徒然に入った旅先の古書店で、その背表紙が目に飛び込んできた。
二十歳の頃、自殺した小説家らの特集本を読み、この作品の存在を知った。すぐに探して買ったのだけれど、当時はあまり印象に残らぬまま、引越の繰り返しで紛失してしまったのだ。
溢れ出る箴言。それは“エチュード”と称す詩篇に結晶していく。その中、次のくだりは、著者が死へ誘われた理由を謎のままにしようという宣言に思える。
〈真の詩人は詩論を書かぬものであり、真の信者は信仰を説明しないものである〉
詩人であることすら捨てて、彼は何を守ろうとしたのか。ひとつ言えることは、その純潔さは自虐的なほどに、自らへ厳格な態度をとらせたということだろうか。以下はその一端を窺わせる一節である。
〈理解されようという願い、これも一つの弱気にすぎない〉
〈僕が許容を憎むのは、許容は許容を生むからである〉
〈僕の精神世界を照す燈台では、いつも潔癖なる自意識が見張りしていた〉
許容は許容を生む、かもしれない。とすれば許容を自らに禁止したとき、不許容は不許容を呼び、自裁への道へ突き進んでしまうのではないか。
読んでいて行間に滲むのは母親への思慕であり、親友の妹への淡い恋慕である。そういった幼い若い部分を遮断し硬化させたのは、彼の知性だけの仕業ではなかろう。
満州に生まれ育った原口統三にとって、敗戦は父母との生き別れであり、故郷の喪失であった。しかし戦争に由来する悲劇は文中からいっさい匂わない。意識的な封印。……
焼け野原にあって、孤独な彼は持ち物を売り家庭教師をしながら、高校の図書室に寝泊まりするなどの辛酸をなめる。しかし“エチュード”に書かれるのは、ランボーとの語らいであり、ニーチェ、ジイドらとの対話であり、散文詩のごとき珠玉の言葉たちであった。
そもそもこの詩人に、敗戦の激動と、それに伴う醜い世相の変転は、耐えられるものではなかったろう。
〈お喋りな日本人の顔ほど、滑稽、醜悪なものはない。僕には現代人が、落語家や漫才師の類にしか映らないのだ〉
といって、宗教に傾斜することを“許容”もしなかった。
〈宗教は来世を説く。現世の「自我」をやさしく否定しながら〉
作品じたいに直接は関係ないが、この文庫本の表紙は素敵だ。“ETUDE”の字を窓に見立て、晩秋の広葉樹が七色に染って眺められる。第一高等学校の窓から原口統三が見ていたであろう景色を、私も見る気がするのだ。
