
40年ぶりの新作ということで話題となった、「ポーの一族」シリーズの『春の夢』を見た。発表は昨年だが、間もなく単行本化されると思い、連載雑誌の方は買わなかった。正直言って見るのに迷いがあったが、単行本のレビュー次第で買ってもイイと思った。便利なことにネットでは中古品を扱っているし、1度読んだだけという新品同様の「非常に良い」中古本を、送料込でも書店で売っている品より安い価格で入手した。
但し作品の出来となると、満足とは言い難い。この作品への書評はネットでも多数あり、「読者メーター」のコメントにある通り、「かつての耽美かつ繊細な絵柄と流れるようなコマ割りは、40年の間に変わってしまった…」と嘆いたファンも多かっただろう。
やはり40年という歳月は長かった。ベテラン漫画家の絵柄が時と共に変ってしまうのは無理もなく、これより先に40年ぶりに新エピソードが発表されたベルばらも、往年のファンからは絵柄の変化への不満が続出していた。
変わったのは絵だけではない。旧作に比べ直情的な台詞が増えた印象だし、作中で独白とも説明ともつかない、抒情性に富んだ詩がなかったのは実に残念。少女時代、「ポーの一族」その他の萩尾望都作品にある詩には本当に感銘を受けたし、さすが、オモー様(萩尾氏の愛称)と思っていたほど。
しかし変化したのは作者の技量だけではなく、読み手の側も感性や見方が変っているのだ。読者としては少女時代に夢中になった作品が、そのままのかたちでの復活を密かに願っているのだが、所詮タイトル通り儚い春の夢なのだ。
今回のタイトルはシューベルトの歌曲集・冬の旅の第11曲・春の夢がそのまま使われ、ストーリーでも重要な鍵となっている。尤も私は冬の旅での歌曲は第5曲・菩提樹しかしらず、春の夢はこの作品で初めて知った有様。
ストーリー自体は期待した以上に面白かった。今回のヒロイン、ブランカは故郷のハンブルク(独)から弟と共に英国に亡命してきたユダヤ人少女。エドガーは蓄音機でお気に入りの春の夢をかけており、この曲がブランカとの仲を取り持つことになる。少年少女の出会いにクラシックの名曲が使われるのは、少女漫画でよくある設定だ。
しかし、ブランカの台詞にはかなりツッコミたくなる箇所がある。萩尾ファンだった私も50代、とうに無垢な少女ではなくへそ曲がり歴女と化している。無知な十代だった頃には迫害されたユダヤ人に心底同情したが、今では冷たい感情がある。
ドイツ出身のブランカが戦時中の英国で肩身の狭い思いをしており、極力ドイツ語を話さないようにしているのは当然だ。しかし、エドガーの前で強がりもあるにせよ、「ドイツ語だってしゃべりたくない」と宣言するシーンに、ついイディッシュ語なら問題なしでしょ、と言いたくなった。尤もイディッシュ語の会話となれば話が複雑化、どんどん本筋から逸れていくけど。
さらにブランカが語る両親の言葉。父が楽器の制作と修理の工房経営者で母はチェロ奏者、乳母や職人、料理人もいるという裕福な家庭で、彼女の両親は何時もこう言っていた。
「正直に働いていれば、神様が見ているわ。恐れることはない」。
それが所謂“水晶の夜”事件(1938年)で全てひっくり返り、衝撃を受けるブランカという設定には少し違和感を覚える。ヒトラーが政権を取って以降、ユダヤ人の境遇や社会的地位は著しく悪化しており、“水晶の夜”より前のことだったはず。もしかするとハンブルクは迫害が比較的少なかったのかもしれないが、“水晶の夜”ではドイツ全土で暴動や略奪、殺人が吹き荒れている。
“水晶の夜”の直接原因は、ユダヤ系ポーランド人テロリスト、ヘルシェル・グリュンシュパンによる駐仏ドイツ大使館付書記官暗殺事件だが、既にドイツ国内ではユダヤ人への憎悪が渦巻き、一触即発の状態だった。第一次世界大戦敗戦後の混乱や、未曽有の大恐慌でユダヤ人は狡く立ち回っていると見なされ、殊に裕福な少数民族は憎まれる。
欧州史では度々ユダヤ人迫害が起きており、ヒトラーやナチスだけが迫害を行ったのではない。ユダヤ人は過去の迫害を決して忘れる民族ではなく、11歳そこそこの娘であっても、迫害の歴史を教えるだろう。そのためブランカの両親の「正直に働いていれば云々」の言葉は妙だと感じたのだ。
そもそも、正直に働いていれば神様が見ている、恐れることはない…等は日本人の社会観や処世術である。日本人の作者が日本人向けに描いた作品ゆえ仕方ないにせよ、年を経ると無邪気に漫画を楽しめなくなるのか…
その②に続く
◆関連記事:「イスラエル大嫌い!」
「アンネの日記と日本人」