富田林を豊かにする会 代表 武藤宏 ~我が街、豊かに 

地方の繁栄、豊かさの実感
「住みやすい街」から「豊かな楽しい街」を目指して
生活を楽しみながら、心構えと精進の日々

じないまち雛めぐり

2018-03-14 11:57:37 | 日記
3月10日11日は富田林市寺内町「じないまち雛めぐり」の催しがありました。
10日日曜日朝から訪れました。

毎年、「寺内町」の道路・照明灯・町並み・個々の住宅の改築や改装など整備が進んでいることを実感します。

ひな人形の展示も毎年確実に増えています。
町並みをひな人形を探すことで楽しく歩き回ることができました。

<じないまち雛めぐり>



「富田林寺内町」をご存じない方に
(私自身も今回、寺内町の歴史的成り立ちが、富田林の豊かな土地柄を形成することにつながったことを知るきっかけになりました)

<富田林寺内町のはじまり>
富田林寺内町は兵火と-接の絶え間がなかった16世紀半ばの戦国時代に石川のほとりにできたまちです。永禄初年(1558~1561年)京都輿正寺の第16世僧侶"証秀上人"が守護代から「富田芝」と呼ばれる荒芝地を購入し、中野村・新堂村・毛人谷村・山中田村の近隣4ケ村の有力者2名ずつ、計8名(「富田林8人衆」)の協力を得て荒芝地を開発、御坊の移転建立と共に町割りなどの整備が行われました。
これが、現在も残る富田林寺内町とその中心である興正寺別院の始まりです。

<戦国時代>
戦国時代には、寺院領として様々な特権を得ることとなりました。
(1)「諸公事免除」年貢の免除
(2)「徳政行うべからず」徳政(借金の免除)は行わない
(3)「諸商人座公之事」自由に商売してよい
(4)「国質・所質・並Ⅱ付沙汰之事」住民が借金を返済できないとき差し押さえ、有力者を贔屓することを禁止する
(5)「寺中之儀、何も可為大坂並事」大阪西本願寺と同等に扱う
つまり、平和と安全と経済活動の自由、周辺村落の土地の保護の特権を持っていました。
戦国戦乱の時代、経済力も伴って安全な場所だったのです。

<近世~近代>
石川の水運、街道筋の町として発展
商業、造り酒屋、木綿問屋、材木屋などの産業で経済的文化的に繁栄

<戦後~現在>
大阪市近郊の住宅地として大規模な住宅開発が進み人口も増えたため、これに合わせて都市基盤整備も進み鉄道沿線では大規模開発が進展しました。市街地としての拡がりは生まれたものの「寺内町」の中心性は徐々に低下していきました。
このような状況にありながら、富田林駅前を中心とした再開発事業の機運が盛り上がってきました。

なお、輿正寺別院の建物群は平成26年9月に国の重要文化財に指定されました。



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