その一の続き
カテラの父は母の前で娘に性虐待することもあったという。母は止めようとしても殴られ、寝ていろ!と怒鳴られる有様。父は妻にも度々暴力をふるい、そのため2度流産、ついに子供が産めない体になったそうだ。カテラは母も被害者だった、という。
このドキュメントのディレクターはアフガン出身者で、アフガンとフランスの共同制作となっている。親族の脅迫などの身の危険もあり、カテラにはフランスへの亡命が認めれ、ビザも下りる。カテラと赤ん坊は渡仏し、現代婚約者と暮らしているそうだ。婚約者が何人かは番組で触れらなかったが、「現在、父親の量刑は決まっていない…」がラストのテロップだった。
今なお、父親の量刑は決まっていないことを不快に感じた視聴者は多かったと思う。絶対的男優位社会ゆえ同性の犯罪に甘いのか?と思った方もいたのかもしれない。私も少し前まではそう解釈していたが、先日読んだ『イスラム教の倫理』(飯山 陽(あかり)著、新潮選書)で合点がいった。背景には男尊女卑思想も影響しているが、イスラム法があったのだ。
『イスラム教の倫理』第5章に「レイプの被害者は「姦通」で鞭打ちされる」という見出しがある。これだけで仰天する日本人が殆どだが、イスラム法を厳格に解釈するとそうなるのだ。
イスラム法において認められた性交とは、配偶者との性交と、女奴隷とその主人との性交のみであり、不倫はもちろん未婚者同士の性交も姦通とされる。
イスラム法においてはレイプも姦通と見なされるため、レイプされたという申告は姦通行為を行ったという自白だと認定される一方、レイプ犯は自白せず、また4人の目撃証言も現れなければ姦通罪は立証されない。現代のイスラム諸国でしばしばレイプの被害を訴えた女性が、逆に鞭打ちなどの厳しい処罰を受けるのはこれが原因だそうだ。
イスラム法ではレイプも姦通として扱われるが、姦通罪は極刑に処される重罪のため、その成立をできるだけ避けるためのしくみが法体系の中にいくつか組み込まれているという。そのひとつは、「類似性の法理」により、姦通罪の成立を避けるという方法。
イスラム法には婚姻にまつわる詳細な規定があり、そのなかに「無効な婚姻のまま床入りが完了してしまった」場合についての規定がある。レイプという行為は、外見だけを見ればこの「無効な婚姻のまま床入りが完了してしまった」場合と類似性が認められる。
ゆえにレイプ後に被害者に婚資を支払い結婚することで、これはレイプではなく「無効な婚姻のまま床入りが完了してしまった」ケースなのだ、とする一種の擬制が成立する。
明白に違法な姦通行為なら話は別だが、違法性に疑いがある場合や合法な性交との間に何らかの類似性が認められる場合には、姦通罪の適用を避けるべきだ。という考えがイスラム法の中にあるという。姦通により女性が妊娠し子供が生れた場合、その子供は父親のいない子供とされ、社会的にもイスラム法上も著しく不利な扱いを受けることになるためだ。
これを以って飯山氏は、「しかし沿革的には婚外子をつくらないための方策であった「類似性の法理」が、現代においてはもっぱらレイプ犯の免罪のために用いられているというのは皮肉です」と述べている。
イスラム法には全く浅学だが、カテラのケースが極めて複雑なのは確かだろう。「無効な婚姻のまま床入りが完了してしまった」が、実の娘なので婚資を支払い結婚することも出来ない。婚外子も生まれているし、イスラム法でも実父の性虐待は想定外になっているのか。
現代のイスラム諸国の殆どは制定法を適用しているが、ムスリムの大半は人間の決めた世俗法よりもイスラム法を重視しているという。ましてアフガンなら2009年に定められた女性への虐待禁止法など、大した法ではない。これがイスラム教の倫理である。
視聴者からのツイートは怒りの声ばかりだったし、私も見ていて気が重くなる内容だった。しかし、同じ出来事は日本でも起きており、アフガンの後進性を責められるのか?少なくともカテラの母は全面的に娘の側に立ち、夫の性虐待を見て見ぬフリをしていたのではない。
さらに性暴力専門の女性関係者も度胸がなければ務まらない。このような女性はイスラム原理主義者からしばしば脅迫を受けており、常に安全圏で活動を利権手段としている日本の女人権屋とは違うのだ。
高校の政治公民の授業で聞かされ、妙に覚えている事件がある。実父から性虐待を受け、何人かの子供を産んだ女性が日本にもいた。彼女は我が子で弟や妹でもある子らを育てるために勤めに出るが、そこで若い男と知り合う。それを知った父は嫉妬に狂い、激しい暴力をふるうが、耐えかねた娘が父を殺した事件だ。
この話を聞いたのが'70年代末だったし、かなり昔のことだ。ネット検索したら、「「父殺しの女性」を救った日本初の法令違憲判決」という記事がヒット、教師の話と殆ど同じだった。事件は昭和43(1968)年10月5日に起きている。
◆関連記事:「生きながら火に焼かれて」
「イスラムシンパからのコメント」
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本当にイスラムの女性はどうしていいものやら。
本文はこのとおりです。
本文の紹介を有難うございました。
そしてmadiさんもブロガーだったことは初めて知りました。法律以外にも多岐にわたるカテゴリーに感心しました。
物証より最後の審判を恐れる者の証言を信用するイスラム法は「何人のムスリムの証人が必要」のオンパレードです。ジズヤよりこちらが改宗を促す強力な武器になってきたのではないかと考えています。
「姦通罪立証には本人の自白か、もしくは成人自由人男性イスラム教徒の証人が4人必要で、しかも4人が4人とも挿入の瞬間を目撃しており、4人の証言内容がぴったり一致していることが要請されるからです。この要件を満たすのは現実的にはほとんど不可能です…」
ジズヤよりイスラム法こそ改宗を促す強力な武器になってきたという見解は目からウロコです。私はこれまで前者と思ってきましたが、ムスリムが多数派となれば異教徒にとってもイスラム法は無視できませんから。
少なくともこのような事をする暇はないでしょう。結局自分の好き嫌いで活動しているのを誤魔化すために高尚な思想があるよう見せかけているだけですね。
ttps://twitter.com/otakulawyer/status/1234279466685194240
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%92%8C%E5%AD%90_(%E5%BC%81%E8%AD%B7%E5%A3%AB)
>「「父殺しの女性」を救った日本初の法令違憲判決」
時代的なものがあるにせよ、男性弁護士が担当していますね。今この事件が発生していたら、さまざま利用しようとする人間がでてきそうです。いわゆる「人権活動家」から。
有名な反日弁護士ですね。この類がヒューマンライツ・ナウ事務局長に収まっているのは救いようがない。日弁連両性の平等に関する委員会委員になっているなら、梅毒が蔓延している風俗嬢のためにひと肌脱げ!と言いたくなります。この手の女は、日本人の人権侵害はガン無視するのが常です。
'60年代後半はまだ女性弁護士がかなり少なかったため、男性弁護士が担当する他なかったと思います。しかも弁護士料は依頼者がリュックサック一杯につめてきたジャガイモだけ。それでも引き受けた弁護士は立派です。かつてはこのような弁護士もいたのです。今や「人権活動家」となっている弁護士も少なくない。