その一の続き
非暴力主義で知られ、生涯を通じ武力行使にあくまで反対したというイメージのあるガンディーだが、第一次世界大戦時では参戦することは大英帝国国民としての義務だと言っており、映画でも紹介されている。英国に協力して自治や独立を得る目的だったにせよ、戦後それへの見返りは「ローラット法」、つまり破壊活動容疑者に対する令状なしの逮捕、裁判ぬきの投獄を認めた法規の発布である。
1919年4月13日、これに反発した非武装インド市民の抗議デモに対し、インド軍部隊が無差別射撃する事件が起きる(アムリットサル事件)。「避難する人々の背中に向けて10分から15分に渡って弾丸が尽きるまで銃撃を続け、1,500名以上の死傷者を」(wiki)出す惨事となる。
映画にもこの事件が映されており、ダイヤー将軍の指揮の元、軍部隊が民衆を容赦せず撃ちまくっていた。ただ、この部隊はグルカ兵が主だったはずだが、映画で市民を撃つ兵士たちはグルカ兵らしく見えない。
事件後、映画でのガンディーは虐殺のあったアムリトサル(現パンジャーブ州)で、静かに怒りを抑えていたが、実際は農民に武器をとって戦おうと呼びかけたこともあった。後に軽はずみだったと撤回するも、映画ではもちろん描かれていない。現英国女王はアムリトサルを訪れた時、犠牲者に花を捧げたが、謝罪は一切していない。
これまた映画では描かれなかったが第二次世界大戦時、ガンディーは日本軍がインドに侵攻したら、自分は武器をとって戦うと宣言したこともある。実際は日本軍がインドに迫るにつれ、妥協的な姿勢に変化したという。この辺はやはり政治家らしいが、ガンディーの評価を下げることにはならない。
ガンディーの養女となったミラ・べーンという女性がいた。彼女の元の名はマドレーヌ・スレイド、英国人提督の娘だったが、ガンディーのアシュラム(道場)で共同生活を始める。以来ガンディーの暗殺まで約23年に亘り彼に誠心誠意仕える人生を送った。映画の終盤、ミラ・べーンと女性カメラマン、マーガレット・バーク=ホワイトとのやり取りは興味深い。
ガンディーの様子を見て、「何だか悲しそうね」と感想を漏らすホワイトに対し、「(運動が)失敗したからよ」と答えるミラ・べーン。「何故?大成功だったじゃないの?」といぶかる前者へのミラ・べーンの返答は意味深いものだった。
「地獄から抜け出る道を教えようとしたけどダメだった。地獄は続くわ」
彼女たちの会話はアシュラムを出たガンディーの後姿を見送った時のもの。日付は1948年1月30日、それが生前に見た最後の姿となる。
それにしても、ミラ・べーンの予言は見事なまでに的中している。インドに居住して久しい彼女は、この国の実態を熟知していたのだろう。ガンディーの生前から彼の弟子たちの中には、質実剛健な師の生き方を裏切っていた者もいたという。21世紀でもインドで宗教暴動の酷い所こそグジャラート州、ガンディーの生まれ故郷である。
DVD特典として、ガンディー語録が紹介されていた。その幾つかを挙げるが、最後の箇所だけでも凡人には到底無理だろう。晩年のガンディーの体重は39㎏だったそうな。
・満足は努力の中にあって、結果にあるものではない。
・力は肉体的能力から来るものではない。それは不屈の意志から来るものだ。
・限りない犠牲に耐えることで国家は繁栄することができる。純粋な犠牲は発展を促進する。
・非協力運動は無意識のうちに悪に加担してきたことに対する抗議だ。
・真理、純粋、自制、堅実、勇気、謙虚、協調、平和、克己…抵抗運動をする人間にはこれらの資質が求められる。
・真実は神であり、神は真実だ。
・臆病者は決して道徳的にはなれない。
・率直な意見の相違は、進歩を示す健全な兆候だ。
・土を耕すことを忘れるのは、自分自身を忘れることだ。
・愛はこの世で最も効果的な力だ。にも拘らず、最も謙虚である。
・人間は生きるために食べるべきであって、味覚を楽しむために食べてはならない。
◆関連記事:「ガンジー」
「へー・ラーマ」
「ガンディー主義が挫折した訳」
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8月3日に、Moon sect指導者文鮮明が92歳で死亡したと、Novinite.comが報じたので、例のウィーン発コンフィデンシャルの記事(http://blog.livedoor.jp/wien2006/)を注視していたら、やはり明らかに統一教会信徒と確認できる内容が最近2回連載されています。
お暇があれば、ご覧下さい。
なお、ガンジーという人の思想、行動、などは本当に小生には分かりにくいです。こういう宇宙人のような、普通の人間を超えたように見える人物ですら、時には「武器を持って戦う必要」を口にしたということは、やはり普通の人間の部分があった、ということで、その意味ではむしろ共感できる。
この映画の画像とナレーションを見ても、重すぎる内容で、小生はひるみますね。でも、毛沢東よりはよほど共感できる。まあ、全くの対極にある人間ですから。中国人は、いくら儒教の教育を積んでも、結局は人間は「食物と女」を追求するもの、というのが根底の人間理解らしい。
ウィーン発コンフィデンシャルの最近の記事は実に香ばしいですね。次の言葉だけで信者なのがバレバレです。
「文師は生涯、キリスト教徒を愛し、彼らに自分の教えを先ず伝えたいと願ってきた」「キリスト教の復興を誰よりも願ってきた文師の死はバチカンにとっても大きな損失だろう」…
http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/51997714.html
日本ではカトリックやプロテスタントも最近は半島系が牛耳っているそうですよ。日本ではクリスチャン聖職者や信徒数が減少し、そのために外国から宣教師を招いているとか。韓国から宣教に来る者は皆、『日本が昔韓国にしてきたことは、イエスの十字架を通して癒されたので許すことがデキマシタ』と洗脳するし、日本人でも反日です。
前にも記事に書きましたが、私が暫くインド史を敬遠していたのはガンディーのおかげでした。禁欲的な聖者というのはやはり苦手です。対照的にネルーは常識人なので、彼の思想、行動は分かり易い。一般インド人の間でも、宇宙人のように思われていたとか。
インドの雑誌『イラストレーティッド・ウィークリー・オブ・インディア』の1985年8月号にさえ、既にガンディーへのシニカルな批評が見られました。
「歴史の霧と教科書の仮面に覆われた伝説的、かつほとんど神話的な人物で、その教説は神のそれと同様、実践されるよりも引合いに出されることの方が多い。7億の子供を持つが信望者はいない我らの国家の父」
士大夫は建前上は教養として儒教を学んでも、実行はしない。既に孔子の時代から中国人は儒教を信じてしなかったと言った人がおり、漢民族の性格からもそれはありえますね。
貴方にとって蒋介石は英雄でしたか!どうも毛沢東や周恩来に比べて影が薄いですよね。蒋介石は日中戦争時に黄河決壊事件も引き起こしており、やはり中国人だという想いです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%B2%B3%E6%B1%BA%E5%A3%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6
実際は台湾的英雄とはいえないかもしれませんね。
蒋介石の遺体へのジョークは笑えますが、台湾のものですよね?台湾で蒋介石をどう教えているのかは不明ですが、日本支配から解放した英雄でしょうか。実際には「狗が去って豚が来た」有様でしたが。
『非情城市』という台湾映画を見たことがあります。この映画で初めて二・二八事件を知りましたが、台湾人の嘆きの台詞は憶えています。
「台湾人は不幸だ。はじめに日本人、次に中国人だ。どちらからも踏みつけにされる…」
蒋介石の遺体の話、ジョークみたいですけど本当らしいですよ。どうやって浮かしているのだかわからないのですが、とにかく地面に着いていないらしいです。
「非情城市」は金城武だったかな、と思って調べてみましたが違うようですね。僕はまだ見ていません。
蒋介石は、台湾の右翼の神様みたいな感じなんじゃないでしょうか、国民党は今与党だと思いますが・・
蒋介石の遺体が浮いているというお話、本当だったのですか??棺の中に台を入れ、そこに遺体を載せれば地面にはつかない状態になりますね(笑)。
蒋介石が台湾の右翼の神様的な存在だったとは、知りませんでした。
『非情城市』はヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞を受賞しており、監督の侯孝賢は外省人です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%B2%E6%83%85%E5%9F%8E%E5%B8%82
http://www.youtube.com/watch?v=XLcnPS3FgNo