揚げ焼きにする料理。
肉は牛か鶏。
・日清日露戦で牛肉が足りなくなると、
豚肉が普及して、カツも豚肉を使うようになった。
トンカツ普及の2つの要素。
・①煉瓦亭、1899年に天ぷらをヒントに、小麦粉、とき卵、麦パン粉を付けてから、
たっぷりな油で揚げることを思いついた。
温野菜の代わりに刻んだ野菜をつけるようになった。
・②あらかじめ包丁で切り、箸で食べられるようにしたこと。
”1900年代の初めころか?”
・ウスターソースの普及
1.キッコーマン1854年に製造、すぐ撤退。
2.やまさ醤油1885年、1年で撤退。
3.越後谷産業(大阪)1894年、関西でソース製造が盛んになる。
・トンカツは洋食なのか?
専門店が出てきた昭和初期から和食化が始まっている。
・1960年ころにはすっかり和食していたのではないだろうか?。
・カレー
ルーがなかったので、小麦粉とカレー粉でトロミをつけた。
ルーができたのは戦後のこと。
・カレー粉1905年に、やまと屋(八食品)国産化
やまと屋は薬種問屋だった。
材料が手に入りやすい薬種問屋が国産化した。
・AC19Cにカレーは鉄道建設のインド人移民などによって世界中に広まった。
日本はイギリス経由。
・日本でインド人移民が店を開くのは戦後のこと。
インド人亡命者をかくまって、
レシピを教えてもらった新宿中村屋以外は、
西洋料理が元であった。
・カレーの定番食材が一通り揃ったのは明治末ごろ。
ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎが普及したのは明治後のこと。
赤く細長い金時人参は江戸時代に普及しているが、
カレーに使うのは丸いオレンジの西洋ニンジン。
戦前の物は香りが強かった。
・玉ねぎは1871年札幌で栽培が始まったが、
ラッキョウのお化けなどと言われ、なかなか受け入れられなかった。
一般家庭に広まったのは大正時代のことだった。
・カレーの形が定まったのは大正時代。
・1863年キャベツの栽培始まる。
・1923年、やまとやに続き、SB食品のカレー粉が誕生。
・昭和初期にカレーがブームになる。
・今や日本食として海外にも知られるようになった。
・コロッケ
1894年レシピ本でクリームコロッケが紹介される。
1895年レシピ本でジャガイモコロッケが紹介される。
・クリームコロッケは高価で庶民には手が出なかった。
・ブログ「温故知新で食べてみた」
今から見ると奇妙に思える昔のレシピの再現。
"今度調べてみよう。"
・豆腐も味噌も醤油も中国から入ってきた。
”でも中華料理で醤油や味噌は、
あまり馴染みがないですよねー。
日本に入ってきて変化して、
今の味噌、醤油になったのでしょうか?。
これもあとで調べよう。"