その①の続き
ムスリムが異教徒の地で暮らす時、最も不自由を覚えるのは食事と集団礼拝の難しさだろう。食事に多くのタブーがあるのはイスラム教に限らず、ユダヤ教やヒンドゥー教も同じ。同じくタブーがあるにも拘らず、ユダヤ教徒やヒンドゥーがあまり騒動にならないのは、基本的に布教をしない民族宗教ゆえではないか?対照的に常に宣教を行い、イスラムへの改宗を意図するムスリムでは姿勢自体が違っている。
どの宗教信徒も己の宗教こそが一番と思っているが、ムスリムの場合、開祖ムハンマドが「最後にして最大の預言者」という教義になっている。そのため同じ啓典を持つユダヤ・キリスト教すら、遅れて不完全な宗教とされており、ムスリム知識人でも聖書を見る者は至って少ない。まして多神教如きは、暗黒時代の邪教に過ぎない。そんな邪教徒の風習に合わせること自体、背教行為と見なされる。
意外に知られていないが、「郷に入っては郷に従え」という諺は中国語の『入郷随俗』がルーツである。他国でこの諺を実行しないことでは定評のある中国人のことはさておき、数が増えればムスリムは“郷”の習慣を変えようとする傾向がある。学校や職場でも礼拝時間を要望するようになることも考えられる。これを拒めば宗教差別!と言い出しかねないが、果たしてこれは杞憂だろうか。
既にパリなどで公道を占領、集団礼拝を行うムスリムの画像もネットでは見られるようになっている。このような光景を日本でも目にするのは悪夢だろう。
「私はイスラム文化が好きだし理解あるほうだが、これはない」というブログ記事は、九州での出来事が紹介されている。5ちゃんねるでのスレッドがリンクされ、以下は抜粋した一文。
「九州のイスラム教徒が「死後の行き場がない」と悲鳴を上げている。イスラム教の葬儀は火葬を禁止し、土葬を用いることから墓地開設の理解が得られにくく、九州にはイスラム専用の墓地はゼロ。協力姿勢を示す自治体もあるが、実現のめどは立っていない。イスラム教徒たちは「今後も日本に住む仲間は増えると思う。本当に切実な問題」と訴えている 」
ブログ主も熊本県人、私と違いイスラムへの見方は優しいが、最後はこう訴えている。
「イスラム教徒の友人として忠告しますが、現実との妥協点を探るべきではないでしょうか?そうでないと日本人と共存できないし、いずれ叩き出されると思いますよ」
トルコ初代大統領ムスタファ・ケマルは土葬を止めて衛生的な火葬を導入しようとしたが、こればかりは猛反対に遭い断念している。ケマルでも出来ないのだから、ムスリムにとって火葬はほぼ受け入れらないことが伺えよう。火葬と土葬の問題は現代でも、インドでヒンドゥーとムスリムが対立する原因のひとつになっている。
但し、河北新報の記事では東北大イスラム文化協会の活動を支援しているのは公益財団法人・宮城県国際化協会とあり、HPには「多文化共生と県民主体の国際交流・協力活動を促進するためのさまざまな事業を行っています」と謳っている。
未だに多文化共生を訴えるだけでも左派系なのは明らかだし、県民主体の国際交流とやらも怪しい。この類の組織を全面的に持ち上げるのが河北という地方紙。この地方紙は留学生の口を借りて新聞社の代弁をさせているようにも思える。そして関西人の方から、こんなコメントを頂いた。
新聞社(スポンジ頭)
2018-01-14 10:18:25
おはようございます。
私の知る限り、東南アジアのイスラム教徒はそこまで自己主張はしませんでした。飲酒もしますし、怪しいDVDも大好き(笑)。もしかして新聞社が焚き付けていると考えるのは穿ち過ぎでしょうか。
関西の大学でハラーム食に対応している場所がありますが、これはイスラム教徒の学生が一般的になってきたと解釈しています。そして、街にはビルの一室にモスクもありますが、私の見る限り、こちらの新聞社でこのような記事を見たことはないのです。
例えば神戸には戦前からのモスクがありますが、イスラム教徒が騒いでいるなどという話は聞いたことすらありません。
「ムスリムへ理解深めて」「多様性尊重する街に」等と言うならば、河北の社屋か宮城県国際化協会内にでも礼拝所を設置するべきなのだ。リベラル派の嫌らしさは自腹は決して切らず、他人にカネを負担させること。
新聞社は啓蒙記事のつもりだったかもしれぬが、ムスリムへのネガティブなイメージを払拭どころか、新たに植え付けたことだろう。ムスリムとは異教徒を理解しようともせず、己への一方的な理解を求める連中という認識を記事は深めたはず。
いくら「イスラム専門家」が擁護した所でイスラムのネガティブなイメージはぬぐえず、逆に強まっているようにも思える。あのガンディーすら「ムスリムはインドを共通の家と思っていない」とこぼしていたのだ。これも「戦争の家」「平和の家」というムスリムの宗教観が背景にある。
そのくせサウジではなく異教徒の「戦争の家」に移住するのだから始末が悪い。5ちゃんねるにあった書込みは意味深だ。
8名無しさん@1周年2018/01/12(金) 19:15:57.48ID:q+Z1C1XL0
仏像壊しまくるし
存在が普通に公害なのだが。。。
◆関連記事:「ハラル・フード」
「宗教の復讐」
「多発する外国人差別訴訟」
「仏教徒とムスリムの対話」
「日本でイスラムが敬遠される理由」
相容れないお互いの文化を守るために多数の国に分かれているということ。多分これが正しい。
だから、ある国の中で「多文化共生」を進めるとゲットーを作ることになる。それは他文化による侵略に他ならないから嫌われる。
そうしない場合は、居住地の文化にマージ(同化)される。今の日本文化にクリスマスなどがマージされているように。明文化された宗教的戒律のない日本人はそれでいいと思うけど、そうでない人々には許せないのだろう。
メディアは盛んに「多文化共生」を唱えていますが、これを「他文化強制」と揶揄したブロガーさんがいました。自分たちの文化に理解を求めるならば先ず留学生等が日本の文化を理解すべきなのに、そんな姿勢がないようでは将来的に対立は不可避でしょう。欧米諸国の「多文化共生」の実態が知られるようになった今更、何をかいわんやですよ。
全員とは言いませんが、親しくなるとイスラムの改宗を勧めるのがムスリムですからね。ユダヤ、キリスト教徒にも、イスラムという完成の域に達しない低次の宗教を信じる二級信者と見ており、まして多神教徒なら想像がつくでしょう。
これをインドや中国の非寛容に求める人もいますが、それは間違っています。インドの聖地ヴァラナシ(ベナレス)には幾つものモスクがあります。メッカやローマに異教の寺院があること自体、考えられませんよ。