よい子の読書感想文 

読書感想文333

『硫黄島・あゝ江田島』(菊村到 新潮文庫)

すり切れるまで読んだ本のひとつである。今回は収録の逆順に読んでみた。違った印象を持つかもしれないと思ったのもあるし、最後に収められている『ある戦いの手記』がひどく好きだからだ。

『ある戦いの手記』
 士官学校出の若い区隊長と予備士官学校学生たる語り手との、粘着した確執。憎しみを糧に生きようとする語り手だが、まったく理解し合えない二人ながら、糧とする核の部分が繋がっていて、不思議な親和性をすら感じてしまう。
 その不思議な親和性は、語り手が予備士官学校からの脱出を計って区隊長に発見された瞬間に凝縮された形でスパークする。見事な短編だと思う。
 他者をこうした形で表現するのは本短編集の特質だ。それは自然な意味では他人を描くスタンスではない。戦後を生きる上で自らの立ち位置を再生する戦中派の、ひとつの営みを、文学で昇華しようという切実なもの。それが私の心を打ち続ける。

『きれいな手』
 カトリック信者の日本兵が戦犯として処刑されるまでの数時間を描く。
 罪、信仰あるいは転向といった大きなテーマとともに、戦争犯罪を“きれいな手”を自称する語り手によって描く。作者の意図はどうあれ、短編では描き切れぬ深く重い問題に触れており、不完全さは否めない。
『ある戦いの手記』ほど迫るものがないのは、作者自身の戦争体験とは多分に異なる世界の出来事だからだろうか。実体験のみを重く見るのは好まないが、こうした文学を読むとき、それは無視できないかもしれない。

『奴隷たち』
 ソ連の捕虜収容所における脱走の顛末。
 実際に脱柵して捕らえられた三人と、脱走を計画しながら体調不良を理由に行動を共にしなかった小隊長の反目、あるいは隔絶を描く。
 実は脱走は成功しないと知っていた小隊長の偽善がソ連兵や捕らえられた三人によって暴かれていく。あらゆる言い逃れを封じるストイックさ。その息苦しいまでのひたむきな描き方は、典型的な戦中派の態度のように思える。私が著者や梅崎春生あるいは小久保均に惹かれるのはその苦しいまでの真面目さゆえだ。

『しかばね衛兵』
 通底する問題意識は共通している。小隊長の無謀な命令で溺死した同僚を話の中心に据えながら、抱きついてきた死者を突き放したことを畏れ、悔いる兵士。台湾人の脱走兵を捜索する任務にいきりたつ台湾人小隊長の孤独。戦争という極限の状況で訪れるひとつの事件を題材に、現れる人間模様は、短切にしかし痛烈に表現される。

『あゝ江田島』
 幾度も読んだが、忘れがたく、あまりにも肌身にしみついてしまった作品である。
 青春の回想という体裁であるが、その青春が私のそれと重なり過ぎるのだ。
 今回読んでみて、いかに私がその青春を清算できずにいるのかを再確認してしまった。また当作品の空気が私の心情に与えた影響の大きさを。
 課題は山積している。比喩的に言うならば、私の中の戦争は終わっていないのだ。少々気障な言い方かもしれないが。

『硫黄島』
 芥川賞受賞の出世作。新聞記者の視点から描くその世界観は客観的ながら、むせぶようなウェットさは健在で、そのバランスが良かった。
 これだけのものを書きながらサスペンス作家に転向した著者に対する疑問を解消できずにいたが、硫黄島で自殺する男の内に秘めた某かを推し量るうち、菊村到の飛躍もわかるような気がした。
 硫黄島に発った男は決して死ぬつもりではなかった。やり直すために、総括するために、いわば新しい生を生きるために発ったはずなのだ。
 重厚で粘着する暗い文学の書き手だった著者が、一転してエンターテイメント色の濃い作品を書くようになっていったのも、こうした一連の戦争文学によって凝視する過程を経た上での帰結だったのだろう。それは著者自身にとっては、経ねばならない過程だった。われわれは著者の軌跡を、責任を果たそうともがき苦しんだ人の生き方として、そのまま受け入れるべきなのだ。エンタメに鞍替えしたことを悔いるのは外野のエゴというべきだろう。

 私も年をとったのだろうか。今回は作品を作品として噛みしめつつ、菊村到の、書かねばならなかった切実さと、こうしたテーマに筆を置いたその経緯に思いを馳せて読んでいた。
 なにごともなかったように戦中のアイデンティティを脱ぎ捨てて衣替えした人々のさなか、本作のような経過を経ねばならなかった著者の生き様を、私は敬いたい。
 いずれ、サスペンスのほうも手にとろう。ひとりの書き手が、いかなる変貌を遂げ得るのか。それを確認したい欲求に駆られている。


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