よい子の読書感想文 

読書感想文274

『ライ麦畑でつかまえて』(J.D.サリンジャー 野崎孝訳 白水社)

 このブログを始めてからは読んでいなかった。おそらく春樹訳が出たころに読み比べて以来だろう。
 中学3年生から幾度も読んで、その都度影響を受けた、感銘を与えてくれた、ありていな言い方をすれば、若い私にとってのバイブルだった。ホールデンはいつも私の中で“インチキ”を監視していたし、たまに暴れたり、泣いたりした。
 それゆえに、年を経るごと、読むのが少しずつ躊躇われていった。違う感じ方、特に否定的な感じ方をする自分を発見したらどうしよう、そんな不安があった。しかしそれは、世間一般の大人が感じるだろう、まっとうな拒否感のはずだ。それを不安がる私はやはり、いまでもホールデンに後ろ指をさされたくないらしかった。
 また逆に、私がホールデンを否定することは、私が選んでしまった徒労に満ちた生きづらさを、まるごと否定するのと似ていた。正直、それは平気でいられないはずだった。
 そして厄介なことには、意気投合してしまう自分を、そのまま認めていていいのか、という恥ずかしさのような感情もあった。一般的にいって、通過儀礼と認識されがちな作品なのだ。確かに通過するのが常識的だろう。それら複雑に絡んだ思いが、躊躇いを強くさせたのだと思う。
 昨年、サリンジャーの訃報を目にした。静かに、『ライ麦畑でつかまえて』と向き合う良い機会だと思った。実際にこうして読むまでには、半年以上を要したのだが。
 心配したような拒否反応はなかった。ただ、かつてのような完璧な感情移入は失われ、引き換えに、やや俯瞰する視点が得られていた。それでサリンジャーの技術上の良さも見えた。また、かつて気づかなかったホールデンの甘えが、しっかり見えてきた。
 自宅にこっそり帰ってフィービーと会って、再び家を出る場面。
《どういうわけか、入るときよりも家を出るときのほうがずっとやさしかったね。一つには、もうつかまったって平気だという気持ちになってたからかもしれない。ほんとに平気だったんだ。つかまえるなら、つかまってやるよ、そう思ってたな。ある意味じゃ、つかまえてもらいたいみたいな気持もなくはなかったね。》
 ライ麦畑のつかまえ役を望むホールデンではあるけれど、まだまだつかまえられたいのだった。この甘えは若いころには気づかなかった。きっと自分が甘えてることに気づかなかったからだろう。
 そしてフィービーが単なる妹でないことを、今回は強く再認識した。いい歳をして、私はホールデンといっしょに泣いた。こんなことではいけないのかもしれない。しかしともかく、フィービーとはサリンジャーにとっての理想化された女性であり、それは西部に旅立つというホールデンの手紙を見て、旅行カバンを持って現れ、
「あたしもいっしょに行くつもりなの。いいでしょ? いいわね?」と言ってくれる“女”であり“母性”なのだった。
 サリーという“インチキ”なガールフレンドが、それを引き立てる役を果たしていて、そういった構成の綿密さには感心させられもした。
 最後に。
 ホールデンが言ったような生活を、サリンジャーは実現してしまった。つまり、
《僕はかせいだ金でどっかに小さな小屋を建てて、そこで死ぬまで暮らすんだ。小屋は森のすぐ近くがいい。》というふうに。
 小屋でサリンジャーは何を思い、何を書き残したのか。これから作品が発表されていくのかもしれない。
 けれどそうやって、彼が隠れたがり隠したがっていたのを知ろうと欲するのは、少し気が引けもするのだ。まだ私は、ホールデンの批判を気にしているのだろうか。
 訳者が解説で“卑近な同類”と称して『ハックルベリー・フィンの冒険』や『坊ちゃん』を挙げているが、やはり私は『人間失格』あるいは『星の王子様』あたりのほうを連想する。強いて連想するならの話だが。
 さて私の未成熟を象徴するかのようだが……。いまでも『ライ麦畑でつかまえて』は唯一無二の存在である。と、開き直ろう。欠落や未熟を認めることが、まずは現状を認識し、今後を考えていくために必要だろうから。
 サリンジャーは作中でアントリーニ先生にこう言わせている。
『未成熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある。これに反して成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある』
サリンジャーは死んだ。けれどホールデンは生き続けていくように思える。卑小な生を生きようとする私の中においても。

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