宮城県美術館の特別展「黄金伝説展/古代地中海世界の秘宝」を、先日見てきた。チラシ表にあるコピー通り、「この世で最も美しく尊い色「黄金」」ゆえ、紀元前に作られたものでも金製品は素晴らしい。チラシ裏では、この特別展をこう紹介している。
「黄金ははるか神話の時代から今日にいたるまで、人々を魅了し続けています。とりわけ古代世界では、金は希少価値が極めて高く、権力や富、欲望を反映する、社会の一端を映す鏡でもありました。
この展覧会では、6千年前の世界最古の金、黒海沿岸のヴァルナの遺跡の復元や、世界遺産から発掘され、日本初公開となるトラキアの絢爛豪華な金製品、燦然と輝く金細工の最高峰、エトルリアの遺品など、古代地中海地域に花開いた文明が生み出した、金の傑作の数々をご覧いただきます。まばゆいばかりの金の遺宝と、金にまつわる神話画をあわせて展示し、金に魅了されてきた人間たちの歴史を紐解きます」
特別展は第1章「世界最古の金」、第2章「古代ギリシャ」、第3章「トラキア」、第4章「エトルリアと古代ローマ」の順に構成されており、上の画像は展示№5「金の羊毛」。タイトル通りギリシア神話をテーマにした、1904年頃のハーバード・ジェイムズ・ドレイパーの絵画。中央の女性はメディアなのは言うまでもなく、彼女は追っ手をまくために実の弟を海に投げ込もうとしているのだ。
金羊毛を巡るアルゴー船の冒険はギリシア神話の中でも際立っているが、実際に金の羊毛があるはずがなく、富の象徴だろう。私的にはワクワクする冒険譚よりも、後半の夫イアソンの裏切りに怒ったメディアの復讐の方が衝撃的だった。何しろイアソンとの間に儲けたわが子を殺す女なのだ。
上は特別展の目玉のひとつ展示№6「ヴァルナ銅石器時代墓地第43号墓」。何と紀元前5千年紀とされ、古代エジプトよりも古い。「6千年前“世界最古の金製品”」という謳い文句もオーバーではない。埋葬された人物は強大な部族長と思われるが、身長が175㎝ほどもあったとか。6千年前なら巨人にちかいだろう。ちなみに展示されていた人骨はレプリカであり、ガッカリした入館者もいたかもしれない。
展示№190~202は「ヴァルチトラン遺宝」で、これも特別展の目玉。紀元前14世紀後半~紀元前13世紀初頭の遺宝とされ、総重量が12㎏を超えているそうだ。これだけでため息がでるが、ヴァルチトラン遺宝の発見のエピソードは面白い。
1924年、ブルガリア北部の葡萄畑で畑仕事をしていた兄弟が、たまたま金属器を掘り出したという。はじめは真鍮のガラクタと思った彼らは最も大きな容器だけを持ち帰り、豚の餌箱に使う。だが、餌を食べた豚がさらに餌箱を隅々までなめ回すと、光り輝く容器に変った。兄弟が驚愕したのは察しが付くが、気になるのは兄弟のその後の人生。会場では彼らのその後への解説はなかった。
上は展示№215「垂れ飾りのある首飾り」。紀元前650年頃のもので出土はイタリア。今回の特別展は腕輪や首飾り、耳飾りなどの装身具が多くあったが、現代人から見てもデザインはもちろんセンスがいい金製品ばかり。むしろ現代のジュエリー店よりも質がよい。当時このようなアクセサリーを身につけられたのは、相当な権力者やその親族に限られたにせよ、金に魅せられない女は未来にも皆無だろう。
特別展で最も驚いたのは、粒金を使った金製品。粒金とは文字通り、金属の表面に微細な粒を大量に連続して付けることでデザインを描く技法。紀元前3千年頃に東地中海地方で生まれ、エトルリア人の手で最高水準に達した。エジプトの金製品にも粒金細工はあるが、粒の大きさは1mm程度に対し、エトルリア人の最小の粒は0.15mmだったという。エトルリア人は紀元前に、何故これほど高度な技術を身に着けていたのだろう?
1mmの金の粒をつくるのはもちろん、並べることも大儀だったろう。職人は自由民だったのか奴隷だったのかは知らないが、作業中はくしゃみひとつ出来ない。これほどの技術は現代でも再現不可能だし、エトルリア人自体がローマに同化・消滅してしまったため、彼らの文化は未だに謎である。
粒金が極小のため、拡大鏡がなければその精巧さが見え難い。拡大鏡が添えられた展示品も幾つかあったが、それなしでも十分に高度で洗練された技法で作られているのは素人目にも分かった。試に粒金で検索したら、「紀元前にこれほどの細工があったのに、なぜ今はないのでしょうか?」というサイトがヒットした。様々な理由が考えられるが、「高性能の機械や道具は人間の能力を低下させる」という意見は納得させられた。
上は紀元前475~紀元前450年頃のギリシアのイヤリング(展示№87)。エトルリアの金製品も見事だが、ギリシアのそれも素晴らしい。本当に手が細かいというか、これまた現代の職人にもなかなか作れない水準かもしれない。
とにかく、今回の特別展に展示されていたアクセサリーを見て、目を見張らなかった女性来場者はいなかっただろう。まるで女性が喜びそうな企画だが、ジュエリーデザイナーには大いに参考になりそうな展示品も多い。美意識でも古代人は現代人よりも優れているとも感じた。
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Varna市(ブルガリアの黒海沿岸の港湾都市)で発見された、紀元前5千年ほどの、世界最古とも言われる黄金文明の発掘は、本当に考古学界の奇跡と思う。
この黄金文明の担い手となった民族名とか、全ては未だに謎のままです。
Vqlchitrqn村は、ドナウ川沿岸のPleven県の南部にある村で、ここから発見された大量の金製品はブルガリアの誇りとなっていますが、実は古代ギリシャ文明の影響下に、トラキア人という、ブルガリアの先住民たちが産みだした黄金文化です。
このトラキア黄金文明については、数年前に東京で展覧会があり、小生も見に行ったように記憶します。ほとんどの陳列品は、かつて、ソフィア市にあった歴史博物館でも見たものでしたが、実に素晴らしいものです。
ヴァルナ遺跡の発掘は、それまでの考古学の概念を塗り替えました。ここで黄金文明が栄えたことが証明され、ギリシア神話の金羊毛を巡る話は、荒唐無稽なおとぎ話ではなかったのです。ひょっとすると世界各地には埋もれたままになっている金製品がまだまだあるのかもしれませんね。
ヴァルチトラン遺宝の発見は興味深いですね。トラキア人の黄金文明はブルガリアの誇りになっているそうですが、現代ブル人の祖先ではないし、トラキア人は周辺の帝国に支配されたり、異民族の侵攻により消滅したようです。古代は優れた文明を生み出した民族が、その後は振るわず消滅してしまったのは残念。
ヴァルチトラン黄金製品を発見した兄弟のその後について、小生もよくは知らないけど、1924年と言うと、第一次大戦後のまだ共産党政権ではない時代の、王制のブル時代ですから、国家が没収するにしても、少しは褒美金が出たのではないかと思う。
なお、トラキア族は、ローマ帝国時代には、一部が奴隷となってローマ市でも働かされていた・・・・スパルタクス(剣闘士奴隷)が反乱を起こした(第三次奴隷戦争)ことは有名ですが、同人は、ブルのピリン地方=Blagoevgrad県の出身者と言われています。
東ローマ時代となり、ゲルマン族がバルカン半島を荒らしまわった時に、ブルガリア地方にいたトラキア人たちは絶滅するほど惨殺され、一部は小アジア半島にまで逃亡したというのがブル人歴史家の説です。小生は、スラヴ人、ブルガール族などが無人のバルカン半島に入ってきて、現地にいる住民たちは殺さずに平和裏に定住を開始した、と言いたいから、ブルの歴史家らは、ゲルマン諸部族の侵攻後バルカン半島はトラキア人とか、ローマ人とかの現地住民は全滅した、と言っているだけと思う。
山岳部に逃げてVlahと呼ばれる遊牧民となった人々(トラキア人の可能性が高い)とか、あるいは平野部にも、かなりのトラキア人が残っていて、侵入してきたスラヴ人達と混血した、と言う事例も多かったのではないかと思う。つまり、今のブル人の血液の中には、トラキア人の血液も残っていると思う。とはいえ、民族名としては既に消えてしまった。
共産党政権前ならば、考古学的大発見者には、少しは国家から褒美金が出たかもしれない…ということですか。共産党政権となれば、報奨金無しだった??
スパルタクスは映画化されましたね。スパルタクスを演じたのがカーク・ダグラス。映画のはじめ、トラキア出身という解説がありました。剣闘士奴隷が反乱を起こすのは無理もありませんが、これ以降はローマで奴隷による大規模な反乱が起こることはなくなりました。
ブル人歴史家がブルガリア地方にいたトラキア人たちは、ゲルマン族によって絶滅するほど惨殺されたと主張しているのは興味深いですね。現代ブル人の祖先であるスラヴ人、ブルガール族は、先住民を虐殺しなかったという説は、バルカン史に疎い私から見ても、ナショナリズムに基づいた神話に見えます。
実際は侵攻時、虐殺はあったと思います。しかし、根絶というのは難しいし、侵入してきたスラヴ人達と混血して溶解してしまったのが真相にちかいはず。