トーキング・マイノリティ

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シルクロード関連アニメ

2009-01-08 21:27:37 | 音楽、TV、観劇
 手塚アニメの中で、私が一番気に入っているのが『悟空の大冒険』。題名通り中国の古典『西遊記』を元にした作品で、主人公・孫悟空一行が天竺へ経を取りに行く物語。行く先々で様々な困難や絶体絶命の危機を乗り越え、旅を続けるというロードムービーのアニメ版。You Tubeで見たオープニングは実に懐かしかった。


 おそらくアンケートを取れば、手塚アニメで最も人気のあるのは『鉄腕アトム』だろうし、私も子供の頃、このアニメが大好きで見ていた。それでも『悟空の大冒険』を好むのは、主人公のキャラクター性にある。優等生過ぎるアトムはイマイチつまらないのに対し、暴れん坊で型破りの悟空。無鉄砲ゆえ敵に欺かれたり、失敗もやらかすが、破天荒なキャラは手塚アニメには珍しいのではないか。原作『ぼくのそんごくう』とアニメはかなり違っているそうだが、私は原作は未だに未見なので批評は出来ない。

 日本の子供向けに制作されたためか、主人公に限らず猪八戒沙悟浄も古典『西遊記』とはまるで違う人物に変えられ、古典にはない竜子という少女まで登場する。現代なら中国政府が、この作品は自国文化に対する侮辱などと恫喝しそうだが、当時は問題なかった。悟空が伸縮自在の如意棒を振り回して敵を倒し、金斗雲に乗り自由に駆け巡るのは痛快だった。
 さらに毎度舞台の変わる異国情緒溢れる背景も、新鮮味を感じたのかもしれない。一応『西遊記』を下敷きにしただけある。なお、孫悟空の原型をインドの叙事詩ラーマーヤナに登場する猿の神ハヌマーンと見る人もいる。ひょっとして中国のパクリか?暴れん坊で俺様的な孫悟空と違い、ハヌマーンは勇敢かつ忠実な戦士となっている。

 他にシルクロード関連アニメで、『マルコ・ポーロの冒険』がある。これはアニメと実写ドキュメンタリー映像を組み合わせるという斬新な作品だった。youtubeでも映像が公開されている。折りしもシルクロード・ブーム、その地への憧憬をかき立てられる映像満載の内容となっている。やはりアニメゆえか、マルコ・ポーロはヒゲなしの美少年に描かれていた。美男だったのは確かのようだが、ヴェネツィア史『海の都の物語』(中央公論社)を書いた作家・塩野七生氏もこのアニメを見ている。東方ではヒゲなしならば同性愛者の疑いをかけられるので、イラスム圏に行くヴェネツィア商人は予めひげを伸ばしており、ヒゲのマルコではアニメに不都合だったのだろう、と書いている。

『マルコ・ポーロの冒険』は物語が3部に分れ、「シルクロード編」(1-20話)・「中国編」(21-33話)・「南海編」(34-43話)で構成される。やはりシルクロード編は面白かったが、中国編になっては殆ど見ていない。wikiには13話「拝火教徒の友情」とあり、ゾロアスター教に関心を持つ私はこの回を見逃してしまったのが悔やまれる。13世紀には少数ながらもまだゾロアスター教徒がシルクロード近辺に存在したいたらしい。第十話「暗殺教団の谷」で、初めて私は暗殺教団なる存在を知ったので、アニメもバカには出来ない。

 第何話だったか失念したが、最も衝撃を受けたのはバーミヤンの大仏の顔面が削られる回。そもそもバーミヤーンの町の名さえ知らず、そこに巨大な石仏があること自体初耳。さらにその頃私はイラスム世界について関心もなく無知で、偶像否定や破壊を行う宗教があることも知らなかった。仏像やマリア像があるのが当り前の日本社会に育った当時未成年の私に、大仏を破壊する行為はとてもショックだった。明治の廃仏毀釈さえ私はまだ知らなかったが、国家・組織的に行った日本と異なり、少なくともアニメでは教条的なムスリム有力者の蛮行という設定となっている。
 バーミヤーンの少女が大仏破壊を止めさせようと、必死で石仏に駆け寄るシーンは忘れられない。破壊前、有力者が誓うように語る台詞「今日こそ、あの微笑みを消してやる」も憶えている。顔が削られた後、'79年当時は顔のない状態でもまだ存在していたバーミヤンの石仏が実写で映される。アニメを制作したスタッフも、どのような想いだったのだろう。

 2001年、この石仏はタリバーンよりついに、地上から消滅させられる。当時の私は日記に怒り心頭のまま盛んに“”の言葉を書きなぐっていた。日記でタリバーンをいくら侮辱しても何の効果もないが、それ以外に私に何が出来たのか。この事件を中田考なる日本人ムスリム学者は、仏像は『偶像』であり、『ゴミと同じ無価値なもの』と主張したことがWikiにも載っている。「イスラム法上問題ない行為…個人としてもとりたてて問題ではなく、むしろ仏像破壊に対する批判こそがイスラムに対する攻撃」で、批判者は偶像崇拝者である、と。

 全くゴミ同然の主張だが、このゴミ先生、何故か偶像崇拝の国に住み、将棋を楽しんでいるそうだ。ちなみにチェスの発祥は偶像崇拝の国インドで、それが中東を通じ西欧にも伝わる。もちろん東方にも伝わり、中国にも影響を与えた。個人で将棋を楽しむのは問題ないが、プロならイスラム法上大いに問題となるも、中田はこれを批判しているのか?コーランモスクなどゴミと見なす異教徒もいるだろうし、聖地より“戦争の家”(異教徒世界)にいたいのは不可解である。

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