その①、その②、その③の続き
明治32(1899)年秋、星亨は仙台の憲政党東北出張所開設に当たり行った演説にこそ、彼の戦略が如実に示されている。星は東北の将来は “憲政に適応する積極主義”に掛かっていると述べ、その理由として東北は農業や工業、商業、金融でも遅れているので、それを改良進歩させなければならないという。続けて、彼はその必要性を訴える。
-交通機関が完備すれば輸出入が容易になるから農商工業ともに発達する。故に、交通機関完備するのが第一必要である。東北の交通機関を以って関西に比すれば、発達して居らないから之を発達せしめねばならぬ。教育においても、普通教育にせよ高等教育にせよみな遅れている。高等教育は学ぶところが少ない。これを関西の如く高くせんとすれば積極主義をとり、新たに設ける外はない…
党出張所開所式は東北築港、東北鉄道完成、東北大学設置の3項目を満場一致で決議した。こうした政党の在り方は憲政党とやがて政友会により、日本全国あらゆるところで一般化した。それにより党勢は拡大、大正に入り政友会党首・原敬の下で本格的な政党内閣が生まれることになった。戦後もごく最近まで基本的に事情は変わりなかった。高坂正堯氏は星の戦略を「明治の日本列島改造論」と表現されているが、昭和のそれと重なる面も多く、実に的確な例えだろう。
星の掲げた政策は政友会の成功の原因となっただけではなく、日本の近代化の成功にも貢献したのは消しようのない事実である。国の発展はもちろん、地方利益の増進を図ることが政治の重要課題なのはいつの時代も同じなのだ。もちろん、そこには問題もあり、特に利益配分の原則が支配的になる時は、そうなる。「星亨は近代日本の成功と共に失敗への政治の貢献を象徴している」と、高坂氏は結んでいる。
政友会発足の翌年となる明治34(1901)年、東京市議会議長をしていた星は、市庁参事会室内で教育者で剣術家でもあった伊庭想太郎により暗殺される。享年51歳の若さだった。なぜ伊庭が星を殺害したのか真相は不明だが、壮士にとって藩閥政治と妥協した星は裏切り者の変節漢以外の何者でもないだろう。壮士と繋がりがあり、彼らを利用して実力者となった星には相応しい最後かもしれない。
今も昔も政治家には悪党と呼ばれる者が少なくないが、小悪人は殆ど注目されぬまま消え去るので、何らかの能力と業績のある巨悪となれば歴史に名を残すことになる。そのような人物は長きに亘り、毀誉褒貶が続く。
それにしても、星や彼を取り巻く政治家や社会の動きに軽く目を通すだけで、平成の現代とさして変わりないものを感じたのは私だけではないだろう。幸徳秋水が星を評したように、「政界の表面には殆ど出ず、隠然とした存在であって、しかも独裁者のような地位権勢を占めるに至った」実力者は現代も政界に君臨している。それというのも日本国民が、「ただただ利益を追う。ひたすら権勢を求める。善か不善かは問わない。星に従えば利益と権勢を得ることが出来る」ため、ひたすら権力者に従うという構図。
星を非難した幸徳秋水側のジャーナリストもまた政治家の虚報と醜聞で売っていた。記者たちもまた「ただただ利益を追う。ひたすら権勢を求める」ことでは同じなのだ。低俗な新聞を俗に“赤新聞”と呼ぶが、これは秋水が一時期記者をしていたゴシップ紙『萬朝報』が一時淡紅色の用紙を用いたことから来ている。この萬朝報は“三面記事”の語源にもなっており、近代日本のジャーナリズムのあり方を確立、扇動記事で世論を動かすという情報操作の先駆けも果たしている。
さらに政治家とヤクザとの関係は面白い。現代でも政治家や政治活動家に脅迫はつきものだが、明治の御代に比べれば、大物の暗殺はまずなくなったはず。せいぜい気に食わぬ実力者の元に銃弾を送り付けるか、家人の留守を確認して家に放火するのが関の山。本当に斬られていた明治時代とは異なり、ゴロツキもまた草食系になってきたのか。
wikiには星の興味深いエピソードが載っており、その箇所を抜粋したい。
「明治維新の後には陸奥宗光の推挙で明治政府に入り、一時横浜税関長となるが、英国のクイーンを「女王」と訳し、「女皇」と訳すべしとするイギリス公使パークスの抗議に、自説を主張し一歩も譲らず、いわゆる「女王事件」を引き起こし、引責辞任した…」
もし星が自説を曲げていたならば、現代でも英国女皇の名称が使われていたかもしれない。星の主張は全くの正論だが、役人が対外問題で正論を吐き、詰め腹を切らされるのは今も通じるものを感じさせられる。
■参考:『世界史の中から考える』(高坂正堯 著、新潮選書)
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明治32(1899)年秋、星亨は仙台の憲政党東北出張所開設に当たり行った演説にこそ、彼の戦略が如実に示されている。星は東北の将来は “憲政に適応する積極主義”に掛かっていると述べ、その理由として東北は農業や工業、商業、金融でも遅れているので、それを改良進歩させなければならないという。続けて、彼はその必要性を訴える。
-交通機関が完備すれば輸出入が容易になるから農商工業ともに発達する。故に、交通機関完備するのが第一必要である。東北の交通機関を以って関西に比すれば、発達して居らないから之を発達せしめねばならぬ。教育においても、普通教育にせよ高等教育にせよみな遅れている。高等教育は学ぶところが少ない。これを関西の如く高くせんとすれば積極主義をとり、新たに設ける外はない…
党出張所開所式は東北築港、東北鉄道完成、東北大学設置の3項目を満場一致で決議した。こうした政党の在り方は憲政党とやがて政友会により、日本全国あらゆるところで一般化した。それにより党勢は拡大、大正に入り政友会党首・原敬の下で本格的な政党内閣が生まれることになった。戦後もごく最近まで基本的に事情は変わりなかった。高坂正堯氏は星の戦略を「明治の日本列島改造論」と表現されているが、昭和のそれと重なる面も多く、実に的確な例えだろう。
星の掲げた政策は政友会の成功の原因となっただけではなく、日本の近代化の成功にも貢献したのは消しようのない事実である。国の発展はもちろん、地方利益の増進を図ることが政治の重要課題なのはいつの時代も同じなのだ。もちろん、そこには問題もあり、特に利益配分の原則が支配的になる時は、そうなる。「星亨は近代日本の成功と共に失敗への政治の貢献を象徴している」と、高坂氏は結んでいる。
政友会発足の翌年となる明治34(1901)年、東京市議会議長をしていた星は、市庁参事会室内で教育者で剣術家でもあった伊庭想太郎により暗殺される。享年51歳の若さだった。なぜ伊庭が星を殺害したのか真相は不明だが、壮士にとって藩閥政治と妥協した星は裏切り者の変節漢以外の何者でもないだろう。壮士と繋がりがあり、彼らを利用して実力者となった星には相応しい最後かもしれない。
今も昔も政治家には悪党と呼ばれる者が少なくないが、小悪人は殆ど注目されぬまま消え去るので、何らかの能力と業績のある巨悪となれば歴史に名を残すことになる。そのような人物は長きに亘り、毀誉褒貶が続く。
それにしても、星や彼を取り巻く政治家や社会の動きに軽く目を通すだけで、平成の現代とさして変わりないものを感じたのは私だけではないだろう。幸徳秋水が星を評したように、「政界の表面には殆ど出ず、隠然とした存在であって、しかも独裁者のような地位権勢を占めるに至った」実力者は現代も政界に君臨している。それというのも日本国民が、「ただただ利益を追う。ひたすら権勢を求める。善か不善かは問わない。星に従えば利益と権勢を得ることが出来る」ため、ひたすら権力者に従うという構図。
星を非難した幸徳秋水側のジャーナリストもまた政治家の虚報と醜聞で売っていた。記者たちもまた「ただただ利益を追う。ひたすら権勢を求める」ことでは同じなのだ。低俗な新聞を俗に“赤新聞”と呼ぶが、これは秋水が一時期記者をしていたゴシップ紙『萬朝報』が一時淡紅色の用紙を用いたことから来ている。この萬朝報は“三面記事”の語源にもなっており、近代日本のジャーナリズムのあり方を確立、扇動記事で世論を動かすという情報操作の先駆けも果たしている。
さらに政治家とヤクザとの関係は面白い。現代でも政治家や政治活動家に脅迫はつきものだが、明治の御代に比べれば、大物の暗殺はまずなくなったはず。せいぜい気に食わぬ実力者の元に銃弾を送り付けるか、家人の留守を確認して家に放火するのが関の山。本当に斬られていた明治時代とは異なり、ゴロツキもまた草食系になってきたのか。
wikiには星の興味深いエピソードが載っており、その箇所を抜粋したい。
「明治維新の後には陸奥宗光の推挙で明治政府に入り、一時横浜税関長となるが、英国のクイーンを「女王」と訳し、「女皇」と訳すべしとするイギリス公使パークスの抗議に、自説を主張し一歩も譲らず、いわゆる「女王事件」を引き起こし、引責辞任した…」
もし星が自説を曲げていたならば、現代でも英国女皇の名称が使われていたかもしれない。星の主張は全くの正論だが、役人が対外問題で正論を吐き、詰め腹を切らされるのは今も通じるものを感じさせられる。
■参考:『世界史の中から考える』(高坂正堯 著、新潮選書)
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この星亨と言う人物は田中角栄に非常に似てますね。ただ、自分の財産を持たなかったところが違いますが。
ところで、夏目漱石の弟子で東大物理学部教授の寺田寅彦が当時の新聞についてのエッセーを書いているのですが、型に嵌め、実際とはかけ離れたおかしな事件記事を書く、取材記者に科学の知識がなく学者に頓珍漢な質問をし、話したのとは別の内容の記事を書く、と今とまるで同じ状況になっているのには呆れます。結局、その方が楽だからでしょうが、今のマスコミは外国の影響が非常に強い分、戦前より始末に悪いと思うのは私だけではないと思います。
寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」です。 ttp://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2492_10275.html
私も星亨と田中角栄をつい重ねて見てしまいました。後者が星を手本にしたのかは不明ですが、日本の政界の実力者とは表に滅多に姿を現さないパターンなのでしょうか。
寺田寅彦の「ジャーナリズム雑感」のご紹介を有難うございました!何と、昭和九年四月、中央公論に載ったエッセーだったとは。
「事実の真相とどれだけかけ離れているかはこの際問題にしている暇はないので、ただいかにももっともらしくその場限りのつじつまが合っているということが大切なのである」「たとえ事実とどれほど離反していても、そんなことは元来(殺人事件)加害者にも被害者にも縁故のない赤の他人の一般読者にはどうでもよいのである」など、ジャーナリズムの実態は現代と全く同じですね。
仰る通り、戦前も戦後も新聞がいい加減なのは同じでも、外国の影響下にあるだけ状況はさらに悪くなっているように思います。
「昔のギリシア人やローマ人はしあわせなことに新聞というものをもたなくて」「そのおかげであんなに利口であったのではないかという気がしてくる」と寺田が述べているのは皮肉です。
確かに角さん(新潟県ではいまだに親しみを込めてこう呼ぶ年配の方が結構いらっしゃいます)を思い出させる方かもしれません。部分的には小沢一郎氏も浮かびますが、全く格が違いますね。小沢氏は私益の為に動いているだけですから。
幸徳秋水に対するイメージはちょっと複雑なものを抱いていました。決めかねていたというか…。正論とゴシップ、正論だけでは売れませんし、ゴシップにのめり込めば正論も軽く見られます。マスコミは「商業」ですから、そのバランスは難しいですね。「ご都合」による中身の取捨選択は今も昔も変わらないのでしょう
が、受け取る側の姿勢も問題です。
>「ただただ利益を追う。ひたすら権勢を求める。善か不善かは問わない。星に従えば利益と権勢を得ることが出来る」
利益と権勢、腐る直前の物ほど美味だということもあります。それに群がる者も自分がいずれ腐臭を漂わせていくことに気付かないのでしょうね。(変な喩えですが、ニンニクもみんなで食べれば気にならないといいますか…)
正直私は(女性の立場でこんなこというのもなんですが)、政治家の女性問題はさして気になりません。あまりに過ぎるのはどうかと思いますが、政治家として国益を守ってくれるのならば、それ程うるさく言う問題ではないと思っています。ただ、「相手は選んだ方がいいんじゃない?」と思います。口が軽くてべらべら情事を話すような女性を相手にするならば、その政治家の器もそれ位ってことでしょう。
まぁ、相手を叩く格好のネタですから、カードにはなりますね。
政治家も(ついでにいうとお相手になる女性も)、ジャーナリストも矮小化してきているということでしょうか。
女皇と女王、どうちがうのでしょうか?女皇というばあいは、ロシアのエカテリーナのように、本当に統治権があった場合、ということでしょうか?
英国の場合、エリザベス1世、ヴィクトリア女王の時代には、かなり大きな権力を保持していたけど、最近の女王は、「君臨すれども統治せず」ですから、「女王」の肩書きが相応しいという議論でしょうか?
他方、日本の場合、明治憲法でも、天皇はかなり「君臨すれども統治せず」に近い地位だけど、英訳ではEmperor=皇帝です。皇后陛下もEmpress。
ちなみに、小生も星亨という政治家に関し、何ら知識を持っていなかったので、ただただ驚いています。日本では、旗幟を明確にしないで、こっそりといつの間にか既成事実を積み重ねる、そういう政治手法があるように思う。国民には説明しないままに、マスコミも騙し騙し、好きなように政治を誘導していくという。こういう政治手法が一番、真実の民主政治をダメにするような気もします。他方で、政治家自身としてみれば、自らが信じる理想の政策を実現するには、あらゆる奇策をも用いるという、現実主義なのかも知れません。小沢という政治家には、何時もそのような側面を感じるのですが、日本の国民は世界一教養の高い国民ですから、それに相応しく、きちんと説明し、「我に続け(Follow me!)」とやってくれる、きちんとした政治家の方がよいと思う。
なお菅直人首相については、さほど信用をしているわけではないけど、「皆に幸福を約束する」などといわず、政治の出来ることは、せいぜい「不幸の最小化」程度と、言い切ったことは、潔いし正しいと思う。
私も星亨については、高坂氏の著書を読むまで詳しいことは知りませんでした。星も己の権力や利益のために動いていたところはあるはず。しかし、かなり借財もしているから私益だけではなかったのは確かです。
文化人が幸徳秋水を持ち上げるのは、同業者のよしみもあるはず。冤罪にちかい大逆事件で処刑されたため、ますます英雄的な扱いになったと思います。ただ、彼も物書きですから、ペンによる自己正当化と喧伝には長けており、政治家同様全面信用はできない人種です。それでも世論を作るのはマスコミなので、政治家もジャーナリストを無視できない。
イタリア元首相アンドレオッティは、「権力は、それを持たざる者を消耗させる」と名言を吐いています。この人物も数々の汚職やらマフィアとの繋がりが噂され、裁判になっても塀の中に入らず終身議員を続けており、“魔王”と称されることだけある。ここまでくれば極端かもしれませんが、イタリアやシナの巨悪の政治家はスケールも桁はずれです。
女性問題はいつの時代も政治家を攻撃するネタになります。明治の「蓄妾実例」と、現代の愛人不倫騒動は基本的に同じです。また、この類の記事は、愛人や妾を持たない一般庶民の嫉妬もあり、ますます注目されるのでしょうね。こうなるとジャーナリストが悪いのか、下地を作った国民に原因があるのか、分かりません。
女皇とは女の天皇を意味すると思います。ヴィクトリア時代の英国は建前は「君臨すれども統治せず」だったし、エカテリーナのような強大な統治権はなかったはず。だから「女王」の方が相応しいと私は思います。ヴィクトリアの前の男の君主でも英国皇帝とは呼ばなかった。
一方、明治憲法では主権は天皇にあるとされており、実態は「君臨すれども統治せず」に近かったにせよ、建前は帝国の君主となります。そのため、英訳Emperor=皇帝となってくるのでしょうね。パークスが「女皇」と迫ったのも、日本の天皇以下の称号に不快だったから?
日本の政治家が奇妙なのは、とかく説明不足というか、国民に対しきちんと説明をしないタイプが多いように思えます。口下手のためなのか、国民を信用していないのか、その両方なのか不明ですが、説明せずとも以心伝心で分かったくれる…との期待も政治家側にあるのでしょうか。
少なくとも指導者が臣下におざなりでも説明するようになったのは明治以降で、江戸時代まではそんなことはなかった。封建体制もありますが、大陸でも事情は同じだったはず。東アジアには、バルカンのように喧々諤々の議論をする風土がなかったこともあるのでしょうか。
確かに、英国では、King、Queenという名称を使い、Emperor、Empressとは言わない。やはり、これは、重要なことなのでしょう。日本の天皇より、現在のエリザベス女王の方がかなり言いたい放題言うようにも見えるけど、それでもやはり「君臨すれど・・」ということで、英国の統治権は議会(下院)、政府=内閣が主体であり、国王、女王は、あまり発言すべきではない存在。明治憲法は、ドイツ憲法を参考としていて、根本的には、主権が天皇にあった、ということですね。その割には、明治天皇も、昭和天皇も、御前会議での開戦の決断に際しては、政府側に押し切られている!
戦後のGHQ制定憲法では、天皇は「象徴」にすぎないはずなのに、英訳は相変わらずEmperorで、Kingではない。やはり伝統と言うことでしょう。名称で、格下には出来なかったというか、米国側も名称変更までは要求しなかった!
せめて、英訳くらいはKingに格下げすべきだった、というように、合理主義の小生は思うのですが。
英国史について、私は教科書以上の知識はありませんが、大陸諸国に比べると英国王室は権力が弱いように思えます。フランスのような絶対王政ではないし、フランスさえ名称は国王でした。英国国王はあまり発言すべきではない存在にも拘らず、エリザベス女王以下王族たちは結構言いたい放題。議論好きな国民ゆえ、むしろ無口は嫌われる?
対照的に日本は何事も控えめが美徳とされますから、戦前の天皇は主権があったにしても、実質的には発言すべきではない存在でした。乳母日傘のお育ちゆえ、下々が集う御前会議では説得できなかった?
私も天皇の英訳が未だにEmperorというのは違和感を覚えます。しかし、Kingはかなり格下げのイメージもあります。韓国では殊更「日王」の表現を使っているそうで、小韓民国が喜びそうなKingはどうも…
他国内政に干渉し、天皇を「日王」と呼ぶなど、相変わらずの「小中華意識」で呆れますね。
ところで、ブルガリアの歴史では、ドイツのサックス・コブルク・ゴータ家出身の、第2代目近代ブルガリア公国元首フェルディナント公(Prince)は、1908年のオスマン帝国における「青年トルコ党革命」を機に、ブルガリアの完全独立(名目的なオスマン帝国の宗主権の否定)を宣言して、自らクニャス(公)からツァールとタイトルを一段格上げしました。このツァールに関しては、ロシアの皇帝がツァーリであり、同じ単語なので、ブルガリアのツァールも「皇帝」と誤訳する人もいるのですが、実はブルガリア政府は、King(国王)と英訳していて、皇帝と英訳したことはない。
すなわち、小生が言いたいことは、天皇という日本語を、英訳でKingと称して、対外的に天皇の地位は、英国国王と対等のKingだと主張することには、何ら支障はないということ。ロシア、ドイツの皇帝もいなくなったし、今国際社会でEmperorなどという名称を使うのは、少し前にいたアフリカの独裁者などを例外として、あまりいないのではないでしょうか?
要するに、日本の天皇を、国際的に少しは近代的・民主的なイメージのあるKingと英訳する、ということを、真剣に考えるのは、そう唐突な思考ではないはずです。まあ、それほど小生も喫緊の課題とは考えませんが、合理主義の視点から言うと、そういえる。
反日と「小中華意識」を除けば、半島人に何が残るでしょうか?連中はこの先も日本に干渉し続けるのは確実だから、その傾向と対策をしっかり考え、実行するべきでしょう。在日以外にも日本人協力者がいるため、容易なことではありませんが。
フェルディナント公がドイツ出身だったとは驚きました。バルカンの名門なら分かりますが、何故ドイツ貴族を迎えたのでしょうね。そして、称号のツァールも面白い。ブルに浅学の私さえ、ツァーリが語源なのは一目で分かりますが、英訳する時はKing。
もっとも、ロシアあたりなら皇帝でも違和感はありませんが、ブルの君主が“皇帝”では苦笑します。それと同じく、今の日本の天皇がEmperorというのは相応しくないし、英国国王と同じくKingでも問題はないはずです。あなたの仰りたい意味がやっと分かりました。
対外的にはKingで、国内的には天皇で使い分ける方がイメージ戦略でよいかもしれませんね。