トーキング・マイノリティ

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PK 14/印/ラージクマール・ヒラーニ監督

2016-11-11 21:40:32 | 映画

 暫くぶりでインド映画を見てきた。日本でもヒットした『きっと、うまくいく』監督・主演による最新作こそこの映画。チラシでは作品のストーリーをこう紹介している。

留学先で悲しい失恋を経験し、今は母国インドでテレビレポーターをするジャグーは、ある日地下鉄で黄色いヘルメットを被り、大きなラジカセを持ち、あらゆる宗教の飾りをつけてチラシを配る奇妙な男を見かける。チラシには「神さまが行方不明」の文字。
 ネタになると踏んだジャグーは、“PK”と呼ばれるその男を取材することに。「この男はいったい何者?なぜ神様を探しているの?」。しかし、彼女がPKから聞いた話は、にわかには信じられないものだった――。
 驚くほど世間の常識が一切通用しないPKの純粋な問いかけは、やがて大きな論争を巻き起こし始める――

 インド名門大を舞台に教育問題を扱っていた前作に対し、今回のテーマはズバリ宗教問題。もちろん宗教だけではなく、インド映画らしくラブストーリーや歌にダンスシーンもしっかりある娯楽作品になっている。多少でもインドに関心がある方ならば、この国で宗教は、日本とは比べものにならぬほど重いものかは知っているはず。ヒロインが留学先のベルギーで失恋したのも、宗教が原因だった。
 何しろ相手がパキスタンのムスリム青年。いかに好人物でも異教徒との結婚は、基本的にご法度なのはヒンドゥーもイスラムも同じである。パキスタン人の彼氏がいると伝えられたジャグーの母国の家族はショックを受け、母は「ブルカを着て、コーランを読むの?」と叫ぶ始末。父も劣らずショックを受け、日頃から熱心に新興している宗教団体の導師様に相談する。この導師の指示で、ジャグーの恋は引き裂かれた。

 日本語のサイトで散々マスゴミと謗られるメディアだが、インドのメディアも変わりないようだ。ジャグーの勤め先のテレビ局は、ニュースが無い時は、それを作り上げるのが当たり前。例えば、何度も自殺未遂をした犬の話を放送しようとしたりすることも。もちろん自殺未遂する犬のネタなど嘘っぱちだが、動物のどうでもよい話題を何度も取り上げるのは何処かの国も同じだ。
 しかし、テレビ取材にもタブーはあり、宗教ネタがそれに当る。鋭い追及で知られるジャグーの上司も宗教には及び腰であり、この国では宗教の話は出来ないという。というのも、ジャグーの父が信仰する宗教集団の導師を批判したら、信者から狙われ、尻をナイフで刺されたことがあったからだ。

 尻をナイフで刺すくらいなら、まだ大人しいほうだろう。端から殺す気ならば、胸や腹を刺してくる。映画の終盤ちかく、この宗教組織らしき者による駅舎爆弾テロが起き、証言者を爆殺している。宗教への冒涜は決して許さない、ということ。
 ジャグーはパキスタン人青年と付き合ったことで、彼氏と別れた後も家からは勘当同然の扱いになった。これまた「名誉殺人」で娘を殺さなかったから、まだマシなほう。同じヒンドゥー教徒同士でもカーストが違えば、実の娘の首を刎ねた父親もいる。ましてムスリムとの恋愛は極めて難しい。

 敬虔な宗教信者が多いインド社会で、PKの問いかけは意味深いものばかりだった。不治の病に苦しむ妻がいる信者に、導師は遠く離れた寺院に行って祈りを捧げろという。それに対しPKは、遠い地に行くよりも、家で妻を看病することの方が大事だと反論する。全くの正論だが、導師に深く帰依する信者にこのような発想は出来ない。
 特に「神様は2人いる」と言ったPKの意見は興味深い。宇宙や人を創った創造主たる神と人間が創りだした神。人間が創作した神の代理人(教祖や導師たち)は人々の願いを届けておらず、願いごとの「掛け違い」が起きているのだ、と。ここまでくれば、もはや単なるPK(酔っ払いの意)ではない。

 そもそもPKの正体は宇宙人で、円盤から降り立った際、唯一身に付けていたリモコンを奪われたのだ。そのリモコンがなければ円盤との連絡も取れず、母星に帰れない。映画の冒頭、いきなり円盤が登場するSFテイストの設定は意外だったが、主人公を宇宙人とでもしなければ、確実に問題発言連発となる。インドでは宗教に批判的な映画となると、映画館に抗議デモが押し掛けたり、上映中止になることも珍しくない。
 PK役のアーミル・カーンは名前通りムスリムだが、wikiで初めてシーア派だったことを知った。インドのムスリムでもシーア派は少数派であり、ムガル朝時代にはしばしば迫害を受けていた。ムスリムの役者も多いボリウッドだが、シーア派もわりと活躍していたのか。

 世界中で賽銭箱があるのは日本だけ、と言った人がいるが、映画ではそれが間違っていることが映されている。インドの寺院前にも賽銭箱がしっかり置かれていて、善男善女が金銭を寄進していた。但し、映画にみる賽銭箱は総て金属製、サイズがとにかくデカい。日本とインドの信者数の差もあろうが、かたちが似ていたのは可笑しかった。



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