その2。
この本は20年以上前に読んだ本の再読だったのだが、
うかつにも画像の記述を読み飛ばしたようです。
以下、引用します。
「徴発に応じないだけでなく、住民の一部がゲリラ的な抵抗に出る町も現われた。ミラノの近くのパヴィーアである。
これに対しナポレオンは、本格的な戦闘と同様、町を砲撃させた上、歩兵部隊を突入させ、ほとんどの住民を惨殺してしまった。
見せしめである。半年前、パリの街でデモ隊に砲弾を撃ち込んだときと同様、言葉の上での釈明はともかく、確信犯的な行動であって、彼の反省はない。
事実、この種の大虐殺は、この後、エジプトやスペインでも続く。」
ナポレオンと言えば『吸血鬼』という、
言われ方をされているのは知っていたが、
敵味方の兵士を殺しまくっても、
市民を殺しまくったというイメージはなかった。
でも、実際にはあったらしい。
著者の城山三郎が軍隊が嫌いで、
悲惨な面を強調したかったのだとしても、
まるっきりの嘘は書かないだろうから。
これが、日本での戦国時代だったら、
「その程度は、あるかもね~」、
で済まされるところだろうが、
時は1796年。
関が原から約200年後のことになります。
ナポレオンを嫌らう人が居るのも、
分かる気がしました。
このことは、このブログの次の次あたりの読書メモでも、
取り上げる予定です。
”兵は詭道” ならぬ、
”兵は鬼道” なのでしょうか。