物質を限りなく細かく分割していけば、ついに分子になり、あるいは原子にたどりつく。原子はまた、もっと小さな電子を抱えている。こうした小さな粒子の重さや、電気の量はいかほどかということは、今世紀の初期には、まだ分かっていなかった。電子の電気量と質量の比率こそ求められていたが、これだけでは仕方がない。太郎の家は次郎の東、次郎は太郎の西というだけである。どちらかを、どんぴしゃりと決めなければならない。そうして、こんな小さな粒子1個を観測することは、全く不可能である。
ところが、アメリカの物理学者たちは、うまいことを考えた。顕微鏡でやっと見える程度の液滴をつくり(もちろん膨大な数の分子の塊である)、これにエックス線を当てると、電子1個分の電気が付着する。だから、この液滴をコンデンサー中に浮遊させれば、液滴に作用する力がわかり、これから電子の電気量が判明する。
ミリカンという学者は弟子のフレッチャーとともに、日夜努めたが、水では蒸発してうまくいかない。ある時、フレッチャーが油を使ったらどうかと進言し(これが真相らしい)、ついに、電子の電気量を決めた。この功績でミリカンは、1923年度のノーベル賞を授けられた。何編かの論文の主なものは、ミリカン一人の名になっていたのである。
後世の人は、アイデアを出し、精力的に働いたフレッチャーの名を知らない。彼の無念を察するとともに、非情なまでの研究体制について考えてしまうのである。
ところが、アメリカの物理学者たちは、うまいことを考えた。顕微鏡でやっと見える程度の液滴をつくり(もちろん膨大な数の分子の塊である)、これにエックス線を当てると、電子1個分の電気が付着する。だから、この液滴をコンデンサー中に浮遊させれば、液滴に作用する力がわかり、これから電子の電気量が判明する。
ミリカンという学者は弟子のフレッチャーとともに、日夜努めたが、水では蒸発してうまくいかない。ある時、フレッチャーが油を使ったらどうかと進言し(これが真相らしい)、ついに、電子の電気量を決めた。この功績でミリカンは、1923年度のノーベル賞を授けられた。何編かの論文の主なものは、ミリカン一人の名になっていたのである。
後世の人は、アイデアを出し、精力的に働いたフレッチャーの名を知らない。彼の無念を察するとともに、非情なまでの研究体制について考えてしまうのである。
1989/06/10 北海道新聞朝刊 引用