1度読んだだけなのに強い印象を持つ本がある。私にとってその種の本の1つが『マートブ』、著者のベティ・マムーディはイラン人と国際結婚したアメリカ女性。読んだのは10年以上前だが、いかに異文化間の壁が厚いか見せ付けられる内容だった。
著者ベティは在米イラン人医師と恋に落ち結婚する。彼女は離婚歴があるので再婚には慎重だったが、彼の優しい態度に安心して結婚に踏み切った。そして一人娘マートブが生まれる。マートブの意味は確か「暁の光」だったと思う。
ちょうどイラン革命の折り、「里帰り」したいという夫の希望で一家はイランに向かう。夫は2週間でアメリカに帰ると約束していたが、それは嘘だった。夫は 端からアメリカに戻る気はなく、帰国してから態度は一変する。べディのパスポートを取り上げ抗議する彼女にすぐ暴力を振るい、妻を常に親族に監視させる。 そして娘マートブをべディから奪い、彼女を監禁する。絶望的な状況下で、べディは固く決意する。娘を連れてアメリカに帰る、と。
驚くのはイラン人の夫や親族が住んでいるのは地方ではなく首都テヘランなのだ。夫に殴られたベティを彼の親族の女ナスリンがこう慰める。
「男は皆こうなのよ。私の夫やマアン(親族の男の名)も同じことをする」
ナスリンは家でもチャドルを被り、男に極めて従順だが、一応大学にも通っている。べディの夫はそんなナスリンを馬鹿にしていた。
べディに暴力を振るうならまだしも、夫は娘にも鼻血が飛び散るくらい人前でも殴りつける。周囲の人々は咎めるどころか、汚いと後ずさりする。イラン人は血を見るのを忌み嫌うのだ。
ちょうどイラン・イラク戦争が勃発し、テヘランは空襲される。空襲時、恐怖を感じながらもパニックには陥らなかったベティに対し、夫は動転して震えている始末。これでは軍医になれそうもないだろう。戦争中テヘランに滞在していた日本人の手記を見たが、彼もまた腹が据わっている。
まだベティ夫妻がアメリカにいた頃、夫の親族が訊ねてきたことがあった。親族はまだ十代後半の少年なのに、まるで保護者気取りで遥かに年上のベティにあれこれ命令を下していたとも本中に載っていた。
娘を連れてアメリカに帰るため、ベティが取った大胆な行動と不屈な意志は見事だ。ただ、アメリカとイスラムでは所詮価値観が相容れないのかと思った。夫や 親族側もかなり問題があるが、明らかにベティはイランに馴染もうとはしなかった。騙されて連れて来られたという思いが強かったにせよ、イランの習慣に尽く 嫌悪の目を向けている。
もちろんイランの男がすべてベティの夫のような者ばかりではない。彼女の知り合いになった他のイラン人は夫の態度を咎め、彼女が無事アメリカに母子共に戻ったのを知り、勇気を讃える手紙を送ってきた。
ちょうど同じ時代、日本のNHKシルクロード取材班がイランのヤズトのゾロアスター教徒の村を訪れていた。村長自ら赤ん坊をあやし、客を持て成し料理までしているのを目撃した日本人スタッフは、「こんなに働くイランの男の姿は日本の女房に見せたくない」とぼやいたそうだ。
欧米でこの本が出版された時、「イスラムへの偏見を煽る」と批判した者もいるが、逆にムスリムとの結婚の実態が描かれた本をもっと早く読みたかった、と支持する女性も少なからずいた。国際結婚の落し穴は日本人も無縁ではないのだから。
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著者ベティは在米イラン人医師と恋に落ち結婚する。彼女は離婚歴があるので再婚には慎重だったが、彼の優しい態度に安心して結婚に踏み切った。そして一人娘マートブが生まれる。マートブの意味は確か「暁の光」だったと思う。
ちょうどイラン革命の折り、「里帰り」したいという夫の希望で一家はイランに向かう。夫は2週間でアメリカに帰ると約束していたが、それは嘘だった。夫は 端からアメリカに戻る気はなく、帰国してから態度は一変する。べディのパスポートを取り上げ抗議する彼女にすぐ暴力を振るい、妻を常に親族に監視させる。 そして娘マートブをべディから奪い、彼女を監禁する。絶望的な状況下で、べディは固く決意する。娘を連れてアメリカに帰る、と。
驚くのはイラン人の夫や親族が住んでいるのは地方ではなく首都テヘランなのだ。夫に殴られたベティを彼の親族の女ナスリンがこう慰める。
「男は皆こうなのよ。私の夫やマアン(親族の男の名)も同じことをする」
ナスリンは家でもチャドルを被り、男に極めて従順だが、一応大学にも通っている。べディの夫はそんなナスリンを馬鹿にしていた。
べディに暴力を振るうならまだしも、夫は娘にも鼻血が飛び散るくらい人前でも殴りつける。周囲の人々は咎めるどころか、汚いと後ずさりする。イラン人は血を見るのを忌み嫌うのだ。
ちょうどイラン・イラク戦争が勃発し、テヘランは空襲される。空襲時、恐怖を感じながらもパニックには陥らなかったベティに対し、夫は動転して震えている始末。これでは軍医になれそうもないだろう。戦争中テヘランに滞在していた日本人の手記を見たが、彼もまた腹が据わっている。
まだベティ夫妻がアメリカにいた頃、夫の親族が訊ねてきたことがあった。親族はまだ十代後半の少年なのに、まるで保護者気取りで遥かに年上のベティにあれこれ命令を下していたとも本中に載っていた。
娘を連れてアメリカに帰るため、ベティが取った大胆な行動と不屈な意志は見事だ。ただ、アメリカとイスラムでは所詮価値観が相容れないのかと思った。夫や 親族側もかなり問題があるが、明らかにベティはイランに馴染もうとはしなかった。騙されて連れて来られたという思いが強かったにせよ、イランの習慣に尽く 嫌悪の目を向けている。
もちろんイランの男がすべてベティの夫のような者ばかりではない。彼女の知り合いになった他のイラン人は夫の態度を咎め、彼女が無事アメリカに母子共に戻ったのを知り、勇気を讃える手紙を送ってきた。
ちょうど同じ時代、日本のNHKシルクロード取材班がイランのヤズトのゾロアスター教徒の村を訪れていた。村長自ら赤ん坊をあやし、客を持て成し料理までしているのを目撃した日本人スタッフは、「こんなに働くイランの男の姿は日本の女房に見せたくない」とぼやいたそうだ。
欧米でこの本が出版された時、「イスラムへの偏見を煽る」と批判した者もいるが、逆にムスリムとの結婚の実態が描かれた本をもっと早く読みたかった、と支持する女性も少なからずいた。国際結婚の落し穴は日本人も無縁ではないのだから。
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文化・習慣の違う民族の様子を知るのは面白いですね。
外国人との結婚ほど強烈な経験ではないかもしれないけれども、この頃は海外に住んでいる方々のブログがいろいろあって楽しめるようになりました。
主観だろうが偏見だろうが、面白いです。
あたらしい発見のレポート満載。
異文化に接して「日本が強烈にわかる」というか、「日本を認識する」ということが多い様子です。
安全なこちらで?で読むぶんには楽しめますが、海外在住の方は大変そうです。
日本を離れてみれば日本が大好きになるのも共通している気がしますね。そして日本が心配になるのも共通。
一昔前に流行った?「日本は遅れている式」の記述が少ないのは何故でしょうか?(笑
私は海外在住体験はありませんが、海外に住む日本人のブログは面白いですよね。
未だにやっている日本の大手新聞の海外特派員の説教たらしい「日本は遅れている式」があまり見られず、反って視点が鋭いです。
日本人に限らず外国に住むのはストレスがありますが、祖国の生活がよければギャップが大きすぎて大変だと思います。
イスラム圏の方は日本にも来ているので、この先トラブルが増加するのが心配です。ムスリムもまた異文化社会との協調性が極めて薄い傾向がありますから。
同じ東北の田舎人同士、これからもよろしくお願いします。
子は親を見て育つといいますね。軟弱な子供は、軟弱な親を見て育つ場合もありますし、それを反面教師とする場合もありますね。反対に、親が素晴らしくても、子が甘える場合もあります。愚者の類で申し訳ないですが、私のような甘ちゃんが育ったのも、それなりに素晴らしい両親がいて、それに甘えて育った、というのがあります。
日本においても、配偶者・恋人、子供に対する暴力事件も後を絶ちませんね。これは、人種や宗教、先進国・後進国といった、単純な問題ではないですね。日本より進んでいる国でも、ベビー・シッターや両親による虐待も後を絶たない。
ただ、こういう言い方が正しいか分かりませんが、私の父は事の事実を確かめずに怒鳴りましたが、決して手を上げませんでした。怒鳴られ続けたから、言い訳の人間に育ちましたが、親が子に手を上げることの無意味さを知ったつもりでいます。
>「こんなに働くイランの男の姿は日本の女房に見せたくない」
私の父は、職場も近いこともあり、掃除、食事(味を見ないので、不味いものがほとんどですが)、洗濯もしていました。また、公務員とはいえ、昔は薄給で、共働きでした。だから、私にとって、ある程度、男が家事をするのは当たり前だと思っています。男親の家事推進なんて、ある意味、聞いてておかしく思えます。
ただ、親の反動で、向学心に燃えない、お金を貯めない、部屋は綺麗にしない、など、甘えた大人になってしまいました。これまでも、親を見習うべきですが(激汗)。
親が立派過ぎて、子供がダメになるのは珍しくありませんね。M.ガンディーの長男も酒に溺れて若死にしました。偉人の息子なのもかなり重圧だったでしょうが、偉大なスポーツ選手でも親を超える者は至って少ないようです。
家庭内暴力は国の発展や文化はそれほど影響はないと思います。上記のアメリカ女性はかなり悪いケースにあったのだと思います。
私の母の話しでは、実家でよく両親(私からは祖父母)はケンカしても、暴力はなかったと言ってます。
戦争中、母方の祖父は空襲警報がなっても「こんな田舎が空襲されるくらいなら、日本の国もオシマイだ」と言って、皆が薦めても防空壕に退避せず、布団で寝ていたそうです。剛毅よりもヤケだったと思いますが。
私の父はMarsさんのお父様と異なり、母が専業主婦だったこともあるのでしょうが、家では何もしませんでした(笑)。
一昔前は男が家事をするのは当たり前ではなかったので、彼方のお父様はすごいです。
私の父の場合、母がパートに出るのも面白くなかった保守的な夫でしたが、やはり妻子には手を上げませんでした。