その一、その二、その三、その四の続き
トルコ国民によるケマル批判に対し、体制側は「アタテュルク擁護法」なる、彼を誹謗する言動を禁じる法律を制定するなどして押さえ込んできたが、現代では政府によるこのような国父の偶像化、不可侵化が時代遅れになりつつある。それでも、依然としてケマルを正面から批判する言論は体制側からはもちろん、国民の側からもあまり表に出てこないそうだ。
むしろ近年目につくのは、ケマルの思想を自らの政治的・思想的立場に即して再解釈する言説という。「アタテュルクの世俗主義の本来の意図は、信教の自由を保障する型の政教分離である」として、民主化や基本的人権の擁護の立場から宗教的諸権利の回復・拡大を要求する声などもあるようだ。
21世紀になってもケマルの顕彰は依然として続いており、国民の中に根強く存在する国父への敬愛と、国父を共和国体制の正統性の象徴として位置づけたい体制側の思惑とが分かちがたく結びついていることを示している。その意味でアタテュルクは今なお不滅の国父である、と27章で結論付けている。
在日トルコ人ダニシマズ・イディリス氏による53章「東日本大震災と在日トルコ人による支援」は、一宮城県民として嬉しく思った。震災後、通信手段が通常に戻った時、在日トルコ人同士が互いに連絡を取り合い、今後について話し合ったという。自国に戻るべきか、日本に残るべきか悩むが、歴史や文化におけるある理由により、彼らは残ることに決めたそうだ。そして被災地に救援活動に向かう。
トルコ人たちも最初の段階では皆ジレンマを感じたという。何故なら国外の反応は少々大袈裟であり、日本のメディアより早く発信された情報を受けたトルコにいる家族が、心配し帰国へのプレッシャーをかけていた。しかし、「我々自身は被災地にいる友人たちをはじめ、被災者をそのままにしておいてはいけないと考えた」そうだ。
もちろん彼らも先ず殆ど全員が、「私たちも逃げなければならないのだろうか」と自問自答したらしい。中には帰国したトルコ人もいただろうし、私はそのような外国人に何も言わない。端から外国人の支援は期待していなかったし、去る者は追わない。むしろ、火事場泥棒同然に被災地に潜り込んだ隣国人より遥かにマシだ。イディリス氏は残ってまで支援活動をした心情をこう述べている。
「何故ならば、被災者への救援が必要とされている中、出来ることがあるにも拘らず被災者を残してそこから離れるのは、弱者を支援してきたトルコ国民共通の特性からして認められざる行為であり、日本から離れることを、逃げる、若しくは人間として信頼できないことと見なしたことによる」
トルコ人による支援活動は河北新報でも取り上げられたし、トラックで貴重な生活物質を届けてくれた彼らには改めて感謝と御礼を申し上げたい。それにしても、日土交流というものはエルトゥールル号遭難事件に始まっており、その後の結びつきも災害絡みというのは何か因縁めいている。
コラム11「在日トルコ人から見た日本」も面白かった。執筆者トルガ・オナル氏が日本とトルコの違いのひとつに文字への概念を挙げていたのは興味深い。トルコ人にとって文字とは読むための道具に過ぎないが、日本では文化そのものであるというのだ。確かに氏の言うように、基本的に何でもひらがなで表記できるのに、どうして漢字を廃止しなかったのかと思った外国人は多いはず。
氏は日本でよく聞かれる質問は、「どうしてイスラムなのにお酒を飲んでいるのですか?お祈りしていないのですか?断食をしていないのですか」だったと書いている。そしてオナル氏が挙げたトルコの諺は笑えた。
「何処にもなかった。ずっと探してやっとアッラーのお蔭で新年にラク(蒸留酒)を手に入れることが出来た」
これは一方でアッラーを信じ、他方で酒を平気で飲み、それを素直に罪と思わない殆どのトルコ人の様子を語る言葉ではないかと思う、と氏は認めていた。現代のトルコ人は何の問題も感じずに自分たちのことをムスリムと呼び、その根拠としてアッラーを信じていることを引き合いに出すそうだ。さらにオナル氏はこう言う。
「私が感じることは、トルコ人が宗教から要求していることは完全に精神的な部分であることである。規律などがない、神のみがある宗教である」
もちろんトルコ人の中にもイスラムの戒律をきちんと守る人もいるはずだし、大半の日本人は仏教の戒律を守らないだけでなく、「五戒」すら知らない者も少なくないと思う。私自身も不飲酒戒?クソ食らえだ。それでも仏教徒を自称するのが日本人。規律などがない、仏のみがある宗教が日本の仏教かもしれない。
百聞は一見にしかず、の諺どおり、この本を見ただけではトルコを知ったとはとても言えない。それでも読み物としてはとても面白く参考になった。
◆関連記事:「トルコに反日感情高まる?」
「海外からの支援について」
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隠れたケマルの功績ですね。
コーランを書き記した聖なる文字であるアラビア文字のままだったらそうではなかったでしょう。
(でも、数百年もたてば文字が文化になりますよ。)
でも、アラビア文字の書道は素晴らしいですね。
偶像崇拝禁止 → コーランをアラビア文字で美しく書くのは問題なかろうということらしいですが。
日本人の方が現代トルコ人よりも文字を神聖視しているのかもしれませんね。日本で漢字を廃止していたならば、シナへの共感は薄らいだかもしれません。神聖文字と文化となっていたアラビア文字を廃止させただけで、ケマルの凄さが伺えます。対照的にイランが外来文字を使い続けているのは面白いです。
仰る通り、アラビア文字を解しない外国人が見ても書道は素晴らしい。偶像崇拝禁止が書道を発達させたと言われますが、アラビア文字も様々な書体があります。オスマン帝国スルタンの花押はアートそのもので実に美しいですね。