その一の続き
インド首相のギーター贈呈には日本人からも多くのコメントが寄せられており、意図的な曲解や深読みとしか思えない意見もあったが、大半は問題なしという反応だった。贈り物を率直に嬉しいといった書込みもあったが、問題なしとした意見をいくつか挙げたい。
252「ROMしてて思ったけど、多分、事前に宮内庁に相談してからプレゼントしてると思う」
530「いいじゃん。どっかの神社に奉納しとけよ」
535「一方日本人は気持ちだけ受け取った」
659「聖書だろうがコーランだろうがリグ・ヴェーダだろうが、日本人から見たらただの教養書」
670「これは暗に、「我々インド人はこのような考え方を持った民族です。」というモディ首相からの自己紹介みたいなものでは?」
ギーターのお返しに日本からも万葉集を贈ったら、という声もあったが、ジョークなのか笑えるものもあった。
264「手塚治虫のブッダ全巻ハードカバーがいいと思う」
533「「おいしいナンの焼き方」とか「3週間で弾けるシタール」とかそういうの贈ってほしいにゃあ」
546「アグニミサイルを一本だけ、くださいっ!」
635「お返しに松坂牛一年分をどうぞ」
ギーターや神道について解説している意見も結構見られた。教典を持つヒンドゥー教に対し、教典がない神道は日本人にとっても定義が難しいのではないだろうか?これが神道の精神だ、といえるほどの知識のある日本人は少数派だろう。それに対し、明らかにギーターを読んでいる人の意見は面白かった。353の感想は私も共感させられる。
「この本の内容って、カーストの肯定だからなぁ…。クリシュナの持つカルマ=自分たちの生まれながらのカーストで、現代でも親しまれて読まれている訳だから。自分の力ではどうにもできない大いなる抑圧に、どうやって自分なりの肯定を導くか、って言う手引きなんだよね。救いの書でもあるけど、未来も締め付ける鎖の書でもある。
ただ、こう簡単に要約していいほど単純な内容でもないので、本当に読んでみて自分なりの解釈に至って欲しいけど。読んだ感想としては、人間一人はひどく無力なんだとしか」
364はそれへの反論。「しかしその上で同時に最も宗教的に崇高な部分がこの本の中にあるんだよ。「何ものにも執着しない知性を持ち、自己を克服し、願望を離れた人は、放擲(ほうてき)により行為の超越の最高の成就に達する(18:49)」の一節を挙げ、「ギーターも神学的に読まないと表層をなぞっただけでは知として得るものも、宗教や哲学としての良さも理解できないよ」と結ぶ。
18:49は宗教哲学を説く箇所でもあり、だからこそ、非宗教的なテキストやら宗教とは無関係と断定していたインド人に、思わずえっ?となってしまった。教典の解釈は神学的に見るか、そうでないかで大きく異なってる。
神道や世界の諸宗教を一言で説明したのが273。分かり易くて面白い。
「神はいるよ」←ユダヤ教。
「その神の言葉を最後に聞いたのは僕だよ」←ムハンマド(イスラム教)。
「むしろ僕が神の子だよ」←キリスト教。
「僕(インド人)が考えた最強の神だよ」←バラモン教。
「バラモンよりブッタの言う事が神レベル」←仏教。
「神そうな奴は大体友達」←日本(神道)。
付け加えれば、「神そうな奴は大体友達」なのはヒンドゥー教も同じ。自分は神である、とカミングアウトした後のクリシュナとアルジュナ王子は元通り友達同士であり、後者はひれ伏してはいない。以前読んだインドの民話集には神サマに敬意を払わない人々が登場していたのには驚いた。
その三に続く
それにしても、インド首相からの贈り物を報じないのが日本の新聞。神そうにしてる奴こそブンヤ。