トーキング・マイノリティ

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アニばら鑑賞雑感 その九

2016-03-04 21:10:17 | 漫画

その一その二その三その四その五その六その七その八の続き
 初めにアニメ版を見た人と違い原作から入ったファンには、やはり違和感と戸惑いがあるはず。殊に週刊誌連載時から見ていたファンには思い入れが強く、それがアニメ版への違和感となっている。私自身、宝塚版もТVで見ただけだし、メーキャップの濃さに閉口して未だに宝塚歌劇は劇場で見ていない。アニばらは初放送から30数年後、やっと見れた有様。

 尤も違和感を覚えるのは、オスカルの性格や最期が原作と違うためだろう。しかし、原作のオスカルの死の直前の台詞の一部はこうだった。
神の愛に報いる術ももたないほど、小さな存在ではあるけれど…自己の真実のみに従い、一瞬たりとも悔いなく、与えられた生を生きた…
 夢中になっていた子供時代でも大仰だと感じていたし、これをアニメでやれば、完全にリアリティを欠く。さらに最後の言葉は「フランス万歳…!」。これまた初めて見た子供時代さえ、せめてアンドレと言ってほしいと思ったほど。こうして比べてみると、アニメ版オスカルは「アデュウ」が相応しかったと思う。

 ベルばらには実写版もあり、これも原作とかなり違っているが、オスカル役のカトリオーナ・マッコールはヒロインを、「環境の犠牲者」と言っていたことを紹介したサイトがあった。“犠牲者”発言に反発や憤慨を覚えるファンもいるだろうが、私はある程度同意する。家庭環境に加え、時代環境の“犠牲者”と思う。

 原作者・池田理代子氏は、連載開始30周年記念として出版された『ベルサイユのばら大事典』のインタビューで、女性の人間としての自我の確立と、それによってもたらされる自立した能動的な人生を描きたかったと答えている。そのことは作品中において、オスカルが父ジャルジェ将軍に語りかける「感謝いたします。このような人生を与えて下さったことを、女でありながらこれ程にも広い世界を…人間として生きる道を…」の言葉に集約されている、と。
 一方、連載40周年記念本『池田理代子の世界』では林真理子氏との対談で、「オスカルにもアンドレにもアントワネットにも幸せな結末を与えてあげられなかった。だから『ベルばらKids』では…」と言っている。実在のアントワネットはともかく、オスカルの最後は幸せではなかったと認めているのだ。女でありながら広い世界を生きる道を得られたが、苦難の人生だったのは否めない。

軍人として、男性のように生きる道を歩まされながらも、そこに意味を見出し、彼女を支えてくれるパートナーがいて、愛も仕事も手に入れる。オスカルは幸せな生き方をしていると思います」、というコメントをベルばらファンの女性ブロガーから頂いたことがある。たぶん多くのファンもこの見方に同意するだろう。
 オスカルが不幸だったとは私も思わないが、アンドレとの幸せな日々が長く続いてほしかった…と思う方は多いはず。それがファンによる二次創作サイトが数多く作られる理由だし、中でも「もうひとつの人生」というサイドストーりーは面白い。オスカルは両親立会いのもとでアンドレと正式に結婚式を挙げており、戦死はその1週間後というストーリー。このサイドストーリーで「フランス万歳」の台詞はない。

 もしベルばらのキャラと同じ人生を送るとしたら、どのキャラがいいか、と問われれば、庶民の私はためらわずロザリーと答える。オスカルよりもアントワネットの方が革命前までは、女として幸福とも思っている。ロザリーは家を出ても自活できるし、好きになった男と結婚、子供も儲けている。その点、大貴族令嬢のオスカルは、気軽に家を出られない。
 もっと早くジャルジェ家を出ればよかったのに…と感じたこともあるが、これは現代庶民感覚なのだ。但し、家を出れば軍人の道を閉ざされるし、家の後ろ盾があったからこそオスカルは武官になれたのだ。

 それにしても、池田氏はオスカルのようなキャラをなぜ生み出せたのだろう?氏は父親との確執があったらしく、昨年「父との確執」というタイトルで、rikaさんから次のコメントを頂いたことがある。
左寄りの思想に傾倒したのは父との確執が原因なのだろうと私も思います。オスカルは池田さん自身で、王室や貴族というのは多分、父親の暗喩。自分の前に立ちはだかる倒すべき壁なのでしょう。それが池田さんが革命を繰り返し描かれた根源的な理由なのだろうと思います。
 しかし王室と貴族を決して悪者にはしていないところが作品を深いものにしていると思います。単なる左寄りなだけの作品ではないからここまで人気が出たんでしょうね

 物語の登場人物には作者の思想や性格が投影されるものだし、父との確執がない女性作家ならばオスカルのようなキャラは生み出せなかっただろう。父と良好な関係にある女性作家の描く父親像は、娘に甘いというキャラが目立つ。
 昔からのベルばらファンには原作至上主義者も少なくないようだが、アニメ版も大好きになったという方もいる。アニばらを長く見なかった私は食わず嫌いだったかもしれない。映像や音を伴うアニメには漫画とは違う独自の世界があり、アニばらにも素晴らしい映像が多く見られた。原作とは違う作品にせよ、アニメ版も佳作だったと今は感じている。

◆関連記事:「池田理代子の世界
池田理代子氏-左派寄り劇画家?

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6 コメント

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ベル薔薇つながりで (madi)
2016-03-06 04:59:45
去年の4月に書評サイトにアップしたものです。
ロマンチックラブイデオロギーとベル薔薇の関係は目からうろこでした。

気鋭の論客らが、“女子会"の場を借りて、若い女性を取り巻く環境を分析する。結婚観の変遷、専業主婦志向などをテーマとした論考も加わっています。ロマンティック・ラブ・イデオロギーがわかります。
 気鋭の論客らが、“女子会"の場を借りて、若い女性を取り巻く環境を分析する。結婚観の変遷、専業主婦志向などをテーマとした論考も加わっています。ロマンティック・ラブ・イデオロギーがわかります。

 瑣末なところですが、「ベルサイユの薔薇」は、当時の男子中学生としてはほとんどはまらなかったのですが、アンドレとオスカルのありかたがロマンティック・ラブ・イデオロギーの理想であるというのはなるほど、ということでした。結婚まで性行為をせず、生涯そいとげる、というものです。
 オスカルが処女でアンドレが素人童貞で結ばれている、というのはへえ×10でした。オスカルが処女だった描写はあった記憶はありますが、アンドレがそんなにもてないとは思っていなかったようです。
 池田理代子先生もロマンティック・ラブ・イデオロギーのような人生はおくってませんし、1980年代以降はうすれているようにも思われますが、いまだにしばられているひとはおおいのですね。


女子会2.0
2013(平成25)年5月25日 第1刷発行
平成27年月日 初版第1刷発行
編 者 「ジレンマ+」編集部Ⓒ2013 NHK Publishing
発行者 溝口明秀
発行所 NHK出版
ISBN978-4-14-081603-5
C0036

目次

まえがきに代えて――女子会観戦記 古市憲寿

第1章 結婚で幸せになれますか?

(座談会・1)結婚で幸せになれますか?
     旧来の結婚観を捨てられない/
     バーベキューができないと田舎では暮らしていけない!?/
     歯科衛生士と薬剤師、どちらを選ぶ?/
     男女逆転時代/
     玉の輿にはもう乗れない!?

(論考・1)恋愛と結婚はつながっているのか?
     ?ロマンティック・ラブ・イデオロギーを見直す 千田有紀

(論考・2)「憧れ」か、「リスク」か?専業主婦という選択 石崎裕子

第2章 「女子力」アップの果てに

(座談会・2)男性に選ばれないと「かわいそう」ですか?
     女子は〝うらやましがられる〟結婚がしたい/
     義理チョコはなぜすたれてきたのか/
     ファッションセンスは階層!?/
     〝不用意に恋愛ができる世代とできない世代/
     「女子力アップ」の果てに/
     理想の〝トロフィー・ハズバンド〟像を妄想する

(論考・3)「玉の輿幻想」と「理想の妻」の変遷
      ?夢と希望の同床異夢を検証する 水無田気流

(論考・4)あなたの「ロールモデル」は?
      ?生き方が細分化する時代の〝お手本〟像 西森路代

第3章 真に〝自由〟になるために

(座談会・3)磨きすぎた「女子力」はもはや妖刀である
     将来訪れる〝友人格差〟/
     墓守娘になりたくない女子の〝孤独死万歳!〟/
     もはや結婚にメリットは見出せない/
     中途半端な女子力なら、もういらない/
     幻想がなくなったらラクになる

(論考・5)モヤモヤ女子に捧ぐ
      ?不確定な人生を生き抜くための「武器」四か条 白河桃子

コラム
執筆者プロフィール

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Re:ベル薔薇つながりで (mugi)
2016-03-06 20:55:26
>madiさん、

「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」なる表現は興味深いですね。原作では明記されていませんでしたが、アンドレが18歳の時、プロの女と初体験だったというのは、池田氏の発言で判明しました。それから全く性交渉がなかったのかは不明だし、素人童貞かも分りません。オスカルと結ばれた様子から、それなりに体験はあると見ています。
 現代ではロマンティック・ラブ・イデオロギーは、いささか古風に感じられますが、性を謳歌する時代のあとは反動もあると思います。ちなみに池田氏ですが、結婚するならルイ16世が理想と言っていました。恋愛熱など続かないし、金持ちで優しい男性は確かに理想的な伴侶です。

 そして貴方の紹介された書ですが、典型的なベルばら便乗本に見えました。この種の本を私は見たことがありませんが、結構出ているようです。評論家風情にベルばらの読み方を指南されるのは、余計なお世話と言いたくなるし、ベルばら関連グッズが今なお出ていることから、関連書物はこの先も出版されるでしょう。

 せっかく紹介して頂いて大変申し訳ありませんが、論考・5に白河桃子の名が出ていたので、どうも胡散臭く思えました。「ママカースト」を強調していた人物だし、「ママカースト」というのも、ハハサウルスさんのブログ記事で初めて知りました。
http://blog.goo.ne.jp/hahasaurs115/e/b0dc4066ecd6919f22b2da7987b9fd61

 カーストの言葉を安易に振りかざす、社会評論のようにも見えました。wikiによれば白河は、日本のジャーナリスト、相模女子大学客員教授。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属とか。これはもう芸人レベルだし、少なくとも私は論客とは認めません
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%B2%B3%E6%A1%83%E5%AD%90

 そして白河は、バッシングされる朝日新聞社員の妻を擁護したこともあります。池田氏も朝日新聞との繋がりが強く、メディアの取り上げる女性論客を私が信用しない所以です。
http://www.news-postseven.com/archives/20140922_277634.html
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階層と女性 (madi)
2016-03-07 05:04:31
 わたしは女性側の実家時の実力を考慮した場合、男女問題ではなく階層問題ではないかと思っております。 出世というのはチームプレイなので一族の代表が男性であっても全体として両性が豊かになります。女王になるというのはいざというとき処刑されることになりますし。
 池田理代子先生も大学に娘を遊学させる甲斐性ん;や当時の実家の文化の問題をひきづっています。父親の兄弟姉妹の利用は上野千鶴子先生はうまかったとおもいます。父との相性がいいという点ではロマンチックラブイデオロギーは妥協点だったのではないでしょうか。

 全体のなかでのベルばら部分はすくないので便乗本というわけではないですよ。
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Re:階層と女性 (mugi)
2016-03-08 21:29:41
>madiさん、

 白河桃子の名が出ていたので、つい過剰反応してしまいました。未読ですが、彼女には『格付けしあう女たち「女子カースト」の実態』という著書があるらしく、一インドオタクとしては、「へぇ、インドの女子カーストの実態を知ってるの?」と思ったことがあります。
 ママカーストなるものについて記事にしようかと思ったことがありますが、他にも興味対象があったので止めました。白河の名を憶えていたのはそのためです。

 仰る通り、男女問題は性別よりも階層問題が本質ですね。白河自身も「東京都に生まれる。父は開業医。専業主婦の母は建設省官僚の娘」。これでは上から目線は当然でしょう。
 池田氏は女ということで大学進学を父から認められず、母と高校教師が説得してやっと国立大ならという条件で許可されたとか。学費も1年で打ち切られており、まさに当時の実家の文化の問題を受けています。対照的に池田氏よりも十歳年上の塩野七生氏は、イタリア遊学を許されている。恵まれた階層や家庭の出ならば、男性でも後の人生に大きく影響されますね。
返信する
男装の麗人 (YUUMA)
2016-03-09 17:24:44
最近、17世紀のスペインと新大陸で活躍した
Catalina de Erausoのことを知りました。
オスカルとは異なり、自らの意志で男のふりを
することを選んだ(ように見える)この実在の人物の
人生もなかなか面白いものでした。
波瀾万丈を絵に描いたようなエピソードに溢れていて、
とっくに日本のマンガの題材にされていてもおかしく
ないのに、あまり有名ではないのが本当に不思議です。
(自分が知らないだけなんでしょうか)
いつかこの人についても取り上げてみてください。
返信する
Re:男装の麗人 (mugi)
2016-03-09 21:16:37
>YUUMA氏、

 Catalina de Erausoなる人物のことは私も初耳です。検索したら、ちゃんとwikiにも載っていますね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%BD

 はじめは修道女だったのに、鞭打ち行に耐えられず修道院を脱走、兵士になったという波乱万丈の人生を送ったようです。しかし、肖像画を見ると、とても“男装の麗人”には見えません。目撃者によれば、「背が高く、筋骨隆々の肉体と子供のように小さい胸をもっていた」「醜くはないがかなり老けこんでおり、女というより宦官のように見えた」とか。

 あの異端審問で知られるスペインに、男装した女性兵士がいたこと自体、驚きです。スペイン史自体が日本ではマイナーだし、ナポレオン軍にいたフランス女性兵士Marie-Thérèse Figueurさえ一般に知られていない。この人物のことも最近知ったばかりです。
https://en.wikipedia.org/wiki/Marie-Th%C3%A9r%C3%A8se_Figueur

 女性兵士は興味深いテーマですが、私は軍事に疎いので、記事にするのは難しいですね。
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