
その一、その二の続き
インドの細密画の特徴はとにかく色彩が鮮やかで、描かれる女性が華やか。上記の画像は、「王女と子供と侍女」という1640年頃のラージプート絵画で、本の口絵に使われていた。ビラスプル派と紹介されており、ビラスプルは北インドの町名で、現代はヒマーチャル・プラデーシュ州にある。
画家たちは単に絵を華やかにするために色彩を多く使っているのではなく、細密画の色にも意味があった。赤は復讐と激怒と果敢を、濃紺は憎悪を、黄は陽気、サフラン黄は騎士道と繁栄、橙は欲情、紫は絶望、緑は愛の感情を表しているという。惑星も占星術と結び付いて色が定められていた。土星は青、太陽は赤、木製は黄、月は白、金星は空色、水星は緑となるそうだが、何故か山田和氏は火星には触れていない。
シャルマ氏も含め、細密画家はよく動物をスケッチするという。これも動物好きだけでなく、スケッチに精を出すのは動物を神や人間の感情の象徴として絵の中で用いるのが伝統となっているからだとか。例えば牡牛はシヴァ神を、ライオンは仏陀を、蛇は財宝を。オウムや孔雀は不在の夫や恋人を待つ妻や女のやるせなさを、カラスは夫や恋人の帰ってくる予兆。クリシュナ神の絵に出てくる牛は恋い焦がれる牧女たちの心。小鹿は美しい乙女に惹かれる男の恋心を表しているそうだ。
また道具も人間の感情の象徴として絵で用いられる。「ヨーヨーで遊ぶ女」といった細密画は、揺れる愛情の象徴がヨーヨーであり、玩具で暇つぶしをしている有閑階級の女を描いたのではない。
インドの細密画家たちは全て手書きで絵を描き、作品全てが異なっているというイメージが漠然とあったが、コピーも多く作っている。元絵から写し取ることもあるし、絵に細かい針孔があけられ、その上から岩絵具や木炭の粉などを落とし、輪郭線を出すパウンチングというやり方もある。パウンチングだと百枚以上もコピーが作れるとか。
絵を依頼主に渡せば何も残らないため、気に入った構図のものが出来た場合、その元絵を取っておいたり、完成した細密画を薄紙に写し取ることもある。後で自分が使うだけでなく、子孫がそこから構図を学んだり、直に写したりする。こうして技術や伝統が伝えられていくのだ。
シャルマ氏以外に山田氏がインタビューした細密画家レーヴァ氏の話は興味深い。レーヴァ氏もバラモンで、シャルマ氏と同じサブカーストに属しているという。彼の元には大都市や美術館から古い作品の補修の依頼がよくあり、それが逸品の場合は勉強も兼ねてコピーを作ってきたそうだ。「全く同じものを何枚も描くということは、画家にとって、いったいどんな意味があるのです?」と質問した山田氏への答えは素晴らしかったので、少し長いが引用したい。
-簡単なことだよ。画家という者はそういうものなのだ。精進していれば画家は一生に一度か二度、新しい構図を工夫することが出来る。しかしそれ以上は出来ない。人間は尽きせぬ泉とは違うのだよ。
例えばここに、先達の描いた傑作がある。コピーを作ってみればその過程で感じられることだが、極めて完璧だ。多くの場合、基本の構図は彼一人でなく、何世代にも亘って吟味され修正されてきている。一枚の優れた絵は、背後に何十枚もの絵を持っていると言ってもいい。先達に学ぶところは多い。何度もコピーしていると、色々なことが分かってくる。描き映すことによって、読み手としても描き手としても熟達していくのだ。
もっとも、永い間伝えられてきたものは、どんなものでも陳腐に見えがちだがね。だから若い連中はそれを軽蔑し、自分のものを作りたがる。細密画が滅びる理由の一つはそれだよ。だが、自分とは何だね。彼らの自分とは実は貧相なものではないのかね。独善的な若者は、この世界が永遠の脈絡の中で進歩し、今に至ったことを知りたがらないで、すぐにでも新しいものを生めそうなことを言う。
むろん、若さというものは往々にしてそういうものだ。だが、先人の知恵を学ばないではこの石の家だって建てられはしない。だから先祖の知恵を学び取ることは大切なのだ。それを糧とし、ほんの少し、次に駒を進める。それがなかなか苦労なのだ(160-162頁)。
その四に続く
よろしかったら、クリックお願いします