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『映画を見ると得をする』(池波正太郎著、新潮文庫)を先日読んだ。この本の初版は昭和54(1979)年12月、文庫版になったのは昭和62年春頃なのだ。そのため本にある映画情報はいささか古いが、今読んでも頷けるテーマばかりだった。シネマディクト(映画狂)を自称するだけあり、池波の映画論を見て、得した気分になった。
内容は第一章「何を観ようかと迷ったときは」、第二章「見方によってもっと面白くなる」、第三章「なぜ映画を観るのかといえば」の順になっており、映画好きの方なら殆ど共感する意見ばかり。池波は総じて邦画には辛口だが、時代小説作家ということもあり、特に時代劇には辛辣な評価をしている。「「役者を汚して、血を噴き出させる」のがリアリズムという日本映画の馬鹿の一つ覚え」という題のコラムで、当時の時代劇の抱えていた問題が挙げられており、これでは衰退していったのも当然だった。
今の女性に洋画は観ても邦画は観ないという人が少なくないのも、昔と比べ邦画の質が落ちているのもその原因の一つだと池波は言っている。女の夢を満たすような作品が日本映画にないから、見ても楽しめないと断言する。大抵汚らしく血が流れたり、首が飛んだりするチャンバラ映画か、子供殺し、親殺しの映画ばかり。
殊に時代物がなぜ今の女性にそっぽを向かれるようになったのも、チャンバラがリアルばかりを強調し、物凄い人殺しの現場を見るような、血みどろのものになったのも、大きな理由の一つという。
そして時代劇のみならず、今や邦画の現代物までそのようになってきた。女性が映画を観て楽しさ、さわやかさが残るものをつくらないと厳しい。女性に限らず邦画よりも洋画を観る人が多くなっているのは、結局日本映画の全体的な質の低下が原因であり、だからたまに質のいい作品があっても、客足が遠のいているため、なかなか集まらない始末。
これが1979年当時の日本映画界の状態だが、四半世紀以上も過ぎた今は改善されてきたと思う。それでも時代劇そのものの制作数が減っており、単に制作費の高騰だけが原因ではなく、作り手の意欲もあるのではないか?
第二章で著者は近頃の邦画のいけない点に、シナリオの不味さを指摘している。映画文法というものは、監督なり脚本家なりがその根本をちゃんと見につけていれば、それほど役者に喋らせなくとも分かるはずなのに、最近の脚本家や監督は全部台詞でやろうとする。
「ボクは貴女のどういうところがどうで、こういうところが好きで、前からこうこう思っていて、だからどうこうして、僕はそういう訳で貴女が好きで堪らない。愛しています」…こういうのが今の邦画に多く、まるで必要のない台詞を使うとか。
これには大いに納得した。映画に限らず一昔前のТVドラマでも似た様な台詞が多かった。くどくどしい台詞は興ざめだし、見る気も失せる。現代はТV離れ現象も進んできており、要するにつまらないと見なされたので視聴者が減ったのだろう。
ヘアヌードが解禁される前なので、それへの著者の批評も面白かった。何かというと「見えた」とか「見えない」とか、そればかりを問題にするのも実におかしな話だと断言する。かつては女の陰毛で大騒ぎしていたメディアだが、最近は女性器に話題が移っている。
「セックスの問題は理屈では解決できない。それを理屈で割り切ろうとする愚かしさ」というコラムには、女性議員への痛烈な非難がある。以下はそこからの一部抜粋。
―確かに「人身売買はいけない」ことなんだからね、正面切ってそう言われれば誰も反対できない。それであの売春禁止法というバカ法が通っちゃった、国会で。社会党か何かの婆さん議員が提案したんでしょう、おそらく。男がどういうものかというのを分かりもしない連中がね…(119頁)
「あの馬鹿議員どもが廃止したら」赤線地帯ではどんどん性病が増え、性病が野放しになったという。池波は“社会党か何かの婆さん議員”を責めているが、キリスト教系婦人団体もこれを推進していた。クリスチャンらしく息詰まる清教徒的道徳を振りかざしてなのは想像はつくが、彼女らのひたすら憧憬し続ける欧米社会こそ、21世紀でも日本より遥かに性犯罪の多いという実態は何を意味するのだろう?
その二に続く
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このテーマに関連はないのですが、ご一報したい。
今日、例の「ウィーン発コンフィデンシャル」というサイトを見ていたら、何と韓国の歪曲史観形成への執念というものを扱っていて、しかもこれを非難しているのでびっくりしました。
http://blog.livedoor.jp/wien2006/「ヨーコの話」の「正しい歴史認識」という記事です。
統一教会信徒らしい筆者が、まともなことに、韓国人の歴史歪曲への態度に激怒しているので、びっくりです。また、このヨーコの話、というのは、小生も知らないお話で、米国の教科書に載っている由。
韓国人が、終戦間際に「本国へ逃げ帰る途次の日本人子女に強姦した」事実を記述してあるようで、その史実を消し去ろうと朝鮮日報が呼びかけ、画策している記事を批判している。
統一教会信徒でも、きちんと日本人としての愛国心を持っているらしいところが、素晴らしいと思いました。是非、読んでみてください。
「ヨーコの話」なら、別の人気ブログでも取り上げられており、私も知っていました。米国の教科書には載っているのに、日本ではネットで紹介されているだけ。統一教会信徒らしき管理人が激怒していたとは意外だったと共に、いささか救いがありますよね。統一教会に限らず多くの日本人クリスチャンは、過去に“アジア諸国”を侵略した日本人は、何をされても耐えるべきという姿勢ばかりですから。
ネットには日本人愛国者を装う怪しげな類も少なくありません。拙ブログにも参上しましたが、最近は環境保護や菜食主義者など自称、方々で説教している者もいる。この手合いは中韓批判となるや、途端にナーバスな反応を示す特徴があります。以下の発言だけでも胡散臭い。
「愛国心の奪還にはやはり断食と spaghetti ですな」
「菜食しろとは言わないがクジラ・馬・トリ・シカがあれば十分」
「我々にとって歴史は重い、、だから中韓へは謝罪しないと上手く付き合えないと思います」
「自国史を誇れる様になるためアジアへ頭を下げるのは私の中で広い意味でのナショナリズムだ、そんな観点もある事はご理解頂きたい」
この程度の者が環境や菜食主義を訴えている。ネルーはかつての欧米列強を「宗教の衣をまとった帝国主義」と言いましたが、今の日本には環境や平和主義を装った煽動者が蔓延っています。