『粘膜黙示録』(飴村行 文春文庫)
してやられた、という読後感だ。書評とか、販促用の本文抜粋などに、まんまと乗せられたと思った。そして今さらながら、本もまた“商品”なんだと再認識させられた。
帯にはでかでかと、こう書かれている。
『作家志望フリーターの人ってこんなことを考えてるんですか? 大丈夫ですか? 峰なゆか(漫画家)』
帯の反対側は著者あとがきの抜粋だ。
『自分の体験したことが異常である、と自覚したのは作家になってちょうど一年が経過した頃だった。(中略)
編集A「今の日本ではあり得ない話ですね」
編集B「(頷きながら)訴えたら勝てますよ」
虚を突かれた僕は絶句した。彼らの言葉はつぶてのように耳を打ち、脳をビリビリと震わせた。』
販促技術も巧妙になってきたものだ。新聞での紹介では、確か『このような最底辺の生き様を見れば、下には下が居るもんだなと、落ち込んでた人も元気が出るかもしれない』なんて書かれていて、“落ち込んでた”私は興味を持ったのだ。
しかも何ものかを目指して派遣やバイトで底辺に在った数年間を私も過ごしている。まだ読まぬ先から、勝手に親近感を覚えたのだった。著者の小説を読んだこともないのに。
確かに面白かった。ホラー小説でデビューした書き手というから、読者を引きつけ続け、ここぞというところで驚かしたり面白がらせる技術に長けているのだろう。一方で文体は骨格がしっかりしていて、改行しまくりの軽い読み物風ではなく、好感が持てた。
不満に感じたのは、散々大風呂敷を広げて期待させた派遣工時代の生活が、私にはそれほど異常で悲惨とは思えなかったことだ。“最悪の環境で働いた派遣工時代を、逆恨み精神満載でつづる現代版『蟹工船』”という紹介は大げさに過ぎる。
似たような境遇にあった私にいわせれば、もっとひどい環境で、救い難い状況にある日雇い労働者はいくらでもいるし、何よりそういうあれこれを作中で描いたものだって他に多数ある(車谷長吉や西村賢太など)。もし帯に書かれていたように、著者の体験を特異過ぎるものと受け取ったのが本当だとすれば、彼ら(編集者や峰なゆか等)は世間知らずといわねばならない。だが、巧妙な販促技術、知らぬ振りをして、興味を喚起しているのだとは思うけど。
というわけで、物足りなかった。著者が話の終わりに付け足す決まり文句も、なんだか白々しかった。バラエティー番組な乗りなのだ。これも、“商品”としての工夫なのだろうか。先日読んだ本多勝一『日本語の作文技術』で挙げられていた悪い例を読むようだった。本多勝一の謂う、書き手が自ら笑ってしまっている文章のように思えたのだ。
というわけで、してやられたと感じた。販促技術に上手く絡め取られ、新刊で購入したのだ。“商品”の宣伝には気をつけよう。読書できる時間は無限ではないのだから。
してやられた、という読後感だ。書評とか、販促用の本文抜粋などに、まんまと乗せられたと思った。そして今さらながら、本もまた“商品”なんだと再認識させられた。
帯にはでかでかと、こう書かれている。
『作家志望フリーターの人ってこんなことを考えてるんですか? 大丈夫ですか? 峰なゆか(漫画家)』
帯の反対側は著者あとがきの抜粋だ。
『自分の体験したことが異常である、と自覚したのは作家になってちょうど一年が経過した頃だった。(中略)
編集A「今の日本ではあり得ない話ですね」
編集B「(頷きながら)訴えたら勝てますよ」
虚を突かれた僕は絶句した。彼らの言葉はつぶてのように耳を打ち、脳をビリビリと震わせた。』
販促技術も巧妙になってきたものだ。新聞での紹介では、確か『このような最底辺の生き様を見れば、下には下が居るもんだなと、落ち込んでた人も元気が出るかもしれない』なんて書かれていて、“落ち込んでた”私は興味を持ったのだ。
しかも何ものかを目指して派遣やバイトで底辺に在った数年間を私も過ごしている。まだ読まぬ先から、勝手に親近感を覚えたのだった。著者の小説を読んだこともないのに。
確かに面白かった。ホラー小説でデビューした書き手というから、読者を引きつけ続け、ここぞというところで驚かしたり面白がらせる技術に長けているのだろう。一方で文体は骨格がしっかりしていて、改行しまくりの軽い読み物風ではなく、好感が持てた。
不満に感じたのは、散々大風呂敷を広げて期待させた派遣工時代の生活が、私にはそれほど異常で悲惨とは思えなかったことだ。“最悪の環境で働いた派遣工時代を、逆恨み精神満載でつづる現代版『蟹工船』”という紹介は大げさに過ぎる。
似たような境遇にあった私にいわせれば、もっとひどい環境で、救い難い状況にある日雇い労働者はいくらでもいるし、何よりそういうあれこれを作中で描いたものだって他に多数ある(車谷長吉や西村賢太など)。もし帯に書かれていたように、著者の体験を特異過ぎるものと受け取ったのが本当だとすれば、彼ら(編集者や峰なゆか等)は世間知らずといわねばならない。だが、巧妙な販促技術、知らぬ振りをして、興味を喚起しているのだとは思うけど。
というわけで、物足りなかった。著者が話の終わりに付け足す決まり文句も、なんだか白々しかった。バラエティー番組な乗りなのだ。これも、“商品”としての工夫なのだろうか。先日読んだ本多勝一『日本語の作文技術』で挙げられていた悪い例を読むようだった。本多勝一の謂う、書き手が自ら笑ってしまっている文章のように思えたのだ。
というわけで、してやられたと感じた。販促技術に上手く絡め取られ、新刊で購入したのだ。“商品”の宣伝には気をつけよう。読書できる時間は無限ではないのだから。
