その一の続き
元からゾロアスター教に関心のあった私は、まさかあの胸毛男が信者だったとは夢にも想わなかった。しかもパールシー、インドのゾロアスター教徒なのだ。当然葬儀もゾロアスター教の習慣に従って行われた。棺は白いサテンで包まれ、たった1本の赤いバラで飾られたという(※薔薇族だったからではないので念のため)。
葬儀ではゾロアスター教神官による祈りが奉げられ、約25分間の式で神官から会葬者に向い起立と着席の言葉を英語で呼びかける以外、全て古代アヴェスター語で行われたとか。会葬者の殆どは理解不可能だったはず。
フレディ・マーキュリーの死で、初めて彼のルーツが知られるようになった。生前の彼はごく親しい友人を除き、パールシーであることを黙秘続けた。「インド通信」というサイトには、在外インド人向け雑誌の編集長のコラムの一文が紹介されている。「フレディの本名はファルーク・バルサラ、ボンベイ(※現ムンバイ)生まれのパールシーである。しかし彼は自分がインド人であることを隠し続けた。その事実は非常に残念だが、我々は彼をインド人の一人として誇りに思う」
細かいことを言えば、フレディはボンベイではなくザンジバル島(現タンザニア領)生まれで、7歳の頃ボンベイの寄宿学校に入学する。元からボンベイはパールシーが最も多く居住している町だし、彼の両親もこの町の出身である。
何故フレディは自分のルーツに口をつぐんでいたのか?彼の生前はパールシーのロックスターは受け入れがたい時代だったし、あえて公表すれば際物扱いされた可能性も高い。宗派や出自よりも音楽で評価されることを望んだ彼にとって、余計な詮索をされるのを避けたのではないだろうか。
容貌だけで彼が非アングロサクソン系なのは一目でわかるし、友人から「インド人?」と問われた際、「ペルシア人」と答えたという。これもパールシーらしい。フレディに限らずパールシーは一般にインド人よりもペルシア人という意識が強く、自らの血筋と文化を大変誇りにしている。東アジアの某民族のように、都合次第で他民族に成り済ますような卑しい精神は持ち合わせていない。
フレディのソロアルバム『Mr.バッド・ガイ』に Made In Heaven という歌がある。フレディの死後4年目、残されたメンバーにより同名のアルバム『メイド・イン・ヘヴン』が制作され、Made In Heaven の歌も収録されている。歌詞の原文を紹介したサイトもあり、実に哲学的な内容。
ネットではオリジナル版のPVも見られるが、ビデオでの地獄の映像は、『ゾロアスターの神秘思想』(岡田明憲著、講談社現代新書888)の105頁に載っていたペルシアの地獄図の細密画とそっくりで驚いた。地獄に落ちた裸の男女が棍棒を振るわれ、偶然の一致とは思えない。
病が重くなるにつれフレディの声量は衰えるどころか、返って響きを増しているのも凄い。死期を悟ったという精神面も影響しているかもしれないが、「音を出すことを至上の目的とする楽器のように」と言った人もいる。その理由も、病で身体の水分が相当失われたことに求めていたが、病で心身共に消耗する者が殆どなのだ。
クイーンの『メイド・イン・ヘヴン』に収録された Let me live はゴスペル風の曲も美しいが、フレディの「Please Let me live」(どうか、我を生かしたまえ)のフレーズは胸に迫るものがある。
「輝ける日々」のPVはフレディの存命中、最後に収録されたもの。収録時、彼は立っていることも辛かったらしく、死相は隠せないがその表情は明るい。ニコニコ動画にもアップされており、「瞳が澄んでいる」というコメントもある。
死の直前まで創作意欲を保ち続けたのも奇跡的に思える。ニコニコ動画のコメント通り「フレディのプロ意識には脱帽」させられるし、彼の翌年、ラリッて26歳で自滅死した日本の歌手とは格が違いすぎる。『イニュエンドウ』の歌詞の最後の一節は私の気を引いた。
-We'll just keep on trying. Till the end of time.
フレディは極めて世俗的だったし、とても信仰心の厚いゾロアスター教徒とは言えなかったが、両親は敬虔な信者だったとか。それでも常に前向きで享楽的な人生観にパールシーらしさを感じてしまうのは、歴史オタクの悪い癖か。彼が食のタブーの殆どないゾロアスター教信者でなければ、英国人とバンドを組むのも難しかっただろう。
◆関連記事:「ロックと宗教」
「フレディ・マーキュリーと私」
よろしかったら、クリックお願いします
連投失礼します。
松本清張の小説、かなり前でしたが読みました。たぶんゾロアスター教関連で興味を持ったのでしょう。光明皇后の話でしたね。確か、山内昌之氏がエッセイでこの異色の作品について触れられていたと思います。
フレディが出自や宗教を隠していたのは、やはり「帝国」の周縁で多感な時期を過ごしたからでしょうか。
常にイギリス人、「クイーン」という名にこだわり続けたのは、何かポスト・コロニアルな人特有のアイロニーを感じます。
植民地は消えても、本国(政治主体)は無くならない。むしろ、大英帝国は縁の切れた周辺の人びとの憧憬のなかに生き続け、周辺の者たちを中央へ引寄せる。フレディの一族以外にも60年代にはインドばかりかビルマ等からも「英国系」移民が多かったそうですね。
フレディ、火葬だったんですね。
鳥葬はあり得ないにしても、意外でした。キリスト教徒も、火葬を選ぶという英国お国事情なのでしょうか。
デヴィッド・ボウイも立ち会ったと聞きました。無神論者を決め込んでいたフレディも死期が近づき、自らのルーツを再確認したくなったのでしょうか。
死者にはどう問いかけても答えてはくれませんけれど。
ジム某に語る力量はなかったわけですし。。。
『火の路』はNHKドラマ化もされ、試験前にも拘らず勉強そっちのけで(元から勉強嫌いですが)ТVを見ました。原作を読んだのはずっと後でしたが、ヒロインの口にした「ゾロアスター教」の響きが妙に印象的だったのを憶えています。この小説に描かれた革命前のイラン社会は面白かったですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E3%81%AE%E8%B7%AF
松本清張はこの時のイラン取材を元に、『白と黒の革命』も書いており、以前記事にもしました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/481a60cd6fcb6b55b9efd34919854b3e
21世紀でもインドやパキスタン、ビルマ等からも移民が英国に押し寄せています。移民側には旧宗主国への期待や憧憬と同時に屈折した想いもあるのではないでしょうか?同じパールシーでもフレディより十歳年長のズービン・メータは出自を隠しておらず、この違いは興味深いと思います。単にクラシック指揮者とポップスターの違いだけではないのかも。
ロンドンのど真中で鳥葬は不可能ですが、ならば土葬よりマシと思ったのでしょうか。少数かもしれませんが、映画『エリザベスタウン』からも、米国のキリスト教徒にも最近は火葬を選ぶ者が出てきたようです。
ジム某の著書にはファンから批判もあるようですが、私自身はフレディの知られざる私生活が分かって面白かったですね。少女時代にファンになった人と、私のようにとうに成人し、死後ファンになった者では見方が違ってくるのかも。
その歌声とカリスマ性は、注目していました。
亡くなった後のテレビ番組で、彼のインタビューされる姿があり、
インド系訛りの英語をしゃべっていました。
宗教のこと、私は詳しくないのですが、
彼も色々と秘密の部分が多い人生だったのですね。
フレディが私生活に触れなかったのはポップスターという職業もあると思いますが、ゲイだったことも影響していたかもしれません。他のメンバーのような異性愛者でさえバッシングされたのだから、ましてゲイとなれば叩かれまくったことでしょう。
自身のブログのコメント欄を開けていないので、人様のブログにコメントするということも長らくしてこなかったのですが、1つどうしても気になる点があり、話せば分かってもらえそうな方だったので、コメントさせていただきました。
気になったのはこの箇所です。
>>彼の翌年、ラリッて26歳で自滅死した日本の歌手とは格が違いすぎる。
フレディが亡くなった1991年の翌年、1992年4月25日に死んだとされる尾崎豊のことを言っているのだと思うのですが、「格が違う」というのは別に構いません。
ただ、「ラリッて自滅死した」というのは違います。
彼の死は、自殺でも、自滅死でも、ありません。
これはそれについて書いた記事です。
http://yumimi61.exblog.jp/14477466/
彼の人生は手放しに褒め称えられるようなものではなかったかもしれません。
しかしそれを言うならばフレディも同じだと思います。
もちろん好き嫌いという感情はあるでしょうから、好きになってくれとは申しませんが、誤解だけは解いてあげてほしいなぁと思いました。
あなたの仰る通り、ラリッて26歳で自滅死した日本の歌手とは尾崎豊です。wikiには尾崎の死因として、次の説明があります。
「尾崎に覚醒剤での逮捕歴があることからしばしば誤解を受けるが、司法解剖時に検死をした支倉逸人によれば、尾崎の死因は、経時的な悪化による薬物中毒死ではなく、致死量の2.64倍以上の覚醒剤服用(オーバードース、薬の多量摂取)による急性メタンフェタミン中毒が引き起こした肺水腫と結論付けられている…」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%B4%8E%E8%B1%8A
コメントからあなたは尾崎の熱心なファンだろうし、「彼の死は、自殺でも、自滅死でも、ありません」と断定するのは自由です。しかし、それはあなたの主観であり、私は違います。自殺ではないにせよ、私から言わせれば“自滅死”そのものにしか見えない。あなたの願望の多分に含まれる憶測が正解と断言する姿勢は如何なものでしょうか?暗殺されたという陰謀説もあるようですが。
麻薬ならフレディも散々やっていたし、AIDSに罹患したのも度の過ぎた同性愛行為でした。しかし、上記にも書いたように自己制御は見事だと唸らせられました。不治の病に罹らずとも麻薬で自滅していくミュージシャンがいかに多いことか。それゆえに格が違いすぎると私は書きました。
あと私的体験ですが、尾崎ファンで絡んできた者が2人ほどおり、どちらもネット浸りの病的な暇人でした。私が一言も尾崎のことを触れないのに、突然彼の名を出し、讃えて悦に入る独りよがりな面があった。そのためか、尾崎ファンについての印象はかなり悪いのです。尾崎支持者を「痛い信者」と揶揄したサイトもあります。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1672020.html
おおっ!ライブ・エイドがっ!完全再現!
ロック界に燦然と現われた伝説のバンド、当時騒がしいだけのバンドが多かった中にあってギター・オーケストレーションとオペラ風のコーラスで、私は『最も芸術性が高かったバンド』と評価しています。これを超えるバンドは現在でも出ていないのでは?
そして伝説のライブ・エイドを完全再現!? ああ、これは観ずには死ねない!行くぞ!ドントストップミーナウ!うーえいうーえいデスオントゥーレッグス!
もはや自分でも何を言っているか分からぬ程ウレシイ!
ついに今日から映画『ボヘミアン・ラプソディ』が公開されますね!いや~~本当に待ち遠しかった。暫くぶりにワクワクする作品が観れそうです。本編134分なので、見応えありそう。
mobileさんもクイーンファンだったのですか。貴方のブログに「ピチピチタイツのオッサン」とコメントした人がいましたが、メタボ体型ではピチピチタイツのオッサンはやれません。私的にはレオタード時代のフレディが一番好きです。
クイーン全盛時代はとかく男性の見方は厳しかったですよね。「芸術性が高かったバンド」どころか際物扱いで、ミーハー向けバンドと貶されていました。評価が高まったのはフレディの死後かもしれません。