明治時代の政界を牛耳った人物として星亨(ほし とおる)がいる。政治資金を集めるのに長けており、それにモノをいわせ、政党員を操縦、剛腕な政治手法で「おしとおる」とあだ名された政治家でもあった。裏切りと妥協を重ね、巨悪と呼ばれた人物だが、星と彼を取り巻く政治風土や社会は平成の現代とかなり重なるところがある。
星亨の絶頂期の明治32(1899)年、幸徳秋水は星を批判して、次のように書いている。
-星亨のすることは善ではないし、義にも適っていない。しかも、昨秋以来、天下の問題は尽く彼の作為によらないものはないし、彼によって解決されなかったものもない。彼は政界の表面には殆ど出ず、隠然とした存在であって、しかも独裁者のような地位権勢を占めるに至ったのだが、その人物と公然として争う者が1人としてないのは、どうしたことであろうか。
それを可能にさせているのは他でもない、日本の国民である。彼らはただただ利益を追う。ひたすら権勢を求める。善か不善かは問わない。星に従えば利益と権勢を得ることが出来るし、彼に反抗すればそれらを失う。そのために人々は彼に従うのである…
大逆事件で処刑されたことで悲劇のジャーナリストとして知られる幸徳秋水は、日本のゴシップ紙の草分けとなった『萬朝報』 (よろずちょうほう)の記者を一時期しており、政界の裏事情にも明るかった。そのため日本の政治風土を鋭く指摘している。
ちなみにこの新聞は権力者のスキャンダルについて執拗に追及、「蓄妾実例」といったプライバシーを暴露する醜聞で売り出していた。当時はプライバシーに喧しくなかったものの、権力者以外にも商店主や官吏の妾までも暴露、妾の実名年齢や父親の実名職業まで記載することもあったので、現代のマスコミと比較するのも一興だろう。第三面に扇情的な社会記事を取り上げたため、「三面記事」の語源にもなった。
星亨が権勢と地位を確保しながら、同時に公益に合致したものを作ったことも事実だった。星には優れた能力と先見性がありながら、疑問視される素質や行動が混在しており、現代に至るまで評価の難しい政治家である。彼は家運が傾き父が家出するという逆境に育ちながらも、努力を重ね英国に留学、ミドル・テンプル法学院で学び、日本人として初めてバリスター(法廷弁護士)の資格を取っている。
なお英国には日本の弁護士に当たるものがバリスターとソリシター(事務弁護士)の2種類ある。バリスターは法廷に立つ資格を持ち、一方ソリシターは依頼人と会って法律事務はできるが法廷には立てない。バリスターの方が偉く大概の席では上席に座るが、面白いことに収入はソリシターの方が多い。そして、ソリシターは今日でもアングロサクソン系の白人が殆どだが、バリスターはどんな人種でもなれる。その辺が英国人の人使いの妙であり、現代もインド人にとってバリスターになることが夢だそうだ。星はそうした実力主義の所を選び、認められたとなる。
悪徳政治家とされたのは、カネによって政党員を味方にして操ったことに加え、壮士たちも掌握していたためだった。少なくとも現代の政治家ならヤクザとの繋がりは問題視されるが、明治は壮士がのさばるのは当たり前だった。彼らの主な役割は代議士への威嚇であり、脅迫はもちろん時には暴行を働き、その動向に影響を与えた。中央・地方の党大会など議事の進行は壮士の力なしにはやれなかった。そのため、議会開催中に保安条例が実施され、壮士のリーダー格らは首都から立ち退かされることも何度かあったほどである。
しかし、壮士たちは単なるゴロツキばかりではなく、自由民権運動に加わることが政治との関りの始まりとなった者も少なくなかった。星自身も英国から帰国後、自由党の代議士となり、藩閥政治を批判、政党政治の基礎づくりを担い、保安条例で投獄体験もしている。壮士には才能を持ちながらも二男、三男であるため芽が出ない者も多かった。政治に暴力がよくないのは書くまでもないが、自由民権運動は政府の弾圧の中で行われており、議会が開設された後も政府は露骨な選挙干渉をしていたため、紳士的な説得だけで事が動いていたのではない背景もある。
壮士たちは志士のことを常に意識し、実際に志士の中にも暴力専門というような輩もおり、そうした人物の仲間が成功すると明治の指導者となった。壮士たちはそれから10年余り遅れて生まれたにすぎない。それに政治は権力の争奪にかかわることゆえ、現代でも決してきれい事だけでは済まない。ただ、帝国議会が開設された以降となれば、壮士はやはり問題の存在となった。
その②に続く
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星亨の絶頂期の明治32(1899)年、幸徳秋水は星を批判して、次のように書いている。
-星亨のすることは善ではないし、義にも適っていない。しかも、昨秋以来、天下の問題は尽く彼の作為によらないものはないし、彼によって解決されなかったものもない。彼は政界の表面には殆ど出ず、隠然とした存在であって、しかも独裁者のような地位権勢を占めるに至ったのだが、その人物と公然として争う者が1人としてないのは、どうしたことであろうか。
それを可能にさせているのは他でもない、日本の国民である。彼らはただただ利益を追う。ひたすら権勢を求める。善か不善かは問わない。星に従えば利益と権勢を得ることが出来るし、彼に反抗すればそれらを失う。そのために人々は彼に従うのである…
大逆事件で処刑されたことで悲劇のジャーナリストとして知られる幸徳秋水は、日本のゴシップ紙の草分けとなった『萬朝報』 (よろずちょうほう)の記者を一時期しており、政界の裏事情にも明るかった。そのため日本の政治風土を鋭く指摘している。
ちなみにこの新聞は権力者のスキャンダルについて執拗に追及、「蓄妾実例」といったプライバシーを暴露する醜聞で売り出していた。当時はプライバシーに喧しくなかったものの、権力者以外にも商店主や官吏の妾までも暴露、妾の実名年齢や父親の実名職業まで記載することもあったので、現代のマスコミと比較するのも一興だろう。第三面に扇情的な社会記事を取り上げたため、「三面記事」の語源にもなった。
星亨が権勢と地位を確保しながら、同時に公益に合致したものを作ったことも事実だった。星には優れた能力と先見性がありながら、疑問視される素質や行動が混在しており、現代に至るまで評価の難しい政治家である。彼は家運が傾き父が家出するという逆境に育ちながらも、努力を重ね英国に留学、ミドル・テンプル法学院で学び、日本人として初めてバリスター(法廷弁護士)の資格を取っている。
なお英国には日本の弁護士に当たるものがバリスターとソリシター(事務弁護士)の2種類ある。バリスターは法廷に立つ資格を持ち、一方ソリシターは依頼人と会って法律事務はできるが法廷には立てない。バリスターの方が偉く大概の席では上席に座るが、面白いことに収入はソリシターの方が多い。そして、ソリシターは今日でもアングロサクソン系の白人が殆どだが、バリスターはどんな人種でもなれる。その辺が英国人の人使いの妙であり、現代もインド人にとってバリスターになることが夢だそうだ。星はそうした実力主義の所を選び、認められたとなる。
悪徳政治家とされたのは、カネによって政党員を味方にして操ったことに加え、壮士たちも掌握していたためだった。少なくとも現代の政治家ならヤクザとの繋がりは問題視されるが、明治は壮士がのさばるのは当たり前だった。彼らの主な役割は代議士への威嚇であり、脅迫はもちろん時には暴行を働き、その動向に影響を与えた。中央・地方の党大会など議事の進行は壮士の力なしにはやれなかった。そのため、議会開催中に保安条例が実施され、壮士のリーダー格らは首都から立ち退かされることも何度かあったほどである。
しかし、壮士たちは単なるゴロツキばかりではなく、自由民権運動に加わることが政治との関りの始まりとなった者も少なくなかった。星自身も英国から帰国後、自由党の代議士となり、藩閥政治を批判、政党政治の基礎づくりを担い、保安条例で投獄体験もしている。壮士には才能を持ちながらも二男、三男であるため芽が出ない者も多かった。政治に暴力がよくないのは書くまでもないが、自由民権運動は政府の弾圧の中で行われており、議会が開設された後も政府は露骨な選挙干渉をしていたため、紳士的な説得だけで事が動いていたのではない背景もある。
壮士たちは志士のことを常に意識し、実際に志士の中にも暴力専門というような輩もおり、そうした人物の仲間が成功すると明治の指導者となった。壮士たちはそれから10年余り遅れて生まれたにすぎない。それに政治は権力の争奪にかかわることゆえ、現代でも決してきれい事だけでは済まない。ただ、帝国議会が開設された以降となれば、壮士はやはり問題の存在となった。
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星亨に注目されるとはさすがですね。現代で言えば田中角栄型の政治家でしょうか。また、原敬も同じタイプの政治家だったと思います。明治の元勲というだけで、政治家としては無能な板垣退助を担ぎ、さらに、議会政治に関する思惑が一致した伊藤博文を総裁に迎え立憲政友会を結成しました。当時の自由民権運動家のなかで最も現実的な考え方を持っていたと思います。未だ評価の定まらぬ政治家ですが、清濁併せ呑む度量があったのでしょう。きれい事だけでは政治はできない。現実を踏まえながら目標を達成する。そのような政治家だったと思います。今の日本にそのような政治家がいるのでしょうか。
星亨を取り上げたのは、高坂正堯氏の著書に星が載っていたからです。高坂氏も彼の功績として明治版の列島改造運動を挙げていました。まさに清濁併せ呑むタイプの政治家でした。「カネのかからぬ政治」等のスローガンを掲げる候補者や議員は、欺瞞そのものです。政治家は嘘の達人だし、そうでなければ無能ですが、クリーンだけを求めるマスコミや国民は、返って政治家の質を落としているような。
そして、明治時代のマスコミも低俗だったのが伺えました。